第四百三十四話 狼狩り(一)
眠らない都市、央都。
昼も夜も明るく、常に光が満ち溢れているというのは、なにも今はなき光都の専売特許ではない。むしろ、央都四市全体がそのような傾向にある。それは人間という種の生態、生存本能に由来するもの、というわけでもあるまいが。
「闇は、恐怖を生む。だから遠ざけたいのだ。夜には灯りを、闇には光を、絶望的な未来には大いなる希望を」
「……なるほど」
幸多は、美由理が詩的な表現を用いていることに多少の驚きを覚えつつ、広大な葦原市の町並みを見下ろしていた。
葦原市中津区本部町に聳える時計塔の上に、二人はいる。
八月十八日の夜中。
午後十時を回り、社会的には真夜中に至ろうとする時間帯だが、しかし、葦原市の中心にして都心部たる中津区の町並みは、衰えることのない光に彩られていた。
様々な情報を表示する幻板や多種多様な立体映像が街を彩る様は、美由理のいうように闇を遠ざけようとした結果なのかもしれない。
確かに、央都の都市部において、闇はその勢力を失いつつある。どこもかしこも光に満ちていて、夜中歩き回る際にも困ることがなかった。
しかし、今夜の街の様子は、どうにも不穏だ。
街を出歩く人の数がいつにも増して少ない。夏休み、それも日曜日だというのにも関わらずだ。
眼下に横たわるのは、繁華街の町並みであり、彩る光も様々だ。客の目を引くような立体映像が所狭しと並んでいるし、看板代わりの幻板が極彩色の光を放っている。
普段ならば、まだまだ多くの人がいる時間帯だった。
「この人の少なさは、連続爆破事件の影響……ですよね」
「少なくとも、〈スコル〉の声明文を聞いて、街を出歩こうという市民はそうはいないだろう」
「ですよね」
幸多は、美由理に確認しつつ、周囲を見回した。
繁華街の中心に聳える時計塔は、葦原市の建築基準を限界まで突き詰めたという代物であり、市内に存在する建築物の中で最も高い建造物だ。
市内を一望するには、まだまだ高度は物足りないが、致し方ない。これ以上の高度を望めば、幻魔災害にこの時計塔が巻き込まれた場合の二次被害、三次被害が馬鹿にならないだろう。
だからこその高度制限なのだ。
ちなみに、だが、幸多は、第四開発室謹製の運動服に身を包んでいる。戦団の紋象が大きく刻まれた運動服は、彼の身体能力を底上げすることこそはないが、問題はない。
一方の美由理は、導衣姿である。漆黒の頭髪と導衣が、熱を帯びた夜風に揺らめく様は、まさに絵になっているとしか言い様がなかった。
幸多は、時折、美由理を横目に見ては、その美しさに惚れ惚れするのだ。
さすがは戦団最高峰の魔法士だ、と、思わず言いたくなってしまうくらいだった。もちろん、そんなことを口にすれば、美由理に冷ややかな視線を投げかけられるのだろうが。
だから、幸多は、美由理に見惚れかけるたびにすぐさま我に返り、意識を地上に戻す。
今日一日、葦原市を震撼させた連続爆破事件。
市内各所の建物が、突如として爆発し、周囲一帯に多大な被害が及ぶこと十二件。
人的被害は一切出ていないものの、十二軒どころではない建物が吹き飛ばされ、消し炭なっていた。その被害額たるやとんでもないものだろう。復旧作業には時間も人も費用も必要となるだろうし、頭を抱えている人々も少なくない。
それが〈スコル〉と名乗る組織による犯行だと明かされたのは、数時間前のことだった。
幻魔災害でもなければ、魔法犯罪でもないこの大事件は、今や葦原市のみならず、央都中、いや、双界全土を騒がせ、取り沙汰されている。
曰く、戦団の対応が遅いだの、戦団の判断が悪いだの、戦団の初動捜査の失敗がこれほどまでの事態を招いただの、と、市民も報道機関も言いたい放題に言い合っている。
加熱する一方の報道合戦が、そうした市民の声を助長させているのは間違いない。
が、幸多も、戦団が対応をしくじったのではないか、と、合宿中に思ったものである。
最初の爆破事件が発生したとき、幸多は、義一や九十九兄弟と訓練に勤しんでいた。日々是訓練、が、幸多たちの合い言葉であったし、休養日以外は、一日中訓練漬けだった。
今日は日曜日。訓練する必要はなかったのだが、自主練と称して、幸多たちは様々な訓練を行っている。
だから、爆破事件が起きたときも、戦団が速やかに解決してくれると信じていたし、自分が関わることなど想像もしなかった。
幻魔災害と同じだ。
幸多たちが訓練をしているとき、央都のどこかでは幻魔災害が発生していて、各地にいる導士たちが対応しているのだ。自分たちが与り知らぬ所で起きている事件や災害についてまで、当事者のように考える必要はない。
それもまた、訓練の一環ともいえる。
全ての事件、全ての災害を、一人の人間がどうにかできるわけもない。
人は、神ではない。
魔法という万能に等しい力を得てもなお、神にはなれなかった。全能者のように振る舞いながらも、自らの足で、滅びの坂を転がり落ちていったのが人類である。
幻魔による魔天創世が決定打になったものの、仮に魔天創世が起きなかったとしても、人類は遠からず自滅していたのではないか、といわれているほどだ。
『一人で出来ることには限りがある。わたしとてそうだ。役割分担こそが重要で、仲間こそ必要なのだ』
とは、美由理によく聞かされていることだ。
幸多たち合宿組が訓練に励んでいるのも、そういう役割を帯びているからにほかならない。
そして、急遽、任務を宛がわれることになったのも、目的に応じた役割があり、その役割に適切な人材だと判断されたからだろう。
幸多が美由理に呼び出され、伊佐那家本邸を後にしたのは、少し前のことだった。夕飯を終え、皆とだらけながら、本日の訓練を振り返っている最中のことである。
九十九兄弟や金田姉妹は、一人だけ任務に呼び出されることとなった幸多を労ったが、義一は、どうして自分ではないのか、と美由理に質問した。
そうした場合、美由理の答えはいつだって単純だ。
『作戦部の判断だ』
戦闘部の導士をどのように配置し、どのような任務を宛がい、どのような作戦を展開するのか、そういったことを立案、計画するのが作戦部である。
つまり、戦務局の要といっていい。
戦闘部は、作戦部の要望に応じる形で導士を提供するのが通例であり、大抵の場合、そこに意見することはない。
例外もないではないが、例外は例外に過ぎず、故に義一は、幸多が美由理とともに飛び立つのを見送ることしか出来なかった。
幸多は、義一のことが気がかりだったが、美由理は、長杖型法機・流星に跨がり、いったものだ。
『気にすることはない。いつものことだ』
美由理が全く問題にしないこともあって、幸多は、なんだか安心したのを覚えている。
そして、任務が爆破事件に関連するものだと聞かされたのは、この場所に舞い降りてからのことだった。
現在、戦団本部では、総長自らが〈スコル〉と会見している一方、情報局が〈スコル〉の活動拠点を調査中だという。
戦団は、〈スコル〉との交渉に応じる振りをして、〈スコル〉の本拠地を制圧するつもりなのだ。そのためにこそ、総長が時間稼ぎをしているというのが、なんとも戦団らしいというべきなのか、どうか。
「了解した。すぐさま行動に移る」
美由理の声が、やけに冷ややかに聞こえたのは、気のせいではあるまい。
導衣に仕込まれた通信機を用いての情報官とのやり取りは、幸多にはわからない。聞こえるのは、美由理の冷徹極まりない声だけだ。
そして、それだけでいいと思わせられる。
「幸多。きみの出番だ」
「ぼくのですか? 師匠は?」
「わたしは魔法士だからな。気取られる可能性が高い」
「え?」
幸多は、美由理の説明に怪訝な顔をした。
〈スコル〉の本拠地を制圧することが今回の任務の目的ならば、むしろ、魔法士のほうがいいのではないか、と、幸多は考える。
美由理は、そんな幸多の疑問には答えず、情報官から伝え聞いた情報を口にした。
「〈スコル〉の構成員は、全部で二十五名。いずれもがネノクニ出身だが、央都に移住し、市民として生活していたものもいるようだ。幹部は三名。長谷川天璃、近藤悠生、松下ユラ、というらしい。どうでもいいが」
美由理が携帯端末を操作すると、幸多の眼前に幻板が展開し、〈スコル〉の幹部たちの顔写真が映し出された。
当然だが、知らない顔だった。
ネノクニ市民に知り合いなどいないのだから当然だろう、と、幸多は想いながらも、長谷川天璃という青年の顔には妙な引っかかりを覚えた。見覚えがあるような気がしないではないのだが、しかし、思い出せない。
修学旅行でネノクニを訪れた際、顔を見たりしたのかもしれないが、どうにも判然としなかった。
「どうした? なにか気がかりなことでもあるのか?」
「この長谷川天璃って人の顔に見覚えがあるような……ないような……」
「長谷川天璃は生粋のネノクニ人だ。地上に上がってきたのもつい最近で、滞在期間を過ぎても帰れないのは、天輪スキャンダルの影響だそうだ」
「へえ……」
そんなどうでもいい情報も、美由理が情報官から伝えられたものである。
ふと、美由理は、幸多を見た。長谷川天璃の顔写真を見つめる彼の横顔は、不可解そうに歪んでいる。
「そういえば、きみは天輪スキャンダルの当事者だったな。もしかしたら、そのときに会ったことがあるのかもしれない」
とはいったものの、そんなことはどうでもいいことだった。
仮にネノクニで幸多が長谷川天璃の顔を見ていようと、すぐさま思い出せないと言うことは、深く関わり合っていないということだ。
無関係な赤の他人といってもいい。
そして、そんなことに拘泥している暇はなかった。
長谷川天璃は、敵だ。倒すべき、捕らえるべき大敵なのだ。
だから、彼のことについて考える必要は一切なかった。
そして、美由理は、告げた。
「さあ、狼狩りの時間と行こう」