第四百三十一話 スコル(七)
「なるほど。これはこれは」
「ふむ……そういうことか。升田補佐が何故、この一日姿を見せないのか、これで納得がいったな」
城ノ宮明臣と上庄諱が唸るようにいったのは、幻板に表示された情報を見つめながらのことだった。
情報局情報管理室内にて、エーテリアル・ネットワークの調査を行っている最中である。
情報局員を総動員し、戦団が誇る統合情報管理機構ノルン・システムの全力を以て事に当たれば、難関などあろうはずもない。
時間こそ多少かかったものの、現在稼働中のエーテリアル・ネットワークの全ての回線を掌握することに成功したのだ。
それによって判明したのは、エーテリアル・ネットワークの回線が葦原市内に張り巡らされていたという事実であり、それら回線が集中している場所がいくつもあるということだった。
それはつまり、〈スコル〉の拠点がそれだけ市内に存在しているということにほかならない。
そして、エーテリアル・ネットワークを介して各拠点を見回していく中で、明臣と諱は、見知った顔を発見した。
升田春雪の妻・麻里安と娘の春花である。
二人は、市内にある〈スコル〉の拠点内で〈スコル〉の構成員たちに見張られていた。その様子から、〈スコル〉の一員などではないことは明らかだ。
人質としか、考えられない。
「彼は家族想いですからね」
「きみもだろう」
「そういう局長こそ」
「うむ。家族は大事だ」
諱は、明臣の軽口にも重々しく頷く。
この時代、家族ほど大事なものはなかったし、諱にとっても家族は宝物といっても過言ではなかった。夫も、娘も、娘婿も、孫娘も、全員が等しく大切であり、そんな家族のためにこそ、央都の平穏を守るべく日夜戦い続けているという一面も、間違いなくあった。
そしてそれは、大半の導士にいえることだ。
明臣も、そうだ。
一人娘の城ノ宮日流子は、戦団でも指折りの魔法士であり、戦闘部の軍団長を務めるほどの人材だが、だからこそ、明臣は日々、日流子の無事を祈らずにはいられない。
彼女は、星光級導士、星将である。
戦闘部でも屈指の武闘派であり、卓越した魔法技量の持ち主だ。妖級以下の幻魔に手間取ることはなく、鬼級幻魔にすら食い下がるほどの実力者なのは間違いないのだが、とはいえ、危険がないわけではない。
戦闘部は、常に死と隣り合わせだ。
出来れば家族には戦闘部にだけは所属して欲しくないと願う導士も少なくないだろうし、それこそ、人手不足、人材不足の最大の原因に違いない。
「そして、ここが本拠か」
「長谷川天璃、近藤悠生、松下ユラ……それに升田くんの姿もありますな」
万能演算機・天桜が出力する幻板には、薄暗い室内の様子が映し出されており、そこに明臣が言ったとおり〈スコル〉の幹部たちと升田春雪の姿が、ぼんやりとだが浮かび上がっていた。
室内は暗く、端末と幻板が発する光だけが、四人の姿を闇の中に浮上させる。様々な機材が所狭しと並べられた室内からは、得られる情報は少ない。
だが、それだけでも十分だった。
幹部たちが顔を揃えているのだ。〈スコル〉における最重要拠点に違いなかった。
これだけ無防備なのは、エーテリアル・ネットワークを過信しているからだろう。
いや、まさか、戦団情報局が、これほどまでの短時間でエーテリアル・ネットワークを完璧に掌握し、〈スコル〉の全拠点を把握、本拠地までも突き止めるなど、想像できていなかったのだ。
それは、戦団情報局を甘く見た、というよりは、戦団情報局の力が想像を絶するほどのものだったというだけのことだ。
むしろ、〈スコル〉は用心に用心を重ね、慎重に慎重を重ねて行動を起こしている。今や双界における情報通信の要であるレイライン・ネットワークを用いず、廃棄されたエーテリアル・ネットワークの回線を復旧させ、利用していたという時点で、とんでもなく用心深い。
だが、その用心深さが徒になった、ともいえるのかもしれない。
各拠点に監視カメラを配置し、エーテリアル・ネットワークと常時接続状態にしていたのは、慎重さ故だろう。
全拠点内の状態を常に把握しておきたいという〈スコル〉幹部の完璧なまでの慎重さが、情報局に各拠点の内情を知らしめることになってしまった。
それによって、戦団は動いた。
当時の統治機構の判断が間違いだったのか、正しかったのか。
そんなことを論じるつもりは、毛頭なかった。
どうでもいいことだ。
ネノクニの安全をなによりも優先するというのであれば、地上奪還部隊を見捨てるという判断を取るのは、当然といえただろう。
地上と地下を結ぶのは、大昇降機だけだ。
大昇降機の存在は、当時少なくともリリス軍には知られていなかったのだ。だから安全に地上に至ることができたのだろうし、地上に辿り着いたとき、包囲されているというような状況もなかったのだろう。
そして、何十年もの間、地上からネノクニに幻魔が侵攻してくるようなこともなかったのだ。
だからこそ、だ。
統治機構は、地上奪還部隊が窮地に陥ってもなお、大昇降機を作動することを許さなかった。
地上奪還部隊は、リリス軍に追い詰められていた。そこから大昇降機まで向かえば、大昇降機の存在が露見してしまう。
そうなれば、一大事だ。
リリスが、幻魔の大軍勢をネノクニに差し向けてくるかもしれない。
大量の幻魔が、大昇降機の無数にある隔壁を破壊しながらネノクニに押し寄せれば、その瞬間、ネノクニは終わり、人類も滅亡する。
統治機構の判断は、正しかったのかもしれない。
だが、そんなことは、神威には関係がなかった。神威を始めとする、地上奪還部隊の魔法士たちには、全く関係のないことだった。
理性はともかく、感情には。
彼らの怒り、哀しみ、嘆き――狂おしいほどの感情の猛りは、地上奪還部隊の回顧録に目を通せば、痛いほどに伝わってくる。
春雪は、統治機構が地上奪還部隊に対して行った仕打ちの惨さを理解すればするほど、自分がなんとも愚かでどうしようもないことをしようとしていたのかと思い、この上なく恥ずかしくなるのだ。
ただ、自分が〈フェンリル〉の工作員として戦団に乗り込み、内部から戦団の実情を知ろうと判断したことは間違いではなかった、と、今でも思っている。
情報局の一員となり、戦団の圧倒的な力を知った。
情報とは、力だ。
央都のみならず、ネノクニの情報をも掌握し、支配する情報局の存在、ノルン・システムの力を知れば、〈フェンリル〉がいかに矮小で惰弱な存在なのか、思い知るというものだろう。
だから、春雪は、目を覚ますことが出来たのだ。
身の丈を思い知り、力の差を思い知った。
しかし、過去は変えられない。
自分がしてきたことの全てが、今になって牙を剥き、爪を立ててきた。
それはもう、どうしようもないことだ。
春雪は、天璃が神威を睨み付ける様を見ながら、自分のことを考えるのは止めにした。
「戦団よりは、余程信用できますよ」
『ふむ。そうだろうとも。きみらにしてみれば、戦団ほど信用できない組織はないのだからね』
「それがわかっているのでられば、なにもおかしなことではないでしょう。ぼくたちは、〈おおかみのこども〉だ。〈フェンリル〉の思想を継承し、理念を受け継いだ。ぼくたちは〈スコル〉。太陽を喰らい、この地上に楽土を築き上げるもの」
天璃が大仰に宣言すると、さすがの神威も鼻白んだようだった。突然、なにを言い出すのか、とでも思ったのかもしれない。
天璃には、神威の心境が手に取るようにわかった。神威は、天璃を心底馬鹿にしているのだ。そしてそれは、天璃とて同じことだ。神威たち戦団を馬鹿にして、見下している。
「そのためにこそ、あなたには会見に応じてもらったのだけれど、あなたはどうやら自分の立場というものをわかっていないようだ」
『わかっているとも。きみたちに人質を取られている。葦原市という人質をね』
神威が、嘆息とともに告げた。
『そこにいる升田春雪くんのようにだ』
「なにを……」
『聞こえているかね。返事はしなくていい。したくても出来ないだろう。きみの御家族は無事だ。情報局が監禁場所を割り出し、確保した。さすがはきみの上司と部下たちだ。そうは想わないかね』
「……悠生」
天璃が素早く悠生を一瞥すると、彼は端末の鍵盤を叩き、監視カメラの映像を幻板に映しだした。春雪の妻と娘を確保していた拠点内の監視カメラである。
悠生は、拠点内の映像が映し出された瞬間、絶句した。いるべきはずの場所に〈スコル〉の構成員たち、つまり、彼らの部下がおらず、また、春雪の妻と娘の姿もなかった。
さらにいえば、拠点内に設置していた機材が粗方撤去されていたのだ。
天璃は、悠生の反応を見て、神威の発言が事実であると認識した。
だが、そんなもので状況が動くわけもない。
天璃は、ユラを横目に見て、その艶然たる微笑に安堵を覚えた。
ユラがいてくれる限り、自分たちが負けることはありえない。
天璃は、確信とともに、神威を睨みつけた。




