第四百二十七話 スコル(三)
『我々は、スコル。戦団の支配に抗うものである』
突如、そのような声明文が葦原市内の各所に流れたのは、十二件目の爆破事件が起きた直後、午後七時を少し回った時間帯だった。
八月も中旬から下旬に移ろうとしている。
まだ日は高く、夕焼けが西の空を紅く染め上げていた。
普段、様々な情報を流している市内各所の街頭幻板に突如として乱れが生じたかと思うと、禍々しい狼の横顔を模した紋様が浮かび上がり、それとともに声明文が読み上げられ始めた。
道行く市民が足を止め、幻板に目を留め、耳を澄ませるのも当然だった。
狼の紋様の背後には、十二件の爆破事件の犯行現場が映し出されていたからというのもあるだろう。
爆破が起きる直前の現場の映像は、もはや市民が見飽きるほどに見た映像でもあった。
『央都市民の皆様方には寝耳に水の話だろうが、我々は、断固たる決意でもって立ち上がった。我々は戦団が独占する太陽を取り戻すべく、立ち上がったのである。戦団が我々の要求に応じない場合、我々は、央都を破壊し続ける。我々はスコル。戦団の魔手から大いなる太陽を取り戻すべく、この大地を蹂躙するものである』
声明文を読み上げたのは、機械的に作り上げられた音声であり、肉声ではなかった。故に感情に訴えかけるようなものではなく、ただ、淡々と事実を述べるだけの、宣告するだけの代物のように思えた。
市内各所に流された音声は、瞬く間に央都中に広がっていく。
情報社会である。
あらゆる情報が、レイライン・ネットワークを介することによって、あっという間に拡散してしまう。
犯行声明すらも、一瞬で、だ。
「〈スコル〉か」
神木神威が、苦い顔をしたのは、何度目かの犯行声明の再生を終えてからのことだ。
本部棟総長執務室には、神威と総長特務親衛隊の面々、副総長・伊佐那麒麟の五人しかいない。しかし、周囲に展開する無数の幻板が、本部内外と彼を繋いでいた。
「北欧神話におけるフェンリルの子供だそうですよ」
「なるほど。それで、〈おおかみのこども〉というわけか」
麒麟の説明を受けて納得するものの、だからといって、それでなにが変わるわけもない。
ましてや、状況は、以前、最悪なままだ。
央都史上最悪の大犯罪――などと、各種報道機関がわめき立てている。
実際、これほどまでに戦団や警察部が犯罪者に翻弄されたことはなかったし、央都が揺るがされたことはなかった。
幻魔災害は別にして、だ。
それはそうだろう。
幻魔災害と人間の犯罪は、全くの別物だ。
幻魔災害は、天災に等しい。
未然に防ぐことは不可能であり、発生した以上、被害の拡大を防ぐことしかできないのだ。
それに対し、人の犯す罪には、様々な対策が取られていた。厳罰化や社会全体による監視が魔法犯罪の発生そのものを抑止し、発生率を引き下げているのはいうまでもなかったし、魔法犯罪が発生したとしても、即座に検挙できているのは、魔法犯罪対策が機能している証明だろう。
数多に記録された魔法犯罪だが、決して央都の治安を乱すことはなかった。
今回ほどの大事件に発展し得なかったからだ。
しかし、今回は、どうか。
「〈スコル〉の目的は明白です。〈フェンリル〉が果たせなかった太陽奪還計画の実行。そのための、戦団の排除、でしょう」
「そうなるだろうな。全く、馬鹿げた話だ」
神威は、定例会議のとき以上に苦い顔をしながら、幻板に表示された情報を見ていた。〈スコル〉の構成員と思しき人物は、いまのところ、数名、確認されている。
その中心には、近藤悠生というネノクニ市民がおり、近藤悠生の周囲に集まったネノクニ市民、央都市民が〈スコル〉を構成していることは間違いなさそうだった。
それら〈スコル〉構成員に関する情報は、既に情報局によって徹底的に調べ上げられている。
いまさら調査する必要など全くないくらいにだ。
「太陽奪還計画……か」
神威が嘆息とともに思い出すのは、サイバ事件のことだ。
戦団に潜り込んだ別勢力の工作員たちが意気投合した結果生まれた悲劇というべきか、喜劇というべきなのか。
いずれにせよ、サイバ事件の主犯である井之口英二が、太陽奪還計画を遂行するために戦団に大打撃を与えようとしたのは紛れもない事実であり、そのために様々な勢力が打撃を受けることになったのは記憶に新しい。
その結果、〈フェンリル〉もまた、壊滅したのだ。
その恨み辛みが戦団に向けられているというのが、どうにも解せない。
いや、理屈はわかる。
〈スコル〉が〈フェンリル〉の子供たちであり、後継組織だというのであれば、〈フェンリル〉の思想を受け継ぎ、その理念に基づいて行動するのは当然のことだろう。
だが、〈フェンリル〉がなぜそこまで戦団を敵視していたのか、〈フェンリル〉総帥・河西健吾に行った事情聴取の記録を閲覧してもよくわからないというのが、神威の率直な意見なのだ。
そしてそれは、戦団に所属する誰もが思っていることではないか。
『実に馬鹿げた話だが、〈スコル〉は、総長閣下との会見を望んでいる』
「会見?」
神威が訝しむと、情報局長・上庄諱が幻板の向こう側で大きく息を吐いた。爆破事件の始まりから今に至るまで、情報局は動き続けている。
しかも、爆破事件だけに拘っている場合ではないのが、情報局長という立場だ。戦団と央都を取り巻く膨大な情報に対応しなければならない。無論、局長の元に上がってくるほどの情報となれば、徹底的に精査され、彼女の目を通す必要のある限られたものだけではあるのだが。
それにしたって、多忙極まりないのは、いうまでもない。
『〈スコル〉の主張を、要望を聞いて欲しいらしい』
『馬鹿げている』
と、声を荒げたのは、相馬流陰だ。戦務局副局長である彼は、戦団を草創期から支え続けてきた人物でもある。だからこそ、憤慨しているに違いなかった。
『総長閣下が犯罪者如きと会見する等、言語道断であろう!』
「相馬副局長の意見にも一理ある。が、しかし、な」
『現状、戦団は央都を人質に取られているといっても過言ではない。〈スコル〉は、葦原市内各所に爆発物を設置しており、それらをいつでも起爆できる状態を維持している。総長が会見に応じなければ、すぐにでも爆破させるつもりだろう』
『脅迫に応じることがありえないといっている!』
「全く以て、その通りですが……」
麒麟も、流陰の意見そのものには賛成だったが、しかし、神威や諱の考えも理解できるのだ。
葦原市が、いや、央都そのものが人質に取られているという事実は、如何ともしがたいものがある。
「しかし、上庄局長の説明の通り、我々は後手に回っているというのが現状です。〈スコル〉が設置したのであろう全ての爆発物を取り除き、市民の安全を確保してからでなければ、動きようがありません」
『それは……そうだが』
『……ここは、総長閣下には会見に応じて頂くべきかと』
そう強く主張したのは、情報局副局長の城ノ宮明臣だ。
彼は、今回の連続爆破事件が起きる以前から、〈おおかみのこども〉こと〈スコル〉に関する調査を主導してきている。なにより、彼の直属の部下が関わっているという報告もあるのだ。
彼が入れ込むのも無理のない話だった。
『〈スコル〉は、犯行声明を発信した後、沈黙を保っています。まず間違いなく、こちらの出方を窺っているのでしょう。戦団が会見に応じるというのであればそれでよし、そうでないのであれば、すぐにでも爆発させるつもりに違いありません』
『それで、どうするというのだね? 総長閣下が犯罪者どもに頭を下げろというのかね』
『まさか。総長閣下には、時間稼ぎをして頂くだけでよろしいかと』
「時間稼ぎ、か」
『はい。総長閣下が会見している間に我々が必ずや〈スコル〉の拠点を割り出し、対処して見せましょう』
明臣の力強い宣言には、彼の上司である上庄諱も目を細めたほどだった。
まるでなにか大きな確信でもあるかのような物言いであり、だからこそ、神威も、彼の提案に乗ることにしたのだ。
「わかった。きみたち情報局に全てをまかせるとしよう」
神威は、諱と明臣の目を見つめ、重々しく頷いた。