第四百二十六話 連続爆破事件(二)
「恐らく、〈おおかみのこども〉の仕業なのでしょうな。そして、〈おおかみのこども〉は、〈フェンリル〉の後継組織に違いありません」
明臣の断言に、諱はさらに眉根を寄せる。
〈フェンリル〉といえば、下位獣級幻魔が思い浮かぶものも少なくないだろうが、情報局の中でその名を使う場合、真っ先に連想するのは、ネノクニに存在した反戦団組織である。
戦団内部に工作員を送り込んだ挙げ句、サイバ事件の引き金となった組織は、そもそも、サイバ事件を引き起こすつもりなどはなく、太陽奪還計画とやらのために動いていたということが判明している。
太陽奪還計画とは、太陽を戦団から取り戻すための計画であるらしく、そのためにこそ戦団を徹底して排除するという、極めて大それた計画だった。
そして、その計画を知った井之口英二の暴走が引き起こしたのが、サイバ事件である。
サイバ事件そのものは、〈フェンリル〉とは一切関係がないといっても過言ではない。
が、それによって〈フェンリル〉が壊滅する羽目になってしまったのは、自業自得に等しい。気の毒な面がないではないが。
無論、戦団内部に工作員を送り込んできたことそのものが間違いだったのだし、その結果、戦団自体、工作員を野放しにするという方針を改めることになったのは、ある意味では、〈フェンリル〉のおかげといってもいいかもしれない。
当時、戦団は、外部勢力の動向を知るための方法の一つとして、送り込まれてきた工作員を游がせるという方針を取っていたのだ。
それも今や昔の話だ。
反戦団組織〈フェンリル〉は、ネノクニに存在したいくつかの反政府勢力共々に消滅した。
だのに。
「その〈おおかみのこども〉とやらと、升田補佐が関係しているのは間違いないのか?」
「少し前、〈おおかみのこども〉を名乗る人物が、升田くんに接触してきましてね。調べたところ、近藤悠生というネノクニ市民でした」
「それは聞いている」
「ええ、伝えましたから」
明臣は、携帯端末を操作して、幻板を出力した。そこに情報を明示する。
「升田くんが姿を見せなくなったのは、その二日後からです。恐らく、近藤悠生が升田くんに送り届けた記録媒体が、升田くんと彼らを結びつけたのでしょう。升田くんがなぜ彼らに協力しているのかはわかりませんが……戦団を裏切ったわけではありませんよ」
「まあ、升田補佐が戦団を裏切る理由はないだろうが」
諱は、幻板に表示されている琥珀色の記録媒体を見据えながら、言った。升田春雪のひととなりについては、明臣に次いでよく知っているほうだ。副局長補佐である。局長である諱とも関わりは深く、さまざまに議論し、討論したものである。
春雪は、根っからの戦団導士だ。
央都のため、市民のため、この秩序の維持のため、情報局はどうあるべきか、情報局員はどうするべきか、常日頃から考えているような人物だ。
だからこそ、彼が戦団を裏切り、〈おおかみのこども〉なる組織に鞍替えしたなどとは、考えようがなかった。
「しかし、利用されているのは、事実だろう」
「でしょうね」
明臣も、その点に関しては、異論はない。
まず間違いなく、春雪は、〈おおかみのこども〉と共に行動している。情報局員にしか入手できないような情報を提供し、それによって容易く爆発物の設置を可能としたのだろう。
そして、だ。
「おかげで、爆破事件に巻き込まれた市民は一人もいませんがね」
「ふむ……」
諱は、明臣の言い分を大いに理解しながら、七度目の爆破事件に関する報告を受け、渋い顔をした。
葦原市連続爆破事件に関する報道が加熱する一方で、犠牲者が一人も出ていないという事実は、大きく扱われることはなかった。
実際に大規模な爆発が起きていて、複数の建造物が吹き飛ばされている現場を見れば、犠牲者の多寡などどうでもよくなるというような心理が働くものなのかもしれない。
大事件は、厳然として大事件だ。
いくら犠牲者が一人として出ていないとはいえ、央都の平穏を乱すほどの大事件であることに変わりはなく、これほどの数の爆破事件が立て続けに起きているという事実を前にすれば、市民が不安に駆り立てられるのも無理はなかった。
「またか」
「後、五件。今日起きるとすれば、それくらいでしょう。そして全て手配済みです。被害者は一人として出ませんよ」
「それは……わかっているが」
諱は、明臣の余裕に満ちた表情が気に入らず、視線を逸らした。幻板に表示される情報の数々が、七件目の爆破事件の被害規模を想像させる。
明臣の言う通り、犠牲者は一人としていない。
爆破地点周辺の警備に当たっている導士の中にも、だ。
そのことには安心するのだが、しかし、出し抜かれることはないのか、と、想わずにはいられない。
いや、戦団を出し抜くためにこそ、升田春雪を利用しようと考えたのだろうから、そんなことはありえないのだろうが。
「市内十二箇所を爆破してどうなるものでもないだろうに」
「反政府、反戦団組織の考えることですからね。理屈で納得できるものでもないのでしょう」
「感情か」
「おそらく」
「ふむ……」
諱は、別の幻板を見遣り、嘆息した。
彼女の執務室内には、複数の幻板が浮かんでいて、それぞれに様々な情報を羅列している。幻板の一つは、常に最新の情報を提供してくれるように設定しており、そこには爆破事件に関する膨大な情報が洪水のように流れていた。
爆破事件は、既に七件、この葦原市内各所で起こっている。
南海区海辺町に始まり、北山区山中町、東街区鼎町、西稲区美浜町、中津区旭町、南海区大国町、東街区一色町という順番である。
そこになんらかの関連性や、意図を見出すことは出来ない。
なぜならば、それらの事件現場は、爆発物を設置する際に警備が手薄だった場所に過ぎないからだ。
そしてそれらの情報を入手したのは、紛れもなく、升田春雪であり、彼が爆破事件に関与しているのは疑いようもない事実だ。だが、それによって被害が建物だけに抑えられているのもまた、事実なのだ。
明臣の言うとおりである。
春雪が〈おおかみのこども〉に協力しているからこそ、市民の誰一人として爆破事件に巻き込まれることなく、済んでいる。
もし、〈おおかみのこども〉に戦団内部の協力者がいなければ、多くの犠牲者が出ていたに違いない。
その場合、爆発物の設置そのものに難航しただろうが、強行しない理由もない。
なにせ、ネノクニ市民が央都に滞在していられる期間というのは、限られている。
近藤悠生は、天輪スキャンダルの影響によって長期間滞在できているようだが、それも偶発的な出来事に過ぎない。
本来ならばとっくにネノクニに帰っていたはずだ。
無論、すぐまた上がってこない理由もないわけだが。
諱は、そんなことを考えながら、手元の端末を操作し、局員たちに指示を飛ばす。
明臣も、自分の役割を果たすため、局長執務室を後にした。
情報局は、今、多忙を極めている。
情報局には、魔法犯罪対策部という魔法犯罪対策に特化した部署があるのだが、今回の連続爆破事件は、現状、魔法犯罪とは言い難いものであり、故に出番はなさそうだった。
魔法犯罪ならば、即座に動き、犯人の検挙に至るのだが、今回はそういうわけにはいかないのだ。
もちろん、動いてはいる。
爆破事件が起きた直後、現場に急行した魔法犯罪対策部の導士たちは、爆発物の残骸を回収し、解析等を行った。それによって判明したのは、爆発物が央都に出回っている既存の部材で作られたものであり、入手経路から犯人を割り出すのは不可能だということと、製造過程に魔法を用いていないために固有波形を検出することができないということだ。
もし、魔法を用いて爆発物を作ったのならば、たとえわずかな破片しか残っていなくとも、固有波形を検出することは不可能ではない。
そして、固有波形を検出することさえできれば、犯人を検挙するのは極めて簡単なことだ。
だからといって、魔法を用いない犯罪行為への対応が遅れるということはない。
央都は、管理社会であり、監視社会だ。
ありとあらゆる情報が管理され、ありとあらゆる場所に監視カメラが配置されている。
それらの情報や映像から犯罪者を割り出すことも不可能ではなかったし、それによって固有波形の検出を行うまでもない場合も少なくなかった。
今回は、してやられている。
情報社会の隙を突いている、といっていい。
そして、連続爆破事件の犯行声明が出されたのは、午後七時を過ぎた頃のことだった。
十二件もの爆発事件が立て続けに起きたことで、葦原市内は騒然としていたし、央都全体が恐怖に包まれようとしている頃合いだった。