第四百二十三話 星を視よ、と、彼は言った(四)
「菫霧」
幸多が万里彩に肉迫した瞬間だった。
真言が朗々と響き渡り、魔法が発動したのだ。
菫色の霧が、幸多の視界を一瞬にして覆い尽くしたかと思えば、激しい衝撃が全身を襲った。
幸多は咄嗟に飛び退こうとしたのだが、わずかに遅かった。全周囲からの魔法攻撃を喰らい、その場から動けなくなってしまった。そして、直後には衝撃が腹を貫いている。
打撃。
それも重く強烈な一撃だった。
万里彩が、足刀での蹴りを幸多の腹を抉るように打ち込んでいた。
幸多は、軽々と吹き飛ばされながら、万里彩がこちらに一瞥もくれず、眼前に展開する魔法防壁に意識を割くのを見た。
真白の防型魔法だ。
「ばっかやろ!」
真白が叱咤してくるのは当然だったが、幸多としては満足の行く結果だった。
星将ほどの魔法士ともなれば、幸多の機先を制するような攻撃も想定済みであり、対応可能だということを身を以て理解した。
だから、充足感がある。
そして、万里彩が体術においても秀でた能力、技量を持っていることもまた、理解していたことではある。
星将なのだ。
あらゆる状況に対応できるように鍛錬を積み、研鑽を重ねてきている。それこそ、幸多の想像を遥かに凌駕する程度には、鍛え抜いてきたはずだ。でなければ軍団長になど選ばれまい。
磨き抜かれた体術は、幸多の身体能力を軽々といなし、圧倒しうる。
素の身体能力ならば、幸多が負けることはないのだろうといまならば自覚できるのだが。
そして、
「伍百弐式改・閃飛電」
「覇光千刃!」
「金剛投槍!」
「闇星!」
「天破裂!」
義一、隆司、友美、朝子、黒乃による一斉攻撃が、幸多が作ったわずかばかりの隙を縫うように放たれるのは、この夏合宿期間で培われてきた信頼関係に基づくものだろう。
幸多ならばそうするに違いないという、暗黙の了解にも等しい基本戦術を誰もが理解していたのだ。だからこそ、幸多が吹き飛ばされた瞬間、全員の攻型魔法が発動している。
万里彩に向かって複数の電光の帯が殺到すれば、無数の光線が全周囲から襲いかかり、金剛石の投げ槍が空中から降ってくるのとともに暗黒球が背後から迫り、とめどない破壊の力が真下から噴出する。
全周囲同時波状攻撃。
さすがの万里彩も分が悪いのではないかと思えたが、直後、幸多は、目を見開くこととなった。
魔法の数々が直撃する寸前、万里彩の全身から膨大極まる律像が展開するのを視たのだ。それは緻密にして複雑な多層構造の律像であり、瞬時にそれだけの律像を構築できるのは並大抵の技量の持ち主ではない。
星将――。
それくらいできて当たり前なのかもしれない、などと、感心している場合ではなかった。
義一たちが放った全ての魔法が着弾し、凄まじいまでの魔力の爆発が起きた。瞬間的な爆発の連鎖に次ぐ連鎖。それこそ、大災害でも起きたのではないかと思うほどのものであり、どれだけ強力な魔法士であっても、星将であっても一溜まりもないであろう破壊の嵐。
幸多は、着地とともにその破壊の光景を見ていた。全ての魔法が炸裂し、破壊の限りを尽くす様は、圧倒的といっていい。しかし。
「木花開耶姫」
万里彩の囁くような声が聞こえたのは、爆音が止んだ後だった。
だからそれは、真言などではない。
宣告だ。
魔法を発動したという宣告。
それも極めて強力な魔法であり、おそらくは星象現界なのではないかと推測したときには、幸多は、物凄まじい数の花弁の奔流に飲まれていた。
「うわっ!?」
「なんだよ!?」
「うそっ!?」
「そんなっ!?」
誰もが悲鳴を上げたのは、全員が全員、極彩色の花弁の渦に巻き込まれ、空中高く吹き飛ばされていたからにほかならない。
ただの花弁ではない。
花弁一枚一枚が高密度の魔力体であり、触れただけで大打撃を受けるほどの破壊力を秘めていた。
幸多は、上空に打ち上げられていく最中、全身がずたずたに引き裂かれ、激痛に苛まれた。
義一も、黒乃も、友美も、朝子も、隆司も、そして防手であり守りの要である真白ですら、花弁の奔流に飲まれ、全身を粉々に打ち砕かれたのだ。
そして、幻想空間上にそれぞれの幻想体が再構築されると、全員が、万里彩の姿を目の当たりにして、目を見開いたものである。
「これがわたくしの星象現界」
万里彩は、優雅に、そして流麗に、そこにあった。
戦場の真っ只中、膨大な魔力が集約する地点、空間そのものが歪んでいるように見えるのは、それこそ、万里彩の帯びた魔力の質量が凄まじいからにほかならない。
圧倒的な魔素質量であり、魔力総量。
それが星神力と呼ばれるものなのだということは、この場にいる誰もが理解していたし、幸多もわかっていた。
星象現界。
戦団の導士が奥義とする魔法の極致。
幸多は、師・伊佐那美由理の星象現界はよく知っている。
星象現界・月黄泉。
背後に白銀の月を背負い、月が輝いている間だけ時間を静止させる、極めて強力な魔法だ。
では、万里彩の星象現界は、なにか。
木花開耶姫というらしいそれは、万里彩の全身を極彩色の花弁で覆い尽くす衣として具現していた。色とりどりの花弁が、万里彩の美貌を際立たせるようであり、その美しさたるや筆舌に尽くしがたいものがあった。花で編まれた冠や髪飾りに装身具、ありとあらゆるものが花に関連するもので構成されている。
華やかとしか言い様もなければ、それ以上に適切な言葉が思い浮かばない。
幸多たちは、星象現界をその身に纏う万里彩の神秘的な美しさに見惚れるよりほかなかったのだ。
「あなた方には、星を視て頂きます」
「星を視る?」
「なんともまあ抽象的なことで」
「ですが、それが全てなのです」
万里彩は、導士たちを見回して、断言した。
「星象現界とは、戦団式魔導戦技の奥義にして、星の象を世界に現す術。己が星を視ることのできないものには、どう足掻いても到達できない境地。星神力も星象現界も、夢のまた夢」
万里彩が右手を翳すと、その動作に合わせて花弁が舞い踊った。色とりどりの花弁が虚空を踊り、螺旋を描く。星象現界によって具現する花弁は、その一枚一枚が極めて強力な魔力体であり、それだけで低級幻魔など容易く撃滅できるだろうことは、想像に難くない。
獣級幻魔など、触れるだけで消滅するのではないか。
「ですから、わたくし自らが星象現界を使い、あなた方に星を視せて差し上げようというのですわ」
万里彩は、告げ、地を踏みしめた。色とりどりの花に彩られた爪先から無数の蔓が伸びたかと思うと、それは激流となって幸多たちに襲いかかる。
「星を視ろったって、どうすりゃいいんだ?」
真白が憤然としながらも、魔法の防壁を展開する。幾重もの魔法防壁が蔓の奔流を受け止め、容易く打ち砕かれていくのは、それらの蔓が星神力の塊だからにほかならない。
魔力と星神力は、構成する魔素の質と量が段違いなのだ。
同じ大きさの魔力体ならば、星神力のほうが何倍、何十倍もの質量があるという。
故に、怒濤のように押し寄せる蔓を防ぐには、拠り強力な防壁を構築するしかないのだが、真白は間に合わせることができない。蔓が真白を捉えようとした瞬間、
「どうするもこうするも!」
幸多は、真白を蔓の目前からかっ攫うようにしてその体を抱いて飛び退くと、召喚言語を唱えた。
「防塞!」
視界を埋め尽くさんばかりの勢いで迫り来る蔓の奔流に対し、展開型大盾・防塞を召喚することで対処しようとしたのは、間違いではなかった。しかし、幻想空間上に出現した防塞は、展開した瞬間、蔓によってずたずたに引き裂かれ、ばらばらになって使い物にならなくなっている。
幸多は、真白を抱え上げたまま、何度も飛び退き、蔓の津波を躱し続ける。
「た、助かったぜ!」
「そんなことはいいから、さっさと星を視なよ!」
「はあ!?」
真白は、幸多の肩に担がれた状態で素っ頓狂な声を上げた。
「幸多もだろ!」
幸多は、真白の叫びには答えない。
蔓の津波は、留まるところを知らないのだ。