第四百二十二話 星を視よ、と、彼は言った(三)
獅子王万里彩による指導が幻想空間上で行われるということになって、一番喜んだのが真白だったのは、幸多にとっても想像通りだった。
夏合宿と万里彩といえば、長時間に及ぶ座学と決まっていて、それをもっとも苦手とするのが真白だったからだ。
真白は、座学よりも戦闘訓練を好んだ。しかし、考えることが苦手というわけではないというのが面白いところだろう。彼は、ただ闇雲に突っ込むような戦い方はしない。防手なのだから当然ではあるが、戦場全体の動きをよく見ていた。
ただ、教材と向き合っている時間が面倒くさいらしい。
だからだろう。
座学から解放された彼は、いつだって生き生きとしていて、いつも以上に暴れ回るものだから、手が付けられなかった。
とはいっても、真白は、防型魔法を得手とし、防手という役割を自認している。暴れ回ると言っても、防型魔法を乱用するくらいか、黒乃に当たりが強くなるくらいしかない。
それが黒乃には難点なのは間違いなかったが。
だから、黒乃も、万里彩が長時間の座学ではなく、戦闘訓練を行うと聞いて、ほっとしたようだった。最初から戦闘訓練なら、真白もいつも通りに安定した戦いぶりを見せてくれるに違いないからだ。
そんな九十九兄弟の関係性について、幸多は、この夏合宿で多少なりともわかるようになった。
同じ兄弟とはいえ、幸多と統魔とは、全く違う関係性だ。幸多と統魔は、どちらかといえば、対等に近い。互いに自分が兄だと言い張っていて、常に競い合っていた。
魔法では統魔には一切敵わないが、魔法を使わない状態ならば幸多が圧勝した。それも、互いに一歩も譲らない関係性の構築に影響しているのだろう。
一方、九十九兄弟は、といえば、双子である。髪色こそ異なるものの、顔立ちやら背格好やらなにもかも瓜二つだ。顔つきも微妙に異なるが、誤差の範囲だろう。
そんな二人だが、兄は真白で、黒乃は弟であると自認しているし、互いにそういう役割であると認め合っているようだった。
兄である真白は、弟である黒乃のことをよく見ていたし、彼のためならばなんだって出来るような、そんな気配すらあるのだ。
いつも口喧嘩をしているような印象もあるが、実際の所、凄まじく仲が良い。
兄弟といえば、夏合宿には金田姉妹もいる。朝子と友美の姉妹は、皆代兄弟、九十九兄弟とは違って、明確に年齢差のある姉妹である。幸多が二人を初めて見たときの印象としては険悪で剣呑極まりないものだったのだが、どうやら、それは対抗戦のときだけのものだったらしく、普段は、極めて仲が良かった。
いつだって二人一緒にいて、常に義一を困らせている。
そんな兄弟姉妹が四人と幸多、伊佐那義一、菖蒲坂隆司の三人を加えた七名が、幻想空間に潜行し、第十一軍団長にして星将・獅子王万里彩と対峙している。
戦場は、水穂市沢女町のど真ん中辺りであるらしい。
水穂市といえば、幸多が生まれ育った都市であり、央都四市の中では最も新しい都市である。とはいっても、出雲市、大和市、水穂市の三市は、同時期に次々と開発され、誕生しているため、わずかな差でしかないのだが。
水穂市は、央都四市の中でも河川の多い都市として知られている。
央都で最も有名な河川といえば、葦原市を貫く大河・未来河だが、水穂市には未来河に匹敵する大河・青龍河があり、そのいくつもの支流が沢女町を北から南に貫いていた。
今回の戦場に選ばれた地域には、青龍河の支流である蛟竜河が流れていて、蛟竜河のさらなる分岐点があった。
蛟竜河は、沢目町の北から南へ流れ落ちていく中で三つに分岐している。
蛟竜河本流と蛟川、竜川の二つの支流である。
そのうち、幸多たちが立っているのは、蛟竜河から蛟川が分岐している地点であり、その分岐点を背後にして、獅子王万里彩が立っていた。
抜けるような蒼穹の下、流れる水の勢いは凄まじく、水飛沫が万里彩に降りかかっているようでありながら、しかし、星将は一切濡れていなかった。
水飛沫が、彼女を避けている。
なぜ、万里彩がこの地を戦場に選んだのかについては、ある程度幸多も想像がついていた。
得意属性という奴だ。
魔法には、属性と呼ばれる八種の性質があり、魔法士は、生まれつき得意とする属性が決まっている。得意属性と不得意属性は表裏一体であり、終生変わることはない。故に、得意属性の魔法をこそ研鑽し、高めていくことが大事であり、そのための見極めが最も重要といえる。
得意属性を知らないまま不得意属性の魔法を鍛えることほど無駄なことはなく、だからこそ、魔法士は幼少期に属性検査を受けることになるのだ。
当然ながら、幸多には得意属性も不得意属性もない。属性そのものがないのだ。
『いわば無属性だな!』
などと、合宿中にいってきたのは、真白だったが。
さて、獅子王万里彩である。
第十一軍団長である彼女が得意とするのは、水属性の魔法だ。軽々と膨大な量の水を生み出して操り、幻魔を圧倒する瞬間の映像は、何度も見たことがあった。
星将なのだ。
強くて当たり前であり、だからこそ、幸多は、拳を握り締めて興奮を抑えつける。
星将と戦うことができるというのは、それだけで大きな経験になり、力になる。
「それでは、皆さん、準備はよろしいかしら?」
獅子王万里彩のたおやかな振る舞いは、ここが戦場であることを忘れさせるほどに優雅で、気品に満ちている。挙措動作の一つ一つが洗練されていて、言葉遣いもいつだって綺麗だった。
誰もが思わず見惚れ、聴き惚れてしまうほどに。
しかし、ここは戦場で、相手は敵だ。
さすがに万里彩の言動に翻弄されるものは幸多たちの中に一人としていなかった。全員が大声で頷く。
「はい!」
すると、万里彩はわずかに微笑した。同時に律像が展開する。一瞬にして膨れ上がった魔法の設計図に込められた情報量の莫大さは、一目見ただけで圧倒されかねないほどのものだ。
幸多は、それもまた魔法士の戦い方の一つだと、聞かされたことがあった。
魔法士同士の戦いでは、律像を見せつけ合うことになる。
魔法は、想像力の具現である。
体内に満ちた魔素を魔力へと練成した後、行使するべき魔法を頭の中で考え込み、作り上げていくのだが、その想像が、複雑怪奇な紋様となって魔法士の周囲に投影されるのが、律像である。どれほど熟練の魔法士でも、凄腕の魔法士であっても、律像を掻き消すことは出来ない。
律像とは、魔法の設計図そのものなのだ。
だから、優秀な魔法士は、相手の律像から魔法の構造を読み取り、即座に対応する魔法を構築することが可能であるという。
そして、故にこそ、万里彩が今行っているような方法が戦術として利用できるのだ。
律像を構成する膨大な情報量によって相手を圧倒し、その瞬間に生じた隙を衝く。
単純なようでいて、万里彩のような圧倒的な魔法技量がなければ、真似することの出来ない戦法だ。
同時に、相手の魔法技量も相応に高くなければ意味がない。
魔法技量の低い魔法士は、相手の律像を読み解こうなどとはしないからだ。
つまり、万里彩は、それだけ義一たちの実力を認めているということになる。
幸多は、
(関係ないけどね)
内心、苦笑とともにつぶやいた。
そう、幸多には、一切関係がない。
この義眼によって律像こそ視えるようになったものの、それによって得られる情報というものは、ほとんどなかった。
魔法を発動しようとしているかどうか。
幸多に理解できるのは、それだけだ。
そして、それだけで十分だ。
幸多は、地を蹴って、飛び出している。
万里彩が、目を見開いた。




