第四百二十一話 星を視よ、と、彼は言った(二)
朝彦の全身に満ちていた魔力が爆発的に膨れ上がったかと思うと、急激に収束した。
それはさながら魔素が魔力へと練成されていく過程にも似た現象だった。
魔素。
エーテルともいう。
魔素は、魔法士のみならずあらゆる生物の体内に満ちているものだ。常に生産され、古くなったものから体外へと排出される。さながら老廃物のように。
魔素を魔力へと練成するには、そうして排出される魔素すらも意識的に体内に押し止め、強引に練り上げていく必要がある。
一度練り上げた魔力は、魔力という形である程度体内に留まり、やがて溶けていく。
魔力。
マグナ・エーテルともいう。
魔力を常時維持し続けるというのは、精神的な負荷を考えれば不可能に近く、故に、必要に応じて魔素を魔力へと練成するのが定石である。
そして、大量に練成した魔力をさらに凝縮、練成することによって起こるのが、昇華と呼ばれる現象である。
統魔は、朝彦の体内で起きているのであろう魔力のさらなる練成を想像しながら、師に教わったことを思い出していた。
戦闘部の星将ならば、軍団長ならば、誰もが体得している技術であり、戦団における魔法の奥義といっても過言ではないそれは、しかし、誰もが簡単に体得できるものではない、という。
星象現界。
星の象を世界に現すという意味だ。
星とは、なんなのか。
統魔は、麒麟寺蒼秀から伝え聞いた言葉を脳裏に巡らせる。
『星とはなにか。それを言葉で伝えるのは難しい。星は、星としか言い様がないからだが。そして、かつて偉大なる魔法士が伝え残した言葉にもこうある。星を視よ、と――』
その間にも、朝彦による魔力の昇華が終わった。魔力は、その瞬間、星神力と呼ばれる状態へと変化し、朝彦の全身に充ち満ちた。
星神力。
アストラル・エーテルともいう。
魔力が魔素と全く別物へと変化したように、星神力もまた、魔力とは全く別次元の状態である。
魔素は、この宇宙に偏在している。
万物に宿る要素であり、大気中、真空中にすら存在している。ただ存在しているというだけで、なにか力を発揮するわけではないが、存在していなければならないものでもなる。この宇宙を成立させている要素であり、万物の素、万素とも呼ばれるものだ。
そんな魔素を元に練り上げて生み出された魔力は、大きな力を持つ。世界に多大な影響を与え、変化させ、変質させ、変容させる力。術者の望みを世界に具現する、奇跡の片鱗。神秘の具象。
魔法の源。
つまり、魔素と魔力の間には、埋めがたい差があるのだ。
そして、魔力と星神力の間にも、隔絶した差がある。
魔力は、魔法の源だ。
星神力は、魔法の源であると同時に星象現界を発動するために必要不可欠な要素である。
故に、魔力を星神力へと昇華することが出来なければ星象現界は使えないということなのだが、優れた魔法士ならば必ず出来るものというわけではないらしい。
星を視よ、と、彼はいった。
朝彦の双眸が煌めき、全身の星神力が場を圧するようにその輝きを強めていく。まるで鬼級幻魔と対峙しているときのような緊迫感が統魔の全身を強張らせたし、法機を握る手に力が籠もった。
朝彦の全身から律像が展開した。複雑にして緻密、膨大にして多量な紋様が幾重にも構築され、瞬く間に密度を増していく。凄まじいまでの想像力によって構成される魔法の設計図。
それを目の当たりにした皆代小隊の全員が、ただそれだけのことで気圧された。
「秘剣・陽炎」
朝彦が真言を発した瞬間、強烈な閃光が彼の全身から放たれ、熱波が幻想空間を満たした。物凄まじい熱気と光は、場を圧するのではなく、むしろ彼の右手に収斂し、一振りの剣を形成していく。
眩いばかりの光を帯びた両刃の長剣は、装飾も煌びやかで、派手派手しい。身の丈ほどもある長さの刀身は、それだけで圧力を感じる。鍔には太陽を想起させる紋様があり、その太陽が光を放っているようだった。
「これがおれの星象現界や」
朝彦は、陽炎と名付けた魔法の剣を軽く構えると、統魔たちを見下ろした。眼下、皆代小隊は隙だらけに見える。いや、身構えてはいたし、いつでも対応できるように準備してはいるのだが、それでは、遅すぎる。
「って、なに棒立ちしとんねん」
朝彦が告げたときには、勝負は決している。
朝彦は、背後を振り返り、地に伏した皆代小隊の六名を見た。全員、朝彦を捉えることができないまま、無様にも切り伏せられたのだ。
「相手の準備が終わるまで待ってから行動せなあかんとでも習ったんか? どんなお上品な戦い方やねん。きみらが戦わなあかん相手は人間ちゃうねんで」
朝彦は、六名の幻想体が瞬く間に修復されていくのを見届けながら、叱責を飛ばす。
「おれ、隙だらけやったやろが」
「いや、でも、だって……」
「攻撃していいのかなって」
「良いも悪いもあるかいな。これが実戦やったら、きみら全員死んどるで」
「実戦だったら対応してますう!」
「……ま、せやな」
頬を膨らませながら突っかかってきた新野辺香織の意見に理解を示しながらも、朝彦は、剣を掲げた。刀身が光を発し、彼の姿が六人の視界から掻き消える。
そして、次の瞬間には、統魔たちは切り刻まれて地に伏していた。
「それが、あかんねん」
朝彦は、またしても六人を背後に振り返ると、駄目を出した。
六人の幻想体が回復するのを待って、三度、剣を掲げる。
「実戦で敵が待ってくれるわけないやろ」
「酷い、酷すぎる!」
香織が叫んだのは、真言だった。瞬時に構築された律像が拡散し、幻想空間に魔法が具象する。香織が掲げた両手の先に生じた強烈な雷撃が、大地を抉りながら朝彦に殺到する。
朝彦は、軽く剣を閃かせ、雷光を真っ二つに切り裂いて見せた。
「そんなもん、いまのおれには届かん」
いうが早いか、
「月華烈風!」
「焔王双破掌!」
「撃光雨!」
「空破弾!」
「護波壁!」
残る五人がほぼ同時に魔法を発動させてきたものだから、朝彦は、その対応に追われた。
とはいえ、星象現界を発動した彼にとっては、全てが児戯に等しかった。まず、ルナの攻型魔法は、近距離用のものであり、朝彦の一太刀で彼女の強靭な肉体ごと断ち切ることに成功する。
次に、左右から朝彦を挟み込むように殺到してきた炎の腕だが、陽炎の能力によって立ち位置を誤認させることによって回避し、さらに突っ込んできた突風には剣を閃かせて対応する。
そして、頭上から降り注いできた光の雨は、陽炎を掲げることによって対応した。陽炎の放つ星神力が、無数の魔力の塊を吹き飛ばしたのだ。
星神力は、超高純度の魔力であり、密度、質量ともに次元が違うのだ。
だからこそ、星象現界は、奥義たり得るのであり、戦団導士の全員が修得するべき技術だと断言できる。
だが、誰もが修得できるのであれば、苦労はない。
朝彦が、時折、このようにして部下相手の訓練中、星象現界を披露し、徹底的に叩きのめすのは、彼らに星象現界の強力さを身を以て知ってもらいたいからであり、同時に、自分たちの力がいかにか弱いものであるのかということを理解させておきたいからだ。
星象現界を使えない導士は、鬼級幻魔と戦えない。
星象現界を使うことで、ようやく、鬼級幻魔と同じ土俵に立てるようになるのだ。無論、それは最低限必要な条件であり、星象現界を使いさえすれば、それで鬼級幻魔に勝てるわけではない。
鬼級幻魔は、それほどまでに強力で、凶悪だ。
鬼級幻魔による暗躍が顕在化した今、戦団は、さらなる戦力の強化を求められている。
朝彦は、将来有望な若手導士たちにこそ、戦団を強くする可能性を見たいのだ。
彼ら一人一人が星象現界を修得することができれば、それだけで戦団の戦力は、大幅に増大する。
戦闘部一万二千人の導士全員が星象現界の使い手となれば、〈七悪〉とて敵ではあるまい。
朝彦は、皆代小隊に何十度目かの全滅を経験させながら、秘剣・陽炎を構えた。
皆代小隊の隊員たちの目は、やる気に満ちている。
(思てた通りやな)
朝彦は、内心、ほくそ笑みながら、陽炎の能力を解放した。
皆代統魔率いる皆代小隊は、ただ、市民から期待されているだけではない。
全員が、戦団の導士であるという自覚を持ち、市民のために、央都のために、戦団のために、強くあろうという意識を持っているのだ。
だからこそ、これだけ打ちのめされてもへこたれないし、俄然、やる気を燃え上がらせることができるのだ。
朝彦は、そういう導士が好きだった。