第四百十八話 杖長・味泥朝彦(四)
味泥朝彦は、第九軍団の杖長である。
杖長とは、戦闘部十二軍団の各軍団における幹部相当の導士といっていい。
戦闘部が軍団制に移行したのは、およそ五年前、光都事変の直後のことだ。
光都事変は、戦団に多大な損耗を強いた。
鬼級幻魔の出現が確認されたことによって、光都には六名のもの星将が派遣された。それら六名の星将は、鬼級幻魔との死闘の末に命を落としている。
それまで部隊制であった戦闘部は、戦団の大再編に伴い、軍団制へと移行、軍団長を頂点とする組織へと作り直された。
その際、杖長と呼ばれる役職が設けられたのだが、杖長には、各軍団上位十名の導士が任命されることが定められた。
軍団長、副長を除く、上位十名である。
つまり、朝彦は、第九軍団の上位十名の実力者だということだ。さらにいえば、朝彦は杖長筆頭と呼ばれてさえいる。
それだけの実力者であり、誰もが一目置く存在といっても過言ではない。
次期副長候補とも、将来の星将候補筆頭ともいわれるほどなのだ。
そんな彼が、いまもっとも気になっている第九軍団の導士というのが、本荘ルナである。
本荘ルナ。
彼女が第九軍団に入ったのは、今月の頭だ。そして、先月の末に彼女の存在が確認された。その場には、朝彦もいた。彼女が人間ならざる、幻魔ならざる、未知の存在であるということも、朝彦は把握している。
その破廉恥極まりない格好も、彼女が人間ではないからこそ許されている側面もあるだろう。導衣を身につけることもできなければ、それ以外の衣服に着替えることも出来ない、極めて難儀な体質らしい。
人によっては、眼福というのだろうが。
朝彦は、彼女をそのような目で見ることはできなかった。
ルナが、統魔に代わって、朝彦の前に立った。訓練を受けたいというのだろう。
「よ、よろしく、お願いします」
「おう。口の利き方にも気をつけたな。偉いで」
「は、はい」
「……随分、緊張しとんな」
ルナの顔が普段とは打って変わって強張っているのを見て、朝彦は、なんだか不安になった。本当に彼女は、人間ではないのか、と。本当は人間で、人間が人外の振りをしているだけなのではないか、と。
そんなことはありえないのだが、そう考えてしまうくらいには、ルナの態度が人間じみていた。朝彦との訓練を前にして、どうしようもなく硬直してしまっている。
とはいえ、それをどうにかするのは、彼の役割ではない。
朝彦は、皆代小隊の面々を一瞥し、彼らが彼女のことを心配気味に見守っている様子を確認する。ルナが皆代小隊の一員として受け入れられている事実には、安心するべきなのか、どうか。
安心するべきなのだろう。
彼女は、人外の怪物だ。人間の姿形をした、人ならざるもの。
そんなものを戦団は受け入れた。
それもこれも、彼女が、人のために、誰かのために、自らの命を差し出すことの出来る精神性の持ち主だということがわかったからだ。利他的であり、献身的であり、自己犠牲的――戦団に導士として迎え入れるには十分な精神性だろう。
精神性では、だが。
「じゃあ……始めよか」
「は、はい!」
緊張感たっぷりのルナの返事を聞いたときには、朝彦は、律像を構築していた。そしてそれは、ルナも同じだ。複雑怪奇な紋様がルナの周囲に展開していく様は、彼女が魔法をそれなり以上に使えることを示している。
が、朝彦の魔法の完成のほうが格段に早い。右腕を掲げ、真言を唱える。
「七百弐式・眩曜球」
朝彦の右手の先から閃光が生じたかと思うと、巨大な球体を形成、瞬く間にルナに向かって飛んでいった。ルナが慌てて飛び退っても、光球は当然のように対象を追尾していく。
朝彦が使う魔法は、戦団式魔導戦術である。
戦団式魔導戦術は、伊佐那流魔導戦技を源流とする魔法の流派だ。星央魔導院から戦団に入った導士ならば誰もが学び、体得しているものだが、ルナのように別口で入団した導士は一から学ぶ必要がある。
もっとも、魔導院以外からの入団者の多くは、魔法士としてある程度の実力、技量を持っているものであり、改めて別の流派の魔法を叩き込む必要性というのは、薄いのだが。
ルナは、どうか。
朝彦は、それを見極める必要があると考えていたし、そのためにこそ、今回の衛星任務では皆代小隊に目をかけているのだ。
ルナの見極め。
それは、彼が軍団長・麒麟寺蒼秀から厳命されたことでもある。
本荘ルナが本当に戦団にとって有益な存在なのか。それとも百害あって一利もない存在なのか。そして、有益な存在ならば、その使い道はどこにあるのか。彼女の能力、性質、素養――あらゆる面で、本荘ルナのことを調べ上げなければならない。
蒼秀も、ルナの存在を許容した一人だ。しかし、同時に危惧してもいる。
朝彦のように、彼女に精神支配されていたという事実があるからだ。そしてそれは、拭いがたい悪感情となって心の奥底に蹲っていて、消し去りようがない。自分の意志がねじ曲げられ、彼女の思うがままに操られていたという事実。
その記録映像を見れば見るほど、嫌な気持ちになったものだ。
統魔だけがルナに支配されなかった。その理由も原因も解明されていないが、もしかすると、本当は支配されていたのではないか、と思わないではない。
光球がルナに直撃し、爆光を撒き散らす様を見つめながら、朝彦は目を見開く。爆光の狭間で律像が完成したからだ。
「月華烈風!」
真言が鋭く響き、つぎの瞬間には、眩い剣閃が爆光ごと虚空を切り裂いていた。
朝彦は、躱している。
視界を真っ二つに切り裂いた魔法の刃は、朝彦こそ捉えられなかったものの、威力、精度ともに決してか弱いものなどではなかった。
少なくとも、先程までの緊張感に満ちた少女から放たれるような魔法ではない。
「猫かぶっとったんかい」
やがて爆煙が失せると、朝彦の前方には、無傷のルナが立っていた。先程の魔法を放った構えのまま、だが、一切傷を負っていないというには、朝彦も驚きを隠せなかった。
が、すぐに理解する。
「なるほど。頑丈やな」
「人間じゃないんで!」
ルナが叫ぶようにいって、地を蹴った。一瞬にして上空へと至るその跳躍力には、目を見張るものがあったが、しかし、あまりにも直線的すぎた。
朝彦は、その場から飛び退くと、ルナが落下してくるのを見届けることもなく、魔法を唱えている。
「七百肆式・閃明波」
ルナの落下予測地点が突如として眩く輝くと、膨大な光が奔流となって立ち上る。光の嵐が落下中のルナへと襲いかかり、その全身を蹂躙するかのようだったが、やはり、彼女は顔色一つ変えることなく着地し、猛然と朝彦に突っ込んでいく。
「魔法の訓練やで」
朝彦は、前方に光の壁を生成すると、大きく左に飛んだ。凄まじい破壊音とともに光の壁が砕け散る。
「なんやねん……」
ルナの突進のあまりの威力に唖然としながらも、朝彦は、さらに跳躍してその場を離れた。魔法の刃が唸りを上げて、虚空を切り裂く。
月華烈風。
ルナの攻型魔法が、先程まで朝彦が立っていた場所を切り裂いていた。
「やるやん」
朝彦は、少し考えて、空中に移動すると、地上のルナに向かって光弾の弾幕を張った。無数の光弾で視界を埋め尽くしていく。
しかし、ルナはものともしない。
光弾の真っ只中を当然のように突っ込んできたものだから、その無法ぶりには、さすがの朝彦も憮然とするほかなかった。
ルナは、人外の怪物であることの特性を存分に発揮しているのだ。