第四百十六話 杖長・味泥朝彦(二)
衛星任務は、衛星拠点で一ヶ月間生活するのと同じだ。
そして、当然のように連日連夜任務に就くわけではない。
そんなことをすれば導士たちの心身が持たなくなり、どれだけ強固な防衛網も途端に脆弱なものと成り果てる。
導士には、均等に休養日が与えられ、その日一日はなにをしていても構わないとされている。日がな一日眠りこけていようと、趣味に興じていようと、恋や愛に現を抜かしていようと、導士に与えられた権利を駆使することをとやかくいうものはいない。
大切な休養日を訓練に費やしても、だ。
「わたしは不満なんだけど」
と、ルナが頬を膨らませたのは、せっかくの休養日だというのに、突如として幻想訓練を行うことになってしまったからだが。
統魔は、そのことに不服がなかった。自分より格上の導士に直接指導してもらえる機会というのは、そう簡単に得られるものではない。
味泥朝彦が、自ら指導役を買って出てくれたのだ。
少しでも強くなりたい統魔にとっては、願ったり叶ったりの状況だった。
ルナにとっても悪い話ではないはずだった。
ルナは、ついこの間まで一般市民だった。彼女の魔法技量は、一般市民と同程度に過ぎなかったのだ。それでは幻魔との戦闘に連れて行けるわけもない。ルナを皆代小隊の一員として任務に同行させる以上、彼女にも相応の力を付けてもらう必要がある。
いや、技量というべきか。
力そのものは、あった。
ルナの魔法士としての素養そのものは、並外れている。
彼女が人間ならざるものであることの証左が、そこにあるというべきか。
圧倒的な魔素質量を誇り、練成される魔力の総量も膨大極まりなかった。
問題があるとすれば、その莫大な魔力を上手く出力することができていないというところだ。
一般の魔法士が強力な魔法を行使することがないように、ルナもまた、その強大な魔力を駆使する機会がなかったのだ。
彼女が人間から人外の存在へと変容したのも、つい最近であり、それによってその身の内に溢れる莫大な魔素を得たのだと言うことも、関係しているのだろうが。
ルナは、戦闘部所属の導士となった。
幻魔と戦う使命を帯びたのだ。
そうである以上、日夜鍛錬と研鑽を積み、魔法士としての実力を向上させていかなければならない。
無論、ルナもそんなことはわかっているし、苦手な魔法の訓練も毎日欠かさずやっている。任務にだって同行し、幻魔との戦いがどういうものなのかも、実際に肉眼で見て、肌で感じてきている。
皆代小隊の一員として自分がなにをするべきなのか。
様々に考えながら、模索している最中だった。
だからといって、せっかく統魔を堪能できるはずの休養日が訓練で潰されるのには、文句の一つもいいたくなるものだ。
とはいえ、統魔の決断に対し意見などできるわけもなく、仕方なく、ルナも付き合うことになった。
そして、幻想訓練が始まったのだが、初戦は、味泥朝彦の強大な魔力の前に、統魔が為す術もなく打ちのめされてしまった。
空白地帯の死の大地を模した幻想空間。その黒々とした大地の異形としか言いようのない地形が、朝彦と統魔の魔法の衝突によって穴だらけになっている。
そして、朝彦は、高々と聳える岩柱の上にいて、地面に打ちつけられた統魔を見下ろしていた。青ざめた空に太陽はなく、雲もない。吹き抜けるのは、底冷えするような冷気だ。
この異常気象もまた、空白地帯の再現といえる。
「さすがは味泥杖長だな」
「うーん、圧倒的」
「煌光級二位だもんね」
「第九軍団では八咫副長に次ぐ実力者ですから」
「なんなの……」
ルナは、皆代小隊の面々が朝彦の実力に素直に感心する様に憮然とした。誰もが統魔のことを心配していないどころか、朝彦のことを賞賛しているのだ。ルナには信じられない。
無論、央都市民の一員として、味泥朝彦のことを知らないルナではない。
字がいったように、第九軍団では軍団長、副長に次ぐ実力者であり、第九軍団の序列における第三位の魔法士なのだ。
その魔法技量は並外れたものであり、超新星と呼ばれ、市民や導士から多大な期待を寄せられる統魔を圧倒するのも、当然の結果といっていい。
互いに光属性の魔法を得意とするということもあり、より、実力差が明白になっている。
地に伏していた統魔が立ち上がり、頭上の朝彦を睨み付ける。激闘の末、傷だらけだった全身は、あっという間に元通りになっており、そういう意味ではなんの心配もいらない。
ここは幻想空間。
虚構の世界。
けれども、ルナには、この上なく現実味を帯びたものに見えているから、心配になる。
統魔の表情は、真剣そのものだ。本当の戦場の真っ只中にいるような、そんな気迫すらある。
「麒麟寺はんからも面倒見てやってやーっていわれてんねん。同じ光属性同士、仲良うしてやってやーってな」
「師匠は、そんな口調じゃないですよ」
「あのなあ」
朝彦は、律像を展開しながら、眼下の統魔を睨み据えた。統魔の周囲にも律像が浮かんでいる。複雑で精緻な紋様。大規模な破壊を想像させる、魔法の設計図。
「そんなん、どうでもええねん!」
朝彦は、その言葉をこそ、真言とした。
真言とは、魔法を発動するために必要な言葉である。
魔法は、魔力の練成、律像の形成を経て、真言の発声によって完成し、発動する。魔力を体外に放出する方法として、もっとも簡単かつ効果的なのが発声であり、故にこそ、真言が魔法を構成する三大要素の一つに挙げられるのだ。
そして、真言として用いる言葉は、なんでも良かった。なんなら、言葉である必要すらない。
練り上げた魔力を音声として体外に放出すること――真言に必要なのは、それだけだ。
だから、声を上げるだけでもよければ、会話の中で発した言葉をそのまま真言として利用することも可能だった。
もっとも、それには相応の魔法技量が必要であり、誰もが簡単に真似の出来るものではないのだが。
朝彦には、それができる。
振り下ろした手の先に爆発的な光が生じたかと思うと、巨大な壁となった。直後、光の壁が凄まじい爆撃を受けたのは、統魔の魔法が激突したからだ。
統魔は、魔法を放つと同時にその場を飛び離れていた。導衣に仕込んだ簡易魔法によって空を飛び、朝彦との距離を離す。
魔法士同士の戦いは、超高速戦闘であるのとともに、中・遠距離戦闘であることが多い。互いに遠距離攻撃手段を持っていて、それも破壊力抜群だという前提があるからだ。
相手の攻撃をやり過ごしながら必殺の一撃を叩き込むには、やはり、しっかりと距離を取るべきだろう。同時に時間稼ぎも行わなければならない。
「護光霊」
統魔が真言を発すると、いくつもの光の塊が彼自身を取り囲むように出現した。それらはまるで意志を持つかのように統魔の周囲を漂い続けていたが、不意に統魔の移動方向とは真逆に向かって飛び出していく。
五つの光塊が向かった先には、統魔に迫り来る朝彦がいた。彼も空を飛び、猛然と突っ込んでくるところだった。
五つの魔力体が朝彦に殺到する。
朝彦は、空中で素早く身を翻しながら魔力体を躱し、即座に魔法を唱えた。光の剣を生み出し、魔力体を次々と切り伏せていく。
その間、統魔は、遥か眼下に朝彦を捉えていた。想像を巡らせ、強固なものとし、律像を形成していく。朝彦が統魔を仰ぎ見た。その周囲に魔法の設計図が構築されている。
「七星光!」
「烈煌陽!」
二人の魔法が同時に発動し、莫大な光が生じた。幻想空間全体が白く塗り潰され、なにもかもが飲み込まれていくようだった。
凄まじい破壊が嵐のように吹き荒び、色も音もなにもかもが掻き消えていく。