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第四百十一話 おおかみのこども(十三)

 春雪はるゆきは、その日、朝から気が重かった。

 昨夜の出来事を誰かに明かすことなど出来るわけもない。直属の上司である城ノ宮明臣(じょうのみやあきおみ)にも、局長の上庄諱かみしょういみなにも、隠し通さなければならない。

 でなければ、家族の身に危険が及ぶ。

 透明人間たち〈おおかみのこども〉がどの程度の規模の組織なのかは、不明だ。しかし、単独犯などではないことは疑いようがない。

 まさか、たったひとりで地上に上がってきて、〈フェンリル〉が成し遂げられなかった太陽奪還計画を実行しようなどとは想うまい。

 仮にそんなことを本気で考えているのだとすれば、狂人以外のなにものでもない。

(いや、狂人か)

 春雪の脳裏のうりには、透明人間の輪郭りんかくしか見えない顔が、確かに狂気に満ちた笑みを浮かべている様がよぎっていた。表情などわかるはずもないのに、そういう顔をしているのではないかと想像させる。

 そうでなければ、この央都に、戦団に対抗しようなどとは考えまい。

 理性があれば、戦団の圧倒的な力を前に目を覚ますものだ。

 かつての春雪がそうであったように。

「なんだか顔色が悪いようだが、大丈夫なのかね?」

 不意に話しかけてきたのは、春雪の上司である。

 春雪は、明臣を振り返りながら、微笑した。明臣の心配性ぶりには、時折、苦笑してしまう。

「ええ、体調そのものにはなんの問題ありませんよ」

「ふむ。ならば、ますます気になるところだ。医務局に話を通しておく。時間が空き次第、行ってきたまえ」

「は?」

てもらえといっているんだよ」

「しかし……」

「きみには大切な家族がいるんだろう。家族のためを想うのであれば、なによりも自分の体を大切にしなさい。これは上官命令だ」

「は、はい……わかりました」

「うむ。それでよい」

 春雪が渋々ながら頷くと、明臣は、いつになく満足げな顔をした。こうした明臣の気遣きづかいは、普段通りのものであり、春雪の表情や態度からなにかを感じ取ったわけではないのだろう。

 明臣は、情報局の副局長として、常に局員のことを気にけている。

 局長たる上庄諱が多忙であり、局室内のことに関しては明臣が一任されているということもあるのだろうが、生来の世話焼きだということも大いに関係しているはずだ。

 昔から、そうだった。

 春雪が戦団に入り、情報局に配属された直後から明臣は彼の直属の上司であり、手取り足取り教えてくれたものだ。戦団のこと、情報局のことだけでなく、央都での生活の仕方や、美味しいラーメン屋、品揃えの良い雑貨店、はたまた春雪の趣味である書物集めに関しても、様々に助言をくれたものである。

 特に肝に銘じているのは、書物好きが高じて、高額な書物には手を出さないことだ。

 いくら導士が高給取りとはいえ、趣味のために身を崩すようなことがあっては導士の名折れというほかない。

 明臣は、常々、導士とはどうあるべきかについて考えている人物であり、だからこそ、春雪の不調を心配してくれたのだろう。

 明臣は、情報局副局長として様々な修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者でもある。

 春雪がいつもとわずかに違う素振りをしただけで、なにか感づいたのではないか、と、ついつい想像を巡らせてしまう。

 そんなことはあり得ないとはわかっていても、だ。

 春雪が今日の出勤後、真っ先にやったことといえば、央都監視網の確認である。

 央都四市には、厳重極まりない監視網が敷かれている。ありとあらゆる場所に監視カメラが設置されていて、常にその眼を光らせているのだ。それもこれも魔法犯罪が横行しかねない社会であり、幻魔災害がいつ発生してもおかしくないからだ。そうした兆候を見逃さないためにも、出来る限り死角を作らないよう、監視カメラが配置されている。

 央都は、監視社会なのだ。

 ただし、監視カメラが捉えた映像が常に視られているわけでもなければ、なにかしらの異変の兆候でも捉えていない限りはそれらの記録映像が使用されることもなく、ノルン・システムが保存する膨大な記録の一部になるだけに過ぎない。

 一般市民は、自分たちが監視されているという感覚すら抱かないだろう。

 なぜならば、カメラがどこに配置されているのかすらわからないからだ。

 春雪自身全ての監視カメラの設置場所を理解しているわけではなかったが、昨夜の散歩中の彼が監視カメラに捉えられていないわけもなく、だからこそ、記録を漁ったのだ。

 そこには、散歩の途中で立ち止まり、背後を振り返った春雪の姿が遠目に映っていた。角度的には、春雪の表情などはわからない。しばらくして、携帯端末を取り出した春雪は、そそくさと来た道を引き返していく。

 そんな記録映像を見たのは、そこに透明人間の輪郭すらも映っていないことを確認するためだった。

 そして、〈おおかみのこども〉の一員であろう透明人間の姿が一切認識されていないことになんともいえない気持ちになったものである。

 春雪が、透明化の魔法を使った魔法士となにやら話し込んでいたことは、その映像からは確認できない。よって、春雪がなにかしら疑われるということはないということだ。

 だが、同時に、透明化の魔法を使われては、監視カメラも無力だということには、虚しさすら覚える。どれだけ監視を強化しても、高度に進歩した魔法の前では意味を為さない。

 もっとも、透明化の魔法を使えば、どんな犯罪に手を染めたとしても捕まらないかといえば、そんなことはないのだ。

 魔法は、魔力の発露である。魔力は、魔素の塊であり、魔素は固有波形を持つ。

 魔法は、魔力を残留させるものなのだ。

 どれだけ高度な魔法で身を隠そうとも、魔法を使った事実は世界に残り続ける。

 そして、残留した魔力を調べれば、固有波形から身元を特定するのは容易だ。

 央都に生まれ育った人々は無論のこと、央都に上がってきたネノクニ市民の固有波形は、全て、央都政庁に提出されており、ノルン・システムに登録、管理されている。

 魔法犯罪が全く割に合わないといわれる理由のひとつが、そこにある。

 とはいえ、監視カメラに透明人間そのものが映っていなかったことには、春雪は胸を撫で下ろすような気分でもあった。

 透明人間は、〈おおかみのこども〉の一員であって、近藤悠生こんどうゆうせいではないのは間違いなかった。近藤悠生に関する情報は、徹底的に調べ上げられ、音声情報まで入手できている。

 近藤悠生の声と、透明人間の声は、全く別人のものだった。

 つまり、〈おおかみのこども〉は単独犯などではなく、複数名の人員からなる組織だということだ。

 近藤悠生が地上に上がってきてからの足取りもまた、判明している。

 彼が複数名の央都市民やネノクニ市民と関わりを持っていることもわかっているのだが、それら全員が〈おおかみのこども〉と関係しているわけではあるまい。

 春雪は、頭を抱えたくなりながらも、本来の業務を続けた。

 そして、時間を作り、上官命令に従うことにした。

 命令である以上、従わないわけには行かなかったし、明臣の厚意を無下にしたくはないという気持ちもあった。

 春雪は、明臣を心底尊敬しているし、彼が上司で良かったと何度思ったのか数え切れないくらいだった。

 そんな上司に隠し事をしているという後ろめたさは、もはや今更過ぎてどうしようもないことでもあった。

 それは、この二十年、隠し通し続けていることだ。

 そして、その過去が今まさに己の首筋に刃を突きつけてきたという事実には、慄然りつぜんとするほかない。

 いや、自分だけならばいい。

 自分が彼らに憎まれ、恨まれた結果、殺されるというのであれば、甘んじて受け入れよう。

 だが。

麻里安まりあ春花はるかは駄目だ)

 春雪は、医療棟に足を向けながら、拳を握り締めた。


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