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第四百九話 おおかみのこども(十一)

 不幸な事故。

 そう、透明人間は告げた。

 実際、サイバ事件は、不幸な事故としかいいようのないものだっただろう。

 反政府勢力にして反戦団組織であるところのフェンリルにとってしてみれば、寝耳に水どころの騒ぎではなかったはずだ。

 フェンリル総帥・河西健吾かわにしけんごが立案した〈太陽奪還計画〉は、極めて長期的な計画であり、彼が生きている間には到底実現不可能であることは、彼自身がもっとも理解していたことだ。

 だからこそ、入念に準備をしていたのだし、戦団に何名もの工作員を送り込んでいたのだ。

 だが、不幸な事故が起きた。

 フェンリルの工作員が、サイバ・ネットワークス社の工作員と接触してしまったのだ。

 いや、それそのものは、不幸とは言い難い。

 フェンリルの工作員、厳島東いつくしまあずま大空兼人おおぞらかねとは、同志を欲していたからだ。

 戦団内部での単独での工作活動ほど、気が滅入るものはない。

 戦団内部には、央都守護のため、人類復興のために命をけて戦っている勇敢で輝かしい人々ばかりがいる。誰もが人類の未来のためにこそ、その命をなげうっている。

 そうした導士たちの生き様は、戦団の職務に従事する傍ら、工作活動を行う工作員たちの心をむしばんでいくものである。

 だからこそ、厳島東も大空兼人も同志を求めた。

 フェンリル総帥・河西健吾は、戦団に工作員を送り込む際、細心の注意を払った。それこそ、戦団に気取けどられるわけにはいかないのだから、当然の処置だろう。

 そして、そのために工作員同士が事前に知り合うことのないようにすら徹底していたのだ。

 厳島東も、大空兼人も、互いに工作員であることを知らない期間は長く、ようやく理解し合ったときには歓喜の涙すら流したという。

 二人は、戦団という強大な組織の中で、長らく孤独な戦いを続けていたのだ。

 だから、井之口英二いのくちえいじというサイバ・ネットワークス社の工作員を同志に引き入れようとしたのだろうが、それが間違っていた。

 井之口英二は、敵対勢力であるはずの厳島東からの勧誘を受けると、それこそが自分の生きる道だと考え、すぐさま行動に移したのだ。

 彩葉悠里さいばゆうりに直談判を行い、サイバ・ネットワークス全社を挙げて〈太陽奪還計画〉を支援するべきだと訴えたという。

 彩葉悠里は、愕然がくぜんとしたはずだ。サイバ・ネットワークスの発展のために戦団に送り込んだはずの工作員が、他勢力の工作員にほだされ、戦団を転覆する計画に加担しようとしていたのだ。当然、猛反対した上で、井之口英二に謹慎きんしんを言い渡している。

 妥当な判断だろう。

 だが、井之口英二は暴走した。

 サイバ・ネットワークス本社の通信設備を用い、戦団本部にサイバー攻撃を仕掛けたのだ。戦団本部を機能不全に陥らせることにより、〈太陽奪還計画〉の狼煙のろしを上げようとした――らしい。

 もっとも、そんなことで機能不全に陥るノルン・システムなどではなく、戦団の女神たちはサイバー攻撃を認識するとともに、攻撃者を特定、即座に戦団そのものが動くこととなった。

 戦団は、央都政庁警察部とともに実行犯・井之口英二とサイバ・ネットワークス社長・彩葉悠里、そしてフェンリルの工作員二名を拘束した。それによって〈太陽奪還計画〉が明るみとなり、フェンリルの野望も戦団に知れ渡ることとなったのだ。

 フェンリルによる〈太陽奪還計画〉とは、地上を戦団の手から取り戻すことにその主題があった。

 つまり、戦団という組織そのものを根絶やしにし、地上もネノクニのものにするということだ。

 同じネノクニ出身者であるはずの戦団が、我が物顔でネノクニの頭上にふんをして、君臨している様が気に食わないし、あってはならない事態である、というのが、河西健吾の主張である。そして、そんな戦団に対し弱腰な統治機構も、戦団共々潰れるべきである、と、彼は考えていた。

 そして、全てを把握した戦団は、といえば、ネノクニ統治機構にフェンリルの対処を任せた。戦団は地上の支配者だが、地下は統治機構の国である。地下のことは、統治機構に一任するしかない。

 無論、統治機構がフェンリルを保護したり、容認するという理由もなかったが。

 統治機構は、フェンリルの暴走に慄然りつぜんとし、ネノクニに蔓延つのる反政府勢力を一掃することにした。〈浄化作戦〉と呼ばれる大作戦の決行である。

 かくしてフェンリルのみならず、複数の反政府勢力が同時に壊滅したのは、彼ら当事者にとっては、まさに不幸な事故というべき出来事だったのだ。

「だが、起こるべくして起こった事故だともいえる」

「なぜ、そういえるのです?」

「河西健吾が愚かだったからだよ」

 春雪はるゆきは、透明人間の表情の変化を想像しながら、続ける。

 この一連の会話によって、〈おおかみのこども〉と名乗った人物がフェンリルの関係者であることは間違いないと断定できた。

 統治機構が決行した〈浄化作戦〉によってフェンリルは壊滅し、関係者全員が拘束され、収監されるか、統治機構の監視下に置かれているはずだが、わずかばかり、例外があった。

 子供だ。

 フェンリルの構成員の中には、子を持つ親もいたはずで、子供たちだけでも逃がされていた可能性は皆無ではなかった。

 可能性の話ではあるが、それならば、辻褄つじつまが合う。

「彼は、どうしようもない野心家で、夢想家だった。統治機構だけでなく、戦団も打倒できると本気で信じていた。戦団がどれほど強大な組織で、どこまでも凶悪な組織であるのかすら知らなかったんだ」

「だから、あなたは寝返った、と」

「現実を知り、夢から覚めただけだよ。きみは、どうやらまだ夢の中にいるようだが……」

 春雪は、やはり輪郭しか見えない男の、しかしわずかに鼻白んだような反応になんともいえない気分になった。〈おおかみのこども〉などと名乗る人物が考えていることなど、あまり想像したくもない。

 彼が、フェンリルの、いや、河西健吾の思想に洗脳されているらしいことは、考えるまでもなく理解できることだ。

 だから、わざわざ地上に上がってきて、春雪に接触してきた。

 ただ一人、フェンリルの工作員でありながら、戦団の実情を知り、フェンリルを見限った彼に。

「夢は、叶えることによってのみ、現実になる――ぼくは、そう、教わりました」

「まさか……〈太陽奪還計画〉を実行するとでもいうつもりではないだろうな?」

「あなたは、ただ、黙って従ってくれればいい。ぼくたちに。これから先、ずっと」

「冗談だろう」

 春雪は、透明人間の背後に揺らめく夜の町並みを睨み据えるようにして、〈おおかみのこども〉を凝視する。魔法によって擬似的に透明化した男の姿を捉えることは出来ない。が、彼のその反応を見て、だろう。男がわずかに苦笑するのがわかった。

「冗談などではありませんよ。ほら」

 不意に、透明人間と春雪の間に携帯端末が出現する。男が懐から取り出した結果、魔法の影響から脱したのだ。

 春雪が眉根を寄せると、男の指先が端末を操作するのがわかった。端末が幻板を出力し、幻板に見知った風景が映し出された。

 立派な本棚が並び立つ空間。本棚の中は、いくつかの書物が入っているだけで、空白が目立っている。

 春雪は、慄然とした。

「これは……!?」

「ぼくたちからの贈り物、しっかりと受け取ってくれたようで、安心しました。これで、あなたは逃げられない」

 透明人間の口元が軽薄に笑った――そんな気がしたのは、きっと、春雪の脳裏を悪い想像が駆け巡ったからにほかならない。

 男が提示した書斎の映像は、あの琥珀のような記録媒体が撮影しているものに違いなく、それはつまり、春雪の妻と娘が人質に取られたのも同然であることを示していた。

「もう一度、夢を見ましょう。太陽をこの手に取り戻す、大いなる夢を」

 男は、いった。

 狂気に取り付かれたものの声で、囁くように。

 うたうように。

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