第四十話 黒き流星は天を翔る(三)
『おおっと、なんということでしょう! なんと、なんとなんと! 皆代幸多乗手の機転により、天神高校は落下によって失格、天燎高校が先頭に立ちました!』
『前代未聞の出来事ですよ、これは。対抗戦史上、初めてといってもいいのではないでしょうか』
『といいますと?』
『皆代幸多乗手は、魔法不能者だと聞いていますが、魔法不能者が対抗戦に出場し、活躍したことは対抗戦が始まって十八年、ただの一度も記録されていないのです』
『その通りですね! 魔法不能者である皆代幸多選手の活躍は、歴史に名を残すほどの素晴らしいものでした!』
「不能者不能者言い過ぎだっつの」
圭悟は、ネットテレビの中継から流れてくる実況と解説に悪態をつきながらも、その表情は弛んでいた。
控え室内が、歓喜に包まれている。
まさかの出来事が起きたのだ。大逆転劇といっていい。
もはや二位で終わっても仕方がないと想っていた矢先だった。
「凄い……凄いわ、皆代くん」
「本当に……なんといったらいいのか……」
「だからいったでしょ、皆代くんの身体能力は凄いんだって……!」
皆が言葉を失うのも無理のない話だった。
幸多は、天燎高校と天神高校、両者の法器が交差する瞬間に飛び移って見せたのだ。普通、軽々とできることではないし、並外れた身体能力があっても真似のできることではなかった。
そして、幸多は、天神高校の騎手を放り投げて落下させ、天神高校を失格に追いやった。
しかもだ。
幸多は、失格になることなく、法子と合流することに成功した。
これがなにを意味するかと言えば、天燎高校が一位に躍り出た、ということだ。
もしあのまま幸多が落下するようなことがあれば、天燎高校も失格になっていたのだから、そうならなかったのもほっとできた一因だ。
「まじですげえ」
「やっぱ、あいつただもんじゃねえな」
怜治と亨梧も、開いた口がふさがらないとでも言いたげな顔をしていた。
小沢星奈などは、絶句したまま、動けなくなっていた。
それほどのことを、幸多はしてのけたのだ。
「凄い、凄いよ幸多くん、あたしの幸多くん、幸多くんイズナンバーワン! これでこそ世界最高宇宙最強全人類最上のあたしの幸多くんなのよ!」
いつも以上に大興奮する珠恵だったが、こればかりは致し方ないことだと家族の誰もが想った。家族一同、同様の感動と昂奮の中にいる。
幸多が、活躍した。
この大舞台で、魔法競技で、だ。
普通ならば考えられないことだったし、にわかには信じられないことだった。
だが、現実として、それはある。
幻板には、つい先程の一瞬の攻防が何度も映し出されており、幸多の人間業とも思えない動きが、奏恵たちにもやっと理解できた。
「幸多は本当によくやっとる。よくやっとるなあ」
「ええ、本当に……」
奏恵の父と母が感動もひとしおといった様子で、涙ぐみさえしていた。愛しい孫の活躍を喜ばない祖父母など、そうはいまい。
特に二人は、幸多のことを溺愛していた。
「だいじょうぶ、奏恵?」
「う、うん、まだ、だいじょうぶよ」
奏恵は、肩に置かれた望実の手に触れながら、静かに返した。
観客席は、大いに盛り上がっている。
天燎高校は、予選免除権によって決勝大会に進出したということもあって、あまりいい評価をされていなかった。天燎高校が万年最下位と蔑まれているという事実があり、そんな学校が決勝大会に出場したところでどうなるものでもないだろう、というのが大方の意見だった。
それも正しい意見だ。
しかし、いまとなっては、そうした評価が間違いだったということは明らかだ。
幸多率いる天燎高校は、本気で優勝を狙っているのだ。
幸多の死に物狂いといってもいい暴れ振りを見れば、一目瞭然だろう。
奏恵は、幸多の魔法士にも負けない活躍を目の辺りにして、ただただ良かったと想うのだった。
幸多を乗せた漆黒の法器は、法子の素晴らしい操縦によって、魔法泡を突破し、地上へとひたすらに突き進んでいる。
このまま行けば、一位で終着点に辿り着くこと間違いない。
閃光が、奔った。
それは、法子たちの前方、魔法泡地帯真っ只中の出来事だった。
突如として迸った光は、星桜高校組を法器から振り落としてしまった。一瞬だった。数秒にも満たないわずかな時間が、星桜高校組の命取りとなったのだ。
対応を間違った。
それは、後方からの魔法による妨害にほかならない。妨害対策を間違えたがために直撃を受け、落下する羽目になったのだ。
当然、星桜高校は失格となる。
再び閃光が法子の視界を灼いたかと思うと、今度は御影高校組を捉えた。御影高校は、その光を振り解こうと藻掻いたが、失敗し、あえなく落下となった。
そうなると、妨害を仕掛けた高校が判明する。
叢雲高校である。
蘭によって要注意高校と名指しされていた叢雲高校が、その牙を剥いたのだ。
叢雲高校は、競星の開始当初から後方を進んでいた。最初の横並びの段階ですら、一番後方だったことを法子は覚えている。
法子は、叢雲高校がわざと速度を落とし、出し抜くための力を蓄えているのだとばかり思っていたのだが、どうやらそれは見当違いだったようだ。
叢雲高校は、後方から他校を妨害することで落下させていき、全ての競走相手を失格させ、一位になった上で競星の得点を独り占めするつもりだったのだ。
「あれが彼らの狙いだったか」
「そ、そうみたいですね」
「皆代幸多、これまで以上にしっかりと掴まっていたまえよ」
「は、はい!」
幸多は力強く返事をすると、言われた通り、法子の華奢な腰を力強く抱きしめた。もちろん、法器を跨いでいる足の力も込めている。
叢雲高校の騎手鉄木清信は、魔法泡地帯を悠々と躱しながら、法器を上昇させている。そして、乗手鋼丘彩宗は、法器の上に立ち、騎手の肩に左手を置き、右手を前方に掲げていた。
そうすることで、前を行く対戦校への妨害魔法を精確に直撃させてきたのだろう。魔法泡の真っ只中だ。背後からの妨害をどれだけ注意していても、回避しようがなかったのだ。
当然、法子たちにも狙いを定めている。なんとしてでも撃ち落とし、一位を確定させるために。
鋼丘彩宗がなにか真言を唱え、魔法を発動させる。彼の右手が光を発し、法子の前方に一条の閃光が奔った。
法子は法器を転回させ、加速とともに急角度に曲がることによって光の帯を躱した。叢雲高校は、そこから何度となく分厚い光線を放ってきたが、そのすべてを回避しきって見せる。
光の帯に貫かれた魔法泡がつぎつぎと炸裂し、けたたましい音を立てる。
そして、法子たちと叢雲高校の法器が交差する。その瞬間、凄まじい速度で魔法を連発してきたが、法子は悠々と躱して見せると、彼らに一瞥をくれるとともに魔法泡の密集地帯に潜り込んだ。
後方で魔法泡が爆ぜた。
叢雲高校の妨害魔法の直撃によって、破裂したのだ。
後方からの攻撃となると、法子の飛行技術だけでは避けにくい。だから法子は、魔法泡が密集し、避けようもない空域へとその法器を潜り込ませたのだ。おかげで妨害魔法を何度となく防ぐことに成功した。
相手にしても、背後の相手に魔法を命中させるのは、簡単なことではなかっただろう。しかも、魔法泡が大量に浮かんでいる空域だ。泡を躱すように魔法光線を発射するのは、並大抵の技量では不可能だった。
やがて、法子たちは魔法泡の空域を抜けた。
もはや叢雲高校の魔法が降ってくることはなく、前方には地上までの光の道筋があるだけだった。
ただし、昇りにあった障害物群も、当然のように降りにも立ちはだかってくる。
油断をすれば激突し、落下しかねない。
もちろん、法子がそんなへまをするわけもなかった。
後方を注意する必要もなくなったため、前方の障害物群に全力を注ぐことが出来た。法器を捌き、立ち塞がる魔法の立方体を躱しに躱して前進する。
障害物区間を抜ければ、すぐに地上だった。頂点からは小さく見えた競技場は、いまやとてつもなく広く感じられた。
競技場の観客席が騒然となっていることが、法子にもはっきりとわかった。
だれもが予想だにしない展開、だれもが想像を絶する状況が、いままさに起きている。
観客が待ち望んだ光景とは大きく異なるだろう事態だが、法子は、そんな観客の気持ちなど考えてもいなかった。
ゆっくりと減速し、光の柱の根元へと到達すれば、光の道の示すままに場内コースへに至る。螺旋を描く光線を辿っていく。つまり、開始時の逆走だ。
そして、開始点こそ、終着点である。
終着点へと向かうのに急ぐ必要も焦る必要もなかった。
叢雲高校はとっくに中間地点に到達し、光の柱を折り返したことだろうが、そこから二カ所もある障害物区域を抜け、地上に到達するには随分と時間がかかるに違いない。
法子たちが勝利を確信し、悠然と場内コースを飛んでいるだけの余裕はあった。
とはいえ、油断はしていない。万が一のことがある。
たとえば、超長距離射程の魔法で妨害してくる可能性だ。普段ならばそんな魔法を食らう法子ではないが、慢心し、油断しきっていれば話は別だ。
だから彼女は油断しない。
幸多がようやく法子の腰に縛り付けるようにしていた両腕を解放し、安堵の息を吐く。
「きみの腕力は凄まじいな」
「は、はい?」
「痛かったよ」
「す、すみません!」
「冗談だ」
法子は笑い飛ばしたが、割れんばかりの拍手と競技場を揺るがすほどの歓声に掻き消された。場内の観客は、だれもが天燎高校の一位を確信しており、だれもがその快挙を祝福しているかのようだった。
そして、法子と幸多は、終着点に到達する。
場内に記された光の道筋、その先端である。そこには魔法で生み出された光の空間があり、その中に飛び込むことによって、着順が確定する。
眩いばかりの光の中へ。
幸多は、法子の肩に手を乗せて、法器の上に立ち上がって、その瞬間を体験した。光が視界を包み込み、白く塗り潰していく。
その瞬間、天燎高校は、競星の一位となった。
「やったな、皆代幸多」
「はい、先輩!」
幸多は、歓喜の余り声が上擦っていたし、法子も安心して微笑んでいた。
場内には、震えるような大歓声と万雷の拍手が鳴り響いていた。それは、天燎高校がただの予選免除枠などではないことを思い知った人達にとって、率直な反応だったのかもしれない。
凄まじい熱気と昂奮の真っ只中、二人は法器を降り、審判員に示されるまま、場内を移動した。
頭上を見れば、超巨大幻板に目が行く。
競技場内に浮かべられた超巨大幻板には、対抗戦決勝大会出場校の名前が並べられており、その横に各競技における得点と総合得点が記されることになっている。
競星の一位が決まったことで、天燎高校の得点表に数字が刻まれた。
五点。
「五点」
「できれば後一点は欲しかったところだが、まあ、十分だろう」
法子の言う一点とは、中間地点の一点のことだ。
競星の得点は、着順得点、中間得点、撃破得点の三種からなる。着順得点は一位に三点、二位に一点が入り、三位以下は貰えない。中間得点は、一位の一点のみだ。
そして、撃破得点だが。
天燎高校の想定外の一位に沸き立つ観衆が見ている中、叢雲高校が地上へと到達した。幸多たちから大きく遅れての到着だったが、観客は彼らも拍手と歓声で迎える。
叢雲高校は、問題なく螺旋コースを抜け、終着点へと辿り着いた。
幻板に表示された叢雲高校の得点は、五点。
「五点……」
「そうなるか」
幸多は呆気に取られたが、法子には納得の行く展開といえた。
撃破点は、二点である。
叢雲高校は、二位の一点に撃破点を重ね、五点となった。叢雲高校は、二校を撃破したのだ。その結果、一位の天燎高校に総合得点で並ぶことができた。
しかしそれは、叢雲高校にとっては最低の結果といえるはずだ。彼らは一位になって、得点を根こそぎ奪い取るつもりでいたはずだからだ。
ちなみに、中間点の一点を取ったはずの天神高校が零点のままなのは、落下による失格となってしまったからだ。
失格者からは、その競技で加算されるはずの得点が没収される。
それが対抗戦の規則だ。
「勝った……! 勝ったぞ!」
天燎鏡磨は、競技場の常ならざる熱気に飲まれかけていた。
貴賓席は、会場の上部にあり、観客席とは遠く離れている。しかし、会場の凄まじいまでの熱気は、彼にも伝わってきていた。
競技の内容を詳細に知るべく、ネットテレビ局の生中継を繋げていることも、大きな理由だろう。実況者と解説者、双方ともに熱が入っており、そこに観客の声援やら拍手やらが飛び込んできているものだから、臨場感が凄まじかった。
「我が校が、勝った!」
鏡磨は、その手に汗握る戦い振りに久方ぶりの昂奮を覚えていた。
「追い抜かれたかと思いましたが……やってくれましたね」
「ああ、やってくれた、やってくれたじゃあないか!」
「はい」
川上元長は、鏡磨の昂奮振りを横目に胸を撫で下ろした。常に不機嫌の極みといった様子の鏡磨の姿が、そこにはなかった。
対抗戦の熱狂の渦に飲まれたかのような有り様であり、それは、普段の鏡磨からは考えられないし、想像もつかないものだった。
だが、だからこそ安心するし、黒木法子と皆代幸多に感謝もする。
二人が見事な活躍を見せてくれたからこそ、この常に神経質な男が、機嫌良くしてくれているのだ。これでもし、大敗でもしようものなら、どれほど不機嫌になって当たり散らしていたか、わかったものではない。
「これは大番狂わせなのだろう?」
「はい。我が校は、侮られておりますから」
「ふふ……いい気味だ。このまま他校の皆様方には、我が校の初優勝を見届けてもらおうではないか」
「優勝……ですか」
「できないのかね?」
「い、いえ……それは……」
鏡磨の眼光に射すくめられ、元長はなにもいえなかった。
確かに大番狂わせが起きた。
万年予選敗退、万年最下位と蔑まれてきた天燎高校が、まさかの決勝大会の第一回戦を一位で勝利し、総合得点を五点ももぎ取ったのだ。それは天燎高校のみならず、対抗戦の歴史に名を残すかもしれないほどの大活躍だった。
だが、優勝できるなどとは、夢にも思わないし、思えない。
第二種目は二日に渡って行われる閃球である。閃球はチーム競技であり、他校に比べて練度の大きく劣る天燎高校が得点を稼げるとは考えにくい。
第三種目の幻闘でも、だ。
元長は、閃球と幻闘での大敗を予想して、もう既に胃が痛くなっていた。
一方で鏡磨は、幻板に大きく映し出された天燎高校の二人に盛大な拍手を送っていた。
会場では、運営員によって用意された表彰台の上に、一位の天燎高校と二位の叢雲高校、その騎手と乗手が乗せられていた。
会場は、大いに盛り上がっていた。
誰もが予想だにしない展開、想像すら出来なかった事態が、いままさに目の前で起きたのだ。これで盛り上がらないわけがなかったし、熱狂足るや凄まじいとしか言い様がなかった。
奏恵は、ただただ幸多を見ていた。目頭が熱くなるのを押さえられなかったし、いつ涙が溢れ出してもおかしくはなかった。
家族も、そうだ。
「幸多くん、凄い、素晴らしい、素敵、最高、最強、愛してる、ううう」
「もはや語彙ごい】が死んでるわね」
「いいもんいいもん、語彙が死んでようとなんだろうと、幸多くんが活躍したんだもん」
「そうだのう、幸多がのう……」
「幸多が……」
長沢家には、周囲の歓声や拍手が聞こえなかった。
長沢家の誰もが、幸多だけに注目していたし、彼が表彰台に乗って、一位であることを大きく主張している様子を携帯端末で撮影しまくっていた。写真でも動画でも、とにかく撮影している。
観客席から競技場の中心は遠いが、カメラの倍率を上げれば、余裕で高解像度の幸多の喜ぶ様を撮影することができた。
長沢家の面々は、皆、幸多の苦悩を知っていた。幸多がいかにしてその魔法不能者としての己自身を向き合い、生きてきたのか。今日に至るまでの苦心や苦労を知りすぎるくらいに知っていた。
だからこそ、他の誰よりも彼の活躍を喜び、感動に打ち震えるのだ。
(あなた、見ていますか……)
奏恵は、亡き夫、幸星のことを思った。幸星と二人で育てたからこそ、幸多は真っ直ぐに成長したのだ、という自負があり、確信があった。
だからこそ、幸多は今、あの表彰台に上っている。




