第四百四話 おおかみのこども(六)
砂部愛理。
魔暦二百十一年八月九日、砂部一臣と歌織の第一子として誕生。
生まれながらにして膨大な魔素質量が検出されたため、戦団情報局の目に止まり、監視目録に記入される。
そのように、戦団は、新生児の魔素質量の多寡による監視目録を作っているのだが、それは必ずしも、常に監視しているというわけではない。注目するべき市民の一人でしかない。
実際、監視目録に記入された市民の全員がなにか大きなことをしたというわけではなかったし、全員が全員、戦団の導士になったわけでも、ましてや魔法犯罪者になったわけでもない。
とはいえ、膨大な魔素質量を生まれ持つということは、魔法の才能に満ち溢れているという証明であり、放っておくわけにもいかないという現実がある。
魔法社会である。
誰もが魔法を使える時代において、魔法の才能ほど巨大な意味を持つものはない。
魔法さえ使えれば誰だって成り上がることのできる時代であり、社会なのだ。
なればこそ、魔法の才能を生まれ持つものには、監視の目をそれとなく光らせておく必要があった。
皆代統魔のように。
黒木法子のように。
草薙真のように。
砂部愛理は、物心ついたときには、その圧倒的な魔素質量に基づく魔法の才能を開花させていった。大人顔負けの魔力を誇り、それらを自由自在に操る様は、周囲の人々をして、彼女を神童と呼ばざるを得なかったようだ。
神童は、長じて天才児と呼ばれるようになる。
魔法社会ならば、ありふれた出来事だ。
魔法社会は、魔法が全てといっても過言ではない。故に、魔法の才能に満ち溢れた人物は、子供といえども尊敬を集めるものであり、周囲にたくさんの人々が集まるものなのだ。
それは、自然の摂理といってもいいものなのかもしれない。
そして、彼女は、その才能と実力のままに星央魔導院早期入学試験を首席で合格することとなるのだが、発表そのものはまだである。
今現在、その情報が飛び交っているのは、戦団上層部の間であり、情報局の中くらいのものだ。
「しかし、困ったものだね」
「なにが、でしょう?」
「彼女は、近い将来戦団を背負って立つ人材だと思うわけだよ」
「……そうでしょうね」
升田春雪は、幻板に表示された早期入学試験の結果表を見つめながら、城ノ宮明臣の意見を肯定する。
早期入学試験は、座学、実技、面接という三つの項目から成り立っている。
座学は、魔法学を主としつつも、星央魔導院と関連する様々な問題が設けられている。
実技は、魔法に関連するものばかりだ。
そして、面接。
これは、星央魔導院の教員だけでなく、戦団の人間も同席して行われるものであり、受験者の人間性、精神性を深掘りするためのものだ。
砂部愛理は、座学と実技において、他の受験生を突き放す好成績を収めている。それこそ、星央魔導院の歴史を塗り替えるほどの成績であり、彼女こそが星央魔導院の新たな歴史になるのではないか、と、褒めそやされるほどのものだった。
だからこそ、誰もが彼女に多大な期待を寄せている。
五星杖ら光都事変の英雄たち、超新星たる皆代統魔、それに続く次世代の導士。
それが砂部愛理なのではないか。
砂部愛理ほどの才能と実力を持つ導士が大量に現れてくれれば、戦団はより強く、大きくなれるに違いなく、その急先鋒に立ってくれるのが彼女なのではないか。
皆が、まだ見ぬ新人に期待しているのだ。
まるで皆代統魔が発見されたときのような大騒ぎぶりだ。
「面接の概要は、見ただろう?」
「はい。一応……」
「彼女が目標としている人物がだね」
「皆代幸多閃士ですね」
「どう思う?」
「どう……とは」
春雪は、明臣の質問の意図を理解しつつも、わからない振りをした。
明臣が言いたいことは、わからないではない。
面接において、砂部愛理は、憧れの導士として皆代幸多の名を挙げており、目標でもある、と断言したという。そして、なぜそう考えているのかについて、熱弁を振るっており、早期入学試験に関する報告書には、彼女の皆代幸多への想いが一言一句漏らさず記載されている。
それはもう、凄まじい熱量というほかない。
彼女がどうしてそれほどまでに皆代幸多に憧れ、目標としているのか、余す所なく説明されており、理解出来る内容だった。
そして、その報告書に目を通したことによって、春雪もまた、皆代幸多という人物への見方を変えたものだった。
情報局副局長補佐という立場もあり、彼の元には誰もが与り知らぬ膨大な量の情報が入り込んでくる。それこそ、皆代幸多の情報だって、本人が知り得ないことだって知っているのだ。
しかし、だからといって、春雪は、世間のように浮かれはしていなかったし、冷静に考えて、彼が戦団戦闘部の導士で在り続けることは危険としか言い様がないと思ってもいた。
彼は魔法不能者であり、完全無能者なのだ。
確かに、獣級幻魔をその身一つで撃破してきたという事実があり、数え切れない実績があるのだが、それでも、だ。
妖級以上の幻魔と対峙したとき、どうなるものなのかわかったものではない。
窮極幻想計画が上手く行く保証もない。
故にこそ、彼は早々に戦団を辞めるべきなのではないか、とさえ、思っていたのだが。
今は、少し、考え方が変わりつつあった。
「皆代幸多閃士のような導士を目指されても困るだろう」
明臣が、嘆息とともに告げた。
「彼が頑張っているのは確かだ。それは認めるよ。彼の戦果は、並の導士以上だ。イリア博士の計画も、今のところ成果を上げている。しかし、だ。誰もが彼のようになられては困るのだよ」
普段の飄々《ひょうひょう》とした様子が消えた真面目くさった口調でいってくるものだから、春雪もどう返答するべきか考え込まなければならなかった。明臣という人間のひととなりはよく知っている。だからこそ、考え込むのだ。
こういう状況での曖昧な返事や、意味のない空疎な言葉は、減点対象になりかねない。
そんなことを思考しているときだった。
「升田補佐、少し、よろしいですか?」
不意に話しかけてきたのは、戦団の制服を着込んだ女性だった。星印は青の二重星。つまり、総務局に所属する導士で、灯光級二位である。長い黒髪を後ろで一つに束ねており、丸い目が特徴的で肌の色も健康そのもののような女性。
名は確か、志方里穂。作戦部に所属する星将・志方宝治の血縁であるが、彼女自身は、総務局の一員として、戦団本部棟の受付業務を担当しているはずだ。
「どうしたんだい?」
「今し方、伝言と預かりものを受け取ったのですが」
「伝言と預かりもの? わたしに?」
「はい。升田春雪さんに、と」
春雪は、志方里穂の発言に怪訝な顔になりながら、彼女が手渡してきたものを受け取った。琥珀色の、小さな特殊合成樹脂製の立方体である。いまや使われることのない、極めて古い記録媒体の一種であることは、一目でわかった。
「これが、伝言?」
「これを渡して、おおかみのこどもと伝えればわかる、とだけ言い残して、すぐに去って行ってしまって」
「それで、なにもせず、おめおめと帰したというわけかね?」
問い詰めるようにして口を挟んできたのは、無論、明臣である。
「あの、それは、その……」
「冗談だよ。気にしないでくれたまえ。きみはきみの仕事をした。十分だよ」
明臣は、一瞬にして顔から血の気を引かせた受付担当から興味を無くすと、業務に戻った。
「は、はあ……」
「昔からああいう人なんだ。本当に気にしないで良いからね」
「は、はい……そ、それでは、失礼します」
「ああ、ご苦労さん」
肩を落としたまま部屋を後にする志方里穂が余りにも哀れだったが、しかし、明臣の言い分にも理屈があるため、春雪にはそれ以上の擁護はできなかった。
志方里穂は、春雪に伝言を渡したという人物の身体的特徴すら告げてこなかったのだ。それでは、受付業務を果たしていないといわれても、文句はいえないだろう。
もちろん、気が動転していたのもあるのだろうが。
「ふむ……とても狼の子供には見えないな」
「はい?」
明臣がなにやら幻板を見つめながらつぶやいた言葉の意味がわからず、春雪は思わずそちらを覗き込んだ。
そこには、戦団本部棟の受付付近に備えられた監視カメラの映像が映し出されており、志方里穂に記録媒体を手渡す若い男の姿がはっきりと映っていた。
「ただ一つ言えることは、ネノクニ人だということくらいか」
「どうして、わかるんです?」
「彼は、天輪スキャンダル当日にネノクニから上がってきたネノクニ市民でね。長期滞在中なんだよ」
「長期滞在?」
そんなことが可能なのかという疑問よりも、明臣が長期滞在中のネノクニ市民を一々覚えていることのほうに、春雪は驚きを覚えた。
幻板を睨む明臣の怜悧な目は、いつになく鈍く輝いている。
「まあ、それもこれも天輪スキャンダルのせいなんだが」
天輪スキャンダルは、双界間旅行にとてつもない制限を設けることになってしまった。
既に地上に上がっているネノクニ市民は、長期間地上に滞在せざるを得なくなり、新規に地上を訪れるのも簡単なことではなくなったのだ。
その余波は、未だに央都とネノクニ、双界の狭間に強烈な波紋となって揺らぎ続けている。