第四百三話 おおかみのこども(五)
テーブルの上に並んだ料理は、見た目にも完成度が高く、空腹感を大いに刺激するようだった。
美由理の手前には、オムライスとコーンスープが並べられていおり、その山盛りぶりを見て、彼女は失敗したのではないかと思わざるを得なかった。
一方、イリアが注文したのは、カルボナーラのパスタとサンドイッチ、卵スープである。量的には、イリアのほうが圧倒的であり、彼女がいかに空腹だったのかが一目でわかるというものだろう。
そして、イリアは、美由理のオムライスを一瞥して、目を輝かせるのだ。
「そっちもそっちで美味しそうね」
「食べたいなら食べていいぞ」
「それは遠慮しておくわよ。いくらなんでも」
「そうか。そうだな」
美由理は、イリアにきっぱりと断られ、覚悟を決めるしかなかった。
もっとも、美由理は、別段、小食でもなんでもない。ただ、いまのこの時間、それほどのお腹が空いていないだけだ。
イリアに言われたから注文しただけであって、本当ならば、もう少し時間が経ってお腹が空いたなら、なにかを食べようというつもりだったのだが。
まさか、イリアに昼食に誘われるとは思ってもいなかった。だから、そのことを口にする。
「しかし、出向いた矢先に昼食に誘われるとは思わなかったぞ」
「学生時代を思い出した?」
「……まあな」
イリアが微笑みながら尋ねてきたものだから、美由理は、肯定する以外の言葉を持たなかった。イリアの笑顔が、学生時代の彼女を思い起こさせるのだ。
学生時代。
つまり、星央魔導院時代。
美由理は、伊佐那家以外の外の社会に出るのが、それが最初といっても過言ではなかった。
なにもかもが驚きの連続だったし、好奇心に振り回される毎日だったことは、忘れようもない。そして、イリアと出逢い、愛と出会ったことも、終生、忘れ得ないだろう。
学生食堂では、こうして向かい合って食事をすることが大半だった。
美由理は、イリアと愛の馬鹿話を聞いているだけだったが、それでも幸せだった。
幸福とは、こういうことをいうのだろう、と、何度も思ったものだ。
他愛のない日常、他愛のない会話、他愛のない――。
それこそが幸福の一風景であり、だからこそ、自分は戦団に入ったのだと、確信する。
力を持たない人々の他愛のない日常を守ることこそ、導士の使命であり務めなのだ、と。
「魔導院といえば、早期入学試験の結果、見たわよね?」
「……ああ」
イリアが突如として振ってきた話題に対し、美由理は、瞬時に周囲を見回した。〈星の瑠璃〉は、技術局棟唯一の喫茶店だ。戦団本部には、ほかにもいくつか食事処というべき場所があり喫茶店等もあるのだが、技術局棟にはこの一軒しかない。
だから、技術局棟で働いている人々は、数多く集まっている。
そして、多くの客が、美由理とイリアに注目していて、耳をそばだてているのもわかるのだ。
「誰にも聞こえないわよ」
「……そうか」
美由理は、イリアの一言に安堵した。
彼女は、空間魔法の天才である。
イリアこそ戦闘部に欲しかった、とは、今もよくいわれるほどだ。彼女ほど高精度で空間魔法を行使できる魔法士は、そうはいない。しかも彼女は空間転移魔法を事も無げに行使してしまう。
だが、技術者としての彼女もまた、この上なく優秀である。
彼女がいなければ今の戦団は存在しないのではないかといわれるほどなのだから、今更戦闘部に引き入れるなど不可能だろう。
イリアの空間魔法が戦闘部で常に使えるのであれば、鬼に金棒というほかないのだが、しかし、技術者としての彼女を失うのは、戦団にとっての多大なる損失である。
やはり、イリアには、技術局でその頭脳を活かしてもらうのが一番なのだろう。
イリアがいればこそ、窮極幻想計画は誕生し、幸多が戦力になっているのだ。
美由理にとっても、イリアの空間魔法ほど頼りになるものはないのだが、イリアの頭脳と技術力もまた必要不可欠であり、天秤にかけられるものではなかった。
そして、周囲を見回せば、わずかな空間の歪みが生じていることによって、いままさに彼女の空間魔法を発動していて、二人の会話が他の客に一切聞こえないように配慮していることがわかる。
彼女の空間魔法は、密談にも持って来いだ。
美由理は、イリアに視線を戻し、それから手元のオムライスに目を向けた。既に半分ほどが美由理の胃袋の中に消えている。
「……皆、必死だ」
「そりゃそうでしょう。星央魔導院に入りたいから、早期入学試験なんて受けているんだもの。必死にもなるわ」
一方のイリアは、既にパスタもサンドイッチを完食していて、卵スープの味を堪能しているのか、うっとりとした表情を浮かべていた。イリアは別に大食いでも早食いでもない。ただ、美由理がゆっくりと食事をしているだけのことなのだ。
「あなたも鼻高々ではなくて?」
「なぜ、そうなる」
「あなたの孫弟子みたいなものでしょ、彼女」
「……そうはならないだろう」
嘆息とともに、美由理はいった。特殊合成樹脂製のスプーンが、残り半分となったオムライスの山に切り込んでいく。
「でも、彼女はそう思っているみたいよ」
「だとしても、だ。わたしは、そう思っていないよ」
イリアの言い分ももっともなのかもしれないが、美由理は、頑なだった。
そんな美由理の表情を見て、イリアは、なんだか複雑な気分になった。
「可哀想な、砂部愛理ちゃん。せっかく早期入学試験の平均点を大幅に引き上げるほどの点数を叩き出したというのに、師匠の師匠がこれじゃあね」
「……ふう」
美由理は、コーンスープを飲み干して、息を吐いた。
早期入学試験とは、無論、星央魔導院が実施している、適性年齢よりも早くから受けることの出来る試験のことだ。
本来、星央魔導院に入学できるのは、小学校卒業後のことであり、入学試験を受けるのも、小学六年生の段階なのだが、戦団は人材発掘のためにも間口を広げようとし、早期入学試験なる制度を設けた。
魔法の才能というのは、残酷だ。
生まれながらにして大差が付いている場合がほとんどであり、鍛錬によって伸びることはあっても、生まれながらの才能の差は、どう足掻いても埋めようがない場合が多い。
だから、できるだけ早い段階で才能を発掘し、確保しておきたいというのが、戦団の考えであり、ある意味では正しい判断だろう。
そして、今期の早期入学試験で最高得点を叩き出したのが、あの砂部愛理だった。
万能症候群に苦しみ、幸多に助けを求めたあの少女だ。幸多は、美由理の助言を自分なりに解釈し、それによって彼女を苦しみから解放することに成功したのだろう。
だからこそ、砂部愛理は、早期入学試験に挑むことが出来たのだ。
早期入学試験の結果は、まだ、発表されていない。
しかし、既に結果自体は決まっていて、それらの情報は、戦団上層部の間には出回っている。それによってもっともざわついたのは、十二軍団の長たちである。
星央魔導院の入学者ということは、将来、戦団に入ることが決定しているといっても、過言ではない。星央魔導院に入学して戦団に入らない人間のほうが少ないくらいだ。
そして、入学試験で高得点を叩き出した受験生には、なんとしてでも自分の軍団に入ってもらいたいというのが、各軍団長の思惑なのだ。
だから、砂部愛理の登場に、十二軍団がざわつくのだ。
砂部愛理は、座学でも、実技でも、他の受験者を圧倒的に突き放す結果を残している。それも、過去の記録の全てを塗り替えてしまったという点で、彼女がいかに凄まじい才能と実力を持っているのかがわかろうというものだ。
砂部愛理は、まだ十一歳だ。
同年代の受験生の中で抜きんでた才能を発揮した彼女だが、まだまだ若く、幼い。これから先、更に研鑽と鍛練を積めば、将来、戦団を背負って立つほどの魔法士になれること間違いない――と、誰もが太鼓判を押していた。
ただ一点、面接での受け答えだけが、軍団長たちを悩ませているようだが。
「彼女、幸多くんのような最高の導士になりたいっていってるのに」
美由理は、イリアのそんな言葉を聞きながら、スプーンに乗せたオムライスの最後のひとかけを口に入れた。