第四百二話 おおかみのこども(四)
「今日は合宿の講師をしなくて大丈夫なの? 受講生を徹底的に鍛え上げるんじゃなかったのかしら?」
「……呼んだのは、きみだろう」
「そうだったわね」
不服極まりないといわんばかりの美由理の反応を受けて、イリアは、苦笑とともに彼女を振り返った。
技術局棟第四開発室内の一室に、イリアはいる。
広々とした空間内には、多種多様な魔機が所狭しと配置されていて、動いていたり、動いていなかったりしている。
通称・解析室と呼ばれる一室である。
その室内でもっとも目を引くのは、隣り合った別室の解析台の上に置かれた機械型幻魔の死骸と、その隣の台の天使型幻魔の死骸だろう。
機械型幻魔ガルム・マキナと、天使型幻魔オファニムの死骸。
いずれもが丁寧に解剖され、分解された状態で解析台に乗せられ、様々な角度から光を照射されている。
その光線が、魔晶体の結晶構造を解き明かすのだ。
解析室には、その解析結果を示す膨大な情報が、室内の各所に浮かぶ無数の幻板に羅列されており、第四開発室の導士たちは、それらの情報を元にさらなる分析を進めている最中だった。
イリアも解析作業の真っ只中だったのだが、客人を迎え入れるべく、手を止めた。
美由理は、といえば、解析中の幻魔の死骸を見遣り、怪訝な顔になっていた。
「なぜいまさら?」
「そうね」
イリアは、美由理の疑問ももっともだ、と、思わないではなかった。
天使型も機械型も、その死骸がこの開発室に運び込まれてきたのは、十日以上も前のことだ。
光都跡地での戦闘と、機械事変からそれだけの日数が経過している。無論、その間、第四開発室がなにもしなかったわけもない。
特に機械型幻魔に関しては、美由理が保存状態が極めて良好な無傷の死骸を大量に確保してくれたこともあり、調査研究のしがいがある研究員たちも興奮したものだった。
これまで、幻魔の死骸の解剖や分析は、数え切れないくらいに行ってきている。しかし、無傷の幻魔の死骸となるとほとんどなかったし、ましてや機械型という新種の幻魔となれば、未知の領域そのものだ。
研究員たちが昂揚するのも無理はなかった。
イリア自身、研究者としての本能が騒いで仕方がなかったものだ。
天使型も、同じだ。新種の幻魔であり、オファニムは、魔法攻撃が一切通用しなかったという恐るべき、驚くべき事実がある。
調査しなければならないことは、山ほどあった。
そして、既に徹底的に調べ尽くしている。
その結果、オファニムに魔法攻撃が通用しなかった理由は不明なままだ。オファニムの魔晶体も、他の幻魔と全く同じ結晶構造だった。魔晶核はアザゼルによって吹き飛ばされてしまったため、そこになんらかの秘密があった可能性もないではないが、少なくとも、魔晶体にはなにか特別な機能があるわけではなさそうだった。
機械型幻魔に関しては、大体が戦闘中の想像通りの結果に終わった。
つまり、人型魔導戦術機イクサに投入された技術を流用し、改良を施した獣級幻魔だということだ。
イクサは、二種類の魔法金属を用い、その鉄の巨人ともいうべき巨躯を作り上げていた。ハルモニウム合金製の駆体と、オリハルコン製の装甲である。いずれも戦団技術局が発明した魔法金属とは大きく異なる性質のものであり、幻魔の細胞、つまり結晶構造を取り入れたものだということが解析の結果、判明している。
そして、機械型幻魔は、ハルモニウムとオリハルコンを様々な箇所に用いることによって、獣級幻魔の能力を飛躍的に向上させることに成功していた。
また、魔晶核とDEMコアという二つの心臓を持っていることも、既にわかっていたことだ。さらにはDEMコアを燃焼させるためのDEMリアクターがあり、DEMリアクターを破壊するだけでも、機械型に致命的な打撃を与えることができるのではないか、ということが判明している。
それらの大半は、機械型との戦闘中に推察されたことだ。
イクサとの類似点が多すぎたがためなのだが、おかげで機械型に対し、後れを取ることもほとんどなく、撃滅できたに違いない。
それもこれもノルン・システムによる迅速な解析のおかげであろう。
もちろん、機械型の死骸を研究し、徹底的に解析した結果、新たにわかったことも少なくなかったし、それらの解析結果は、今後の機械型との戦いに大いに活かせるだろうが。
「まだなにか、調べられていないことがあるんじゃないか――って、お偉方がいうのよ」
「護法院の指示か」
「そういうこと」
イリアは、小さく頷くと、席を立った。そして、室内の研究員たちに声をかける。
「お昼休みにしましょうか」
壁にかかった時計の針は、正午をとっくに回っている。
戦団本部内で食事を取れる場所というのは、なにも本部棟一階にある大食堂だけではない。
大食堂は、その名の通り、一つの大きな空間そのものである。昼時になると、そこには戦団本部内で働く人々がこぞって集うこともあり、人気の多いところがそれほど好きではない人間にとっては、ある種、地獄の様相を呈するのだ。
だから、イリアは、戦団本部内で食事を取るとなれば、技術局棟二階の喫茶店〈星の瑠璃〉か、購買部で買ったものを室長執務室で食べて済ませるのだ。
今日は、美由理がいるということで〈星の瑠璃〉を訪れたのだが、別に美由理がいなくとも同じ結果になったのではないか、と、思わなくはない。
テラスの隅の席に腰を落ち着けるなり、操作盤に触れ、献立表を呼び出したイリアを見て、美由理は、眉根を寄せるほかなかった。彼女を見遣る。
「わざわざ食事に誘っただけじゃあるまいな?」
「そうだけど?」
「なに?」
「駄目なの?」
「……そういうわけではないが」
美由理は、イリアに上目遣いで見られ、渋々、対面の席に腰を下ろした。手元の操作盤に触れて献立表を呼び出す。幻板が表示され、そこに献立が羅列されていくという仕組みだ。どこにだってありふれた技術。央都ならば当たり前の風景に過ぎない。
注文が決まれば、幻板に表示されている文字に触れれば良い。
美由理は、空腹でもなかったため、コーヒーだけを注文した。
すると、イリアが献立表越しに美由理の顔を覗き込んできた。
「ちゃんと食べなきゃ駄目よ。星将でしょ、あなた」
「それはそうだが」
「だったら、見本になりなさい。それとも、あなたの弟子に告げ口をしてもいいのかしら」
「それは……」
困るな、と、美由理は思いつつ、仕方なしになにか適当なものを見繕い、注文した。その様を見て、イリアもほっとする。
美由理は、戦団最高峰の導士の一人だ。戦闘部最強の座を朱雀院火倶夜と競い合うような間柄であり、その一挙手一投足は常に注目を浴びている。無論、そんんなことは、彼女自身が誰よりも理解していることだろうし、だからこそ、一切気にすることなく己を貫き通しているのだろうが。
それが、時折、心配になってしまう。
美由理は、余計なお世話だというのだろうが。
イリアは、といえば、普段より多めの料理を注文して、それだけでなんだかお腹いっぱいになった気分になってしまったが、美由理に言った手前、食べ残すようなことはするまい、と、心に決めている。
星将と言えば、イリアも星将なのだから。
戦団本部内にいる以上、導士の目を気にしなければならないのは、イリアも同じだ。
そして、イリアもまた、美由理のように注目を浴びる立場にあると言うことを認識していなければならない。
事実、テラスの隅の席にいる二人は、喫茶店〈星の瑠璃〉にいる他の客から注目されていた。
それはそうだろう、と、いうほかない。
戦団最高戦力の一人と、戦団最高頭脳の一人が、向かい合って食事を取ろうとしているのだ。
注目を集めない理由がなかった。