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第三百九十九話 おおかみのこども(一)

 その日の朝、升田春雪ますだはるゆきは、いつも通り午前七時半には家を出た。

 八月も下旬に差し掛かろうという時期。

 空は、どんよりと曇っていて、その所為せいなのか妙に蒸し暑かった。風がないということも、大いに関係しているのだろうが。

 家を出るとき、妻の麻里安まりあと娘の春花はるかが見送ってくれたのは、いつものことであって、いつものことではない。

 八月だからこそ、だ。

 春花は今年、十二歳になる。小学六年生であり、平日ならば春雪よりも先に家を出ている時間帯だった。

 八月は、夏休みだ。

 央都全体がそういう仕組みになっている。

 とはいえ、社会人に夏休みがあるかといえばそんなわけもなく、春雪は普段通りに起床し、普段よりも賑やかな朝食を終え、準備を整え、家を出たというわけだ。

 曇り空ではあったし、天気予報では午後には雨が降るという話だったこともあり、雨具も用意している。

 後は、法機ほうきだ。

 戦団技術局謹製の法機は、一般に出回っている法器ほうきよりも余程高品質であり、あらゆる面で秀でている代物だ。一般市民が手にできるものではないし、もちろん、彼も一般市民ではない。

 彼は、戦団情報局の局員であり、副局長補佐という立場にあった。

 生まれつきの白髪のせいで実年齢よりも老けて見られることが多いものの、それで気を悪くするような人物でもなかった。他人にどう見られ、どう思われているのかについては、誰よりも気にしているものの、それが外見的なことならばどうだっていい――そんな考え方が、升田春雪の中にあった。

 中肉中背を戦団の制服で包み込んでいて、手には鞄と法機が握られている。長杖型法機・流星りゅうせいである。彼は流星を起動するとともに小さく真言しんごんを唱え、簡易魔法を発動させることによって空を舞った。

 彼の家から職場――つまり、戦団本部までは然程遠くはない。

 空を飛べば、まさに一っ飛びに目的地に辿り着ける。

 便利な社会だったし、便利な技術だった。

 魔法があればこそ、交通渋滞など気にすることなく、ゆっくりと朝を迎え、家を出ることが出来る。

 情報局員の常として、常日頃、膨大な情報と接しているが、過去の記録を閲覧することも少なくない。そうして過去、魔法のなかった時代――いわゆる旧時代の記録を閲覧すると、不便極まりなかったのだろう、と、同情せざるを得なかった。

 無論、旧時代には旧時代の良さがあるのだろうが、この今にも雨が降り出しそうな空模様の真っ只中、うんざりするような熱気を突っ切るようにして空中を飛翔し、地上のあらゆるしがらみを無視する爽快感を得られることなどなかったに違いない。

 いつだって、人類は重力に縛り付けられていた。地べたを這いずるようにしか、生きられなかった。

 もちろん、今だって重力そのものを無視することは出来ない。

 しかし、飛行魔法の自由さは、まるで重力のくびきから解き放たれたかのような感覚を抱かずにはいられないものだ。

 そして、空を飛んでいるというだけで、人は、まるで自分が神にでもなったかのような錯覚を持つものらしい。

 その結果、魔法が持つ万能性に酔い痴れ、己が能力を過信し、勘違いすることも、よくあることだ。

 戦団の導士どうしたる升田春雪は、さすがにそのような勘違いをすることはないのだが。

 戦団には、自分などよりも遥かに優れた魔法士たちが大量にいる。

 それこそ、戦闘部の導士たちは、いずれもが優秀な魔法の使い手といって良かった。でなければ戦闘部に入れないのだから、当然だろうが。

 戦団に入り、数多と魔法士を見てきた彼からすれば、己の魔法技量に酔い痴れるほどの愚かしさを持つことなどできるはずもなかったのだ。

 朝の葦原あしはら市上空を飛んでいるのは、なにも彼だけではない。

 一般仕様の法器に跨がり、空を舞う市民の数は、数え切れない。

 夏休み。学生の姿こそ見受けられないが、スーツ姿の会社員が法器に乗り、飛行魔法で空を飛ぶ姿というのは、いくらでも見受けられた。

 これぞ、魔法社会だ。

 誰もが魔法を体得しており、魔法を駆使し、魔法に頼り切っている。

 そしてそれは、必ずしも悪いことではない。

 魔法社会は、魔法があればこそ成立している社会といっても過言ではない。

 央都は、管理社会である。

 市民一人一人の動向が徹底的に監視され、管理されているといってもいい。

 央都四市の至る所に仕掛けられた監視カメラが常にその目を光らせているし、央都中を巡る情報通信であるレイライン・ネットワークは、統合情報管理機構ノルン・システムによって掌握されている。

 日々、莫大な量の情報がこの央都を駆け巡っているのだが、その全てが、ノルン・システムに集積されていて、常に精査されているのだ。

 この央都の仮初かりそめ同然の平穏と秩序を維持していくためには、致し方のないことだ。

 戦団とて、央都をネノクニ以上の管理社会になどしたくはなかったに違いない。

 本当ならば、もっと自由な、誰もが思うがまま、あるがままに生きられる社会を構築したかった。

 だが、そんな奔放ほんぽうが許されるような時代ではない。

 この地上には、数多あまたの敵がいる。

 数え切れないほどの幻魔が地に充ち満ちていて、いつ何時なんどき、この央都に襲いかかってくるのかわかったものではなかったし、そうではなくとも、幻魔災害が発生する可能性があった。

 監視社会である必要性は、そこにもある。

 幻魔災害が発生した瞬間、即座に対応できるようにするためには、市内のあらゆる場所に監視カメラを配置しておかなければならなかった。

 死角を作っては、ならない。

 幻魔災害は、どこでいつ発生するのかわからないのだ。

 その予兆としてサタンの出現があるが、しかし、サタンだけが幻魔災害を引き起こしているわけではない。

 幻魔災害は、魔法士ならば誰もが患っている病といってもいいのだ。

 端的にいえば、魔法士の死が幻魔の苗床なえどことなるのだから、全魔法士が幻魔の種子を抱えているといっても、言い過ぎではあるまい。

 彼ですら、そうだ。

 だからこそ、監視を強めるしかない。そうすることでしか、万が一の幻魔災害に対応できなくなる。

 そんなことを考えるのは、常日頃、情報局に入り浸り、膨大な量の情報と接し続けているからだろうか、などと、彼は想ってしまう。

 やがて、戦団本部が見えてくると、敷地内の駐車場に降り立ち、法機を仕舞う。転身機ていきを使えば、法機を保管庫に転送することが可能なのだ。

 転身機は、一瞬にして導衣どういに着替えるための魔機まきとして開発されたが、それ以外にも様々な使い道があった。その一つが、春雪が行ったような法機の保管庫への転送である。

 別に法機に限った話ではない。転身機に登録したものならば、大抵のものが設定した場所に転送することができる。

 逆もまた、然りだ。

 転身機に登録したものならば、召喚言語を唱えるだけで、いつでも瞬時に呼び出すことも可能なのだ。

 転身機ほど便利な魔機もない、とは、戦団の導士ならば誰もが思うことだろう。

 なぜならば、転身機を使えるのは、戦団の導士だけだからだ。

 そして、転身機を開発したのは、戦団一の頭脳とも謳われる才媛さいえん日岡ひおかイリア博士である。

 だから、第四開発室と直接関わりのないような部署の導士であっても、彼女の発明品の数々には感謝していたし、彼女がもたらした技術革新の恩恵に預かれることに歓喜していたりする。

 春雪も、そんな恩恵を受けている一人であることは、いうまでもない。

 春雪が駐車場から真っ直ぐに向かったのは、本部棟である。

 幾重にも折り重なった雲の下、戦団本部の中心に聳え立つ本部棟は、威厳と圧力に満ちているような気がしたが、きっと気のせいだろう。

 彼にとっては、見慣れた職場に過ぎない。

 彼が戦団に入って、二十年以上が経過している。


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