第三百九十七話 獅子王万里彩
第六軍団長・新野辺九乃一が教鞭を振るった翌日には、第十一軍団長・獅子王万里彩が指導教官として合宿を訪れた。
獅子王万里彩が特に重視したのは、座学である。
「伊佐那軍団長が是非とも開催したいというので期待していたのですが、どうにも期待外れの結果に終わりそうですので、ここは一度、わたくしみずからが喝を入れる必要がありそうだと想いましたので、御協力申し上げたのですわ」
などと、獅子王万里彩が恭しくも宣ったのは、彼女が最初に夏合宿を訪れたときのことであり、八月上旬のことだった。
そしてそれは、機械事変直後である。
菖蒲坂隆司は、直属の上司がそのようなことを言ってきた原因が自分にあるのだと瞬時に理解したから、どうにも肩身が狭くなる想いがしたものだ。とはいえ、こうなってしまっては、隆司にはどうすることもできない。
合宿期間中、真里彩に認められるようになる他ない、と、隆司は決意を新たにした。
万里彩は、伊佐那家や朱雀院家に並ぶほどではないにせよ、魔法の名門である獅子王家の長女であり、令嬢である。その気品に満ちた立ち居振る舞いは、どこでなにをしていても絵になったし、挙措動作の一つ一つが美しく、洗練されていた。
しかし、その見た目の優雅さ、美麗さに騙されてはいけないことは、夏合宿受講生の誰もが理解していることだ。
第十一軍団長である。
星光級の導士、即ち星将である彼女は、当然ながら新野辺九乃一、伊佐那美由理と同等の魔法技量の持ち主なのだ。
そこに疑いを持つものは、受講生の中に一人としていなかったし、彼女の戦歴一つ取っても、この場にいる他の誰よりも圧倒的だった。
だから、彼女の言葉の一つ一つが重く、強く、深く響くのだ。
幸多は、美由理が悪くいわれた気がして少しばかりむっとしたものの、いざ万里彩の授業が始まると、そうした気持ちもどこかへ吹き飛んでしまった。
万里彩が座学において重視したのは、基本である。
戦団の基本、導士の基本、戦闘の基本――あらゆることの基本を、万里彩は、懇切丁寧に教えた。幸多たちがこの夏合宿によってようやく学び始めたことをさらに徹底的かつ詳細に教え、その心身に馴染み込ませようというのだ。
万里彩は、機械事変において、単独行動をする愚かな導士の姿を発見した。それが直属の部下である菖蒲坂隆司であると認識したときには、頭を抱えかけたものだ。菖蒲坂隆司は、軟派な問題児という認識が、第十一軍団幹部の間にあった。
しかし、才能においては他の追随を許さないものがあり、将来有望であることに違いはなかった。
万里彩や幹部たちの誰もが、彼の才能が磨き抜かれるときを期待してもいた。
だからこそ、美由理が主宰する夏合宿に受講生として参加させたのだ。
それもこれも、隆司が導士としてより良く成長するためにほかならない。
だが、合宿が始まったばかりとはいえ、機械事変で見せた彼の戦いぶりは、期待外れの域を出なかった。
たった一人で幻魔に戦いを挑むということ。
それ自体は、一見すると、勇猛果敢な英雄的行為に受け取れなくもない。
実際、極めて優れた導士ならば、せめて輝光級以上の階級の導士であれば、その行動も賞賛されただろう。輝光級以上の導士ということは、単独行動を取っても許されるだけの実力があり、実績があるということだ。
それでも、万里彩は、導士の単独行動はできるだけ控えるべきだと思っていたし、そうした考えが彼女の根底にあった。
なぜならば、相手は幻魔だからだ。
幻魔は、人外異形の怪物であり、人知を超えた存在といっても過言ではない。散々に研究され、解剖され、分析され尽くしたとはいえ、それでも脅威には違いなかったし、圧倒的な生命力を誇っていることにも変わりはなかった。
一対一で戦うのは、極めて危険な存在なのだ。
それに機械型は、新種の幻魔である。
どのような力を持っているのかもわからなければ、攻撃手段や防御手段、習性や生態も明らかではなかった。それらが元となった幻魔と全く同じなのかどうかすら、不明だったのだ。
事実、隆司は命を落としかけている。
もしあのとき、万里彩が別方面に足を向けていれば、それだけで彼の姿はここにはなかっただろう。
それもこれも、彼が対抗戦決勝大会の活躍を認められ、優秀選手として戦団に勧誘されたことが、原因として存在する。
戦団は、対抗戦の優秀選手を即戦力として勧誘し、加入させる。実際、そうして加入し、導士となったものの多くは、魔法士としての才能に満ち溢れており、育て方次第では戦力になり得た。
しかし、そうした才能というのは、しっかりと育成することによってこそ発揮されていくはずだ。
菖蒲坂隆司の才能は、万里彩も認めるほどのものである。だからこそ、第十一軍団の長として、彼を引き入れたのだ。弟子に取らなかったのは、既に弟子がおり、手一杯だからにほかならない。
もし弟子がいなければ、彼を弟子にしていた可能性もある。
それくらい、隆司の才能というのは、素晴らしいものがあるのだ。
だからこそ、と、万里彩は、座学の最中、彼のことを注視しながら思う。
あのとき、間に合って良かった、と。
彼ほどの才能溢れる人材を失うことは、戦団にとっても大いなる損失だったし、もしそんなことになれば、万里彩は美由理を恨んだかもしれない。
いや、恨むのであれば、自分自身だろう。
美由理に責任をなすりつけてはいけないと、自戒しながら、心の中で頭を振る。
対抗戦組の育成が疎かになっているのは、取りも直さず、彼らを引き入れた軍団が育成を疎かにしていたからにほかならない。
対抗戦組が、いずれも優れた魔法技量の持ち主であり、実戦に耐えられるだけの実力があると判断されてしまった。だからこそ、、すぐさま任務につけ、成果を上げたがために、そのままずるずると育成を先延ばしにしてしまったのだ。
その結果が、機械事変の隆司である
彼が戦団の基本方針を知らないわけもないし、最小戦闘単位を理解していない理由がないのだが、とはいえ、状況に流され、単独行動を取ってしまったのは、まぎれもなく教育がなっていないからだ。
そして、その教育は、万里彩たち第十一軍団がするべきことだったのだ。
いまさら反省するのは遅すぎるのだが、しかし、反省する機会を得られたことには感謝するほかなかったし、後で隆司に謝ろうとも、万里彩は考えていた。
そして、二度と同じ過ちが起こらないように、徹底的に戦団の戦い方を叩き込んでいく。
戦団の戦い方とは、なにか。
戦団において、実戦を担当するのは、戦務局と名付けられた部局である。
戦務局とは、その名の通り、戦を務める局という意味で名付けられている。
戦務局は、大まかに分けて二つの部と一つの特殊部隊に分けられる。
一つは、作戦部。
戦団本部内の作戦司令室において、戦務局が行う任務や作戦の立案、修正、発行などを行い、また、戦務局に関する様々な情報を取り扱う部署だ。
もう一つは、戦闘部。
その名の通り、戦闘を担当する、まさに実働部隊であり、戦務局において、いや、戦団においてもっとも人数の多い部署でもある。
戦闘部内には、全部で十二の軍団があり、それぞれの軍団長を務めるのは、星光級の導士・星将である。
戦闘部は、戦団が行う戦闘行動の全てに関わり、あらゆる作戦、任務において最前線に立つ役割を持つ。幻魔と戦うだけでなく、魔法犯罪を取り締まることもあれば、央都市内で執り行われる様々な行事の警備を務めることも、少なくない。
最後に、幻魔災害特殊対応部隊と呼ばれる特殊部隊が存在する。
これは、幻魔災害によって生じた被害に対応するための部隊であり、通称・事後処理部隊などと呼ばれることもある。幻災隊と呼ばれることも多い。
それら作戦部、戦闘部、幻災隊の二部一隊が、戦務局を構成している。
もっとも、そうした戦務局の内情というのは、央都の一般市民の大半が知っていることであったし、わざわざ再度勉強する必要のないことではあるのだが。
しかし、万里彩は、夏合宿においてそうした基礎知識こそ重要なのではないか、と、考えて、教鞭を振るうのだった。