第三百九十三話 大穴調査(八)
施設内部を巡るヤタガラスが見た光景というのは、端的にいえば、地獄のようなものだ。
どこもかしこも妖級幻魔トロールの群れによって徹底的に破壊されている有り様であり、床も壁も天井も穴だらけになっていた。
通路や通路と部屋を隔てる扉も破壊されており、故にヤタガラスが飛び回ることも難しくはなかったのだが、その結果、施設内部の惨状がよりはっきりと理解できたのだ。
トロールたちは、施設内部のどこにでもいた。
「三十体はおるな」
朝彦がうんざりとした心持ちでつぶやいたのは、ヤタガラスが捉えた施設内の有り様を見つめながらのことだ。
三機のヤタガラスのカメラが、施設内を壊し回っているトロールたちを撮影し、記録している。いずれのトロールも機械型ではなく、また、鬼級幻魔の配下の証である殻印も持っていない。
つまり、野良ということになるのだが。
「なにか意志を感じますね」
「せやな」
統魔の意見に、朝彦も同意した。
トロールは、歩くだけで周囲に被害をもたらすような愚鈍極まりない幻魔だが、しかし、いまヤタガラスが撮影している彼らは、明確に施設内を破壊して回っているように見えた。
壁や床が、トロールたちの振り回す腕や足のせいで壊れてしまうだけならば、なんの違和感もなく見逃してしまうのだろうが、各所に設置されたなんらかの設備が原形を留めないほどに破壊されている様子を見れば、彼らがなんらかの意図を以て破壊活動を行っているのは明白だ。
「トロールにそれだけの知能があるとは思えませんが」
「あらへんやろな」
朝彦は、南の発言にも同意する。
トロールは、妖級幻魔の中でも特に知能の低い種であると考えられている。
幻魔は、等級によってその能力が大きく異なり、等級が上がるほどに知能も高くなるとされているのだが、例外的にトロールだけは妖級幻魔でありながら、霊級幻魔以下の知能しか持ち合わせていないのではないか、と、いわれているほどだった。
それが事実なのかどうかはともかく、トロールが考えなしに行動することは間違いない。
先程、朝彦がトロールを圧倒できたのも、虚を突くことができたからにほかならない。それもこれも、トロールが愚鈍かつ素直だからだ。
そんなトロールだが、妖級幻魔である。
一箇所に三十体も集まっているだけでも異常なのだが、彼らがこの施設を徹底的に破壊して回っている光景は、異様というほかない。
通常、ありえないことだ。
「せやけど、トロールがなんの理由もなくこんなことをするわけないわな」
「はい」
「あいつら、操られとるんや」
「誰にです?」
「知るかいな。それ以外、考えられんってだけの話や」
「……まあ、そうですが」
さすがの南も朝彦の推察を否定することはなく、杖長にして隊長たる彼を仰ぎ見た。
「どうするんです?」
「現状、三十体。奥に行けばもっとおるかもわからんからな。一度、上に戻るで」
「それが一番でしょうね」
「っちゅうことや。わかったな?」
「はい。わかりました」
統魔は、朝彦に念を押されて、速やかに頷いた。統魔の腕をぎゅっと抱きしめていたルナの力が弛んだのは、ほっとしたからだろう。
香織が、残念そうな顔をした。
「なーんだ、出番なしか-」
「そういうときもある」
「良かったじゃない。戦わずに済んで」
「ルナっち、怖がりすぎじゃない?」
「怖がらないほうがどうかしてると思うけどな」
「そうかな? たいちょ、どう思います?」
「そうだな……」
統魔は、香織とルナの目線を感じながら、少しばかり考える素振りを見せた。考えるまでもなく答えは出ているのだが、部下の手前、そういう反応をしておく必要を感じたのだ。
「ルナはついこの間まで一般市民だったんだ。怖がるのも無理のない話だろう」
統魔がそういうと、ルナは思わず彼に抱きついた。元々腕にしがみついていたのだが、全身を包み込むように抱きつきなおしたのだ。統魔がたじろぐのがわかるが、仕方がない。無意識の行動であり、感情の爆発なのだから、どうすることもできない。
「統魔、大好き」
「あー……」
「アザリン、かわいそー」
「おれはどうなんだ」
「たいちょはかわいいね」
「なにがだよ」
統魔は、香織の言いたいことがわからず、憮然とした。香織だけはいつだってとにかく楽しそうで、それが統魔には理解できない。
香織が皆代小隊の潤滑油であることは疑いようのない事実ではあるのだが。
「仲がええのは、ええこっちゃ」
やがてヤタガラスが戻ってくると、朝彦が一同を見回し、頷いた。皆、無事である。先程の戦闘で負傷したものがいないのだから、当然ではあるのだが。
この異界に突如として出現するダンジョンの調査任務というのは、死者が出ることも珍しくはない。
空白地帯を巡回し、遭遇した幻魔と戦うだけならばまだしも、内部構造のわからない複雑な迷宮を探索するとなれば話は別だ。場合によっては、ダンジョンに仕組まれた罠によって命を落とすことだって考えられた。
朝彦が調査を切り上げたのは、この施設が想像以上に複雑に入り組んでおり、まさに迷宮以外のなにものでもないということも理由にあった。
この地下深くに穿たれた巨大な穴を巡る迷宮は、やはりしっかりと調査しなければならないのだろうが、そのためにはそれ相応の戦力を用意するべきだ。
妖級幻魔トロールが三十体以上、このダンジョン内部を巡り、破壊活動を行っている。
その全てを撃破するのは、さすがの朝彦でも骨が折れるし、出来るとは言い難い。
数が多すぎるのだ。
これが十体程度ならば、この少人数でも余裕だろうが。
三十体以上のトロールである。
いや、ひょっとするともっと多くのトロールがいる可能性を考慮すると、ここは早々に切り上げるべきだろう、と、朝彦は結論づけた。
せめて、煌光級導士があと一人同行してくれていれば、調査を続行する判断をしていただろうが。
「ま、そういうこっちゃ」
螺旋通路の上空を飛びながら、朝彦は、統魔たちに説明した。
統魔たちにとっても、説明されるまでもないことではあったのだが。
このダンジョンが簡単に攻略できるものではないことは、ヤタガラスの映像を見れば一目でわかろうというものだ。複雑に入り組んだ広大な地下施設。それだけならばまだしも、多数の妖級幻魔が歩き回っていることが明らかだ。
それらを殲滅するためには、戦力が足りない。
統魔は、法機を握る手に力を込めた。
(戦力……)
自分は、朝彦の眼鏡にかなう戦力たりえない、ということがはっきりとわかる。
昨年、戦団に入ってからあっという間に輝光級まで駆け上がった統魔だが、そこからは足踏み状態が続いている。
無論、輝光級三位以上の導士になるというのは、そう簡単なことではないことは、統魔も理解している。だが、一刻も早く星将に、星光級の導士なりたいという気持ちは、統魔の中に常にあった。
戦団最高戦力に数えられるほどの導士になること。
それこそ、統魔がその悲願を叶える上で絶対に必要なことだった。
戦団の一戦力では、夢を叶えることはできない。
鬼級幻魔サタンを打倒するという夢。
復讐を果たすという悲願。
それを叶えるためには、もっと力を付けなければならない。
力を付け、実績を積み、自他共に認める戦団最高峰の戦力となるのだ。
そのためには、なにをどうするべきなのか。
統魔が地上に至ってもなお考え続けるのはそのことであり、字と剣が駆け寄ってきたのにも気づかないまま、空を睨み続けていた。
雲一つ見当たらない青空は、統魔の気持ちなど全く知らないといわんばかりだった。




