第三百九十一話 大穴調査(六)
下位妖級幻魔トロールが、五体。
ヤタガラスが撮影している通路内を、まるで自制の効かない子供のような気儘さで歩いている。ずんぐりむっくりした胴体を揺さぶらせ、長く太いよう腕を振り回しながら、時には壁や天井にその拳をぶつけることになっても、まったく関係ないかのようにだ。
「ここ、幻魔にとって重要な施設やなさそうやな」
「なぜ、そう思うんです?」
「見てみぃ、トロールが歩き回ったら、それだけで大惨事やろが」
朝彦は、壁や床がトロールの天真爛漫とは言い難い自由気儘な歩き方によって傷だらけになっている様を指して、告げた。
トロールは、妖級幻魔だ。
巨大な魔素質量の塊であり、軽く拳を叩きつけるだけでとてつもない衝撃を生み出すことができる。事実、トロールが拳をぶつけただけで、壁や床は凹んでいたし、トロールの全体重を乗せた足は、歩くだけで床にめり込んでさえいる。
「あんなもん、重要施設に配置できんやろ。放っといたらなんもかんも壊されてまうわ」
「確かに……」
統魔は、朝彦の推察に大いに頷きながら、トロールたちが騒々しく歩く様を見ていた。ただ移動しているだけだというのに、その周囲には多大な被害が出ている。
さっきまで傷ひとつ見当たらなかった通路が、いまや傷だらけ、凹みだらけだ。
確かに、なにかしら重要なものがあるような場所に配置しておくには、トロールは危険すぎるだろう。
「せやけど、まあ、ここに幻魔が潜んでたっちゅうことは間違いない。放って置くことはできん」
「どうするんです?」
「まずは、や」
部下の質問に答えようとするより早く、朝彦は、扉に空いた穴の中に飛び込んでいった。その周囲には、高密度の律像が展開していて、その二重三重に描き出される無数の紋様が折り重なる光景は、彼が煌光級導士であることを再認識させるようだった。
圧倒的な密度。
朝彦の周囲に浮かび上がる複雑かつ精緻な紋様は、魔法の設計図の完成度の高さをこれでもかと見せつけている。それも、凄まじい速度でこれほどまでの律像を形成しているのだから、彼が指折りの魔法技量の持ち主であることは疑いようもない。
統魔もまた、彼に倣って律像を展開した。朝彦の律像は、紛れもなく、攻型魔法のそれであり、彼がトロールに対し先制攻撃を仕掛けるつもりだということはいわれるまでもなくわかった。
「……戦闘準備を」
躑躅野南が、少しばかり呆れたような顔で統魔たちにいったのは、朝彦が説明不足で突っ込んでいったからに違いない。
統魔は、枝連、香織、そしてルナに目配せした。ルナはきょとんとして、統魔にしがみつく。枝連は香織と顔を見合わせ、すぐさま扉の内側へと飛び込んでいった。香織が続き、統魔がルナとともに扉の穴の中に入り込む。
前方で閃光が駆け抜け、爆音が轟いた。施設そのものが揺れるほどの衝撃。紛れもなく、魔法攻撃によるものだが、無論、朝彦による先制攻撃だろう。
トロールの怒りに満ちた咆哮が、通路内を衝撃波のように響き渡る。
ルナは、統魔の腕にしがみつくことで恐怖心を抑えつけながら、彼と共に通路を駆け抜けていく。
二人の前方を枝連と香織が走っていて、特に防手たる枝連は、既に防型魔法を展開していた。
防手は、防型魔法によって仲間を守るだけでなく、敵の攻撃を一手に引き受けるという役割を持つ。本来であれば、敵陣に真っ先に飛び込むのは防手の役割なのだが、今回ばかりは致し方のないことだ。
なにせ、朝彦の行動を予期することなど、枝連に出来たわけもなければ、予想出来たとして、杖長に先んじるわけにもいくまい。
躑躅野南は、統魔とルナの後ろ、最後尾を走っている。後方を警戒しつつ、といった様子だ。
不意に、怒号とともに、物凄まじい金属音が連続的に聞こえてきた。トロールの雄叫びであり、攻撃であろう。
統魔はルナを一瞥して、彼女が切羽詰まったとしか言いようのない表情をしながらも、文句一つ言わず一緒に走っていることに気づいた。
ルナは、幻魔との戦いに、戦場の空気に慣れていない。
仕方なく戦団に入ったものの、本当であれば、ただの一般市民でいたかったはずだ。だが、彼女の存在がそれを許さなかった。
だから、戦団に身を投じ、皆代小隊の一員になるほかなかった。
消去法の、しかし、確かな選択。
ルナが、唇を噛みしめるようにして、前だけを見据えている様を見れば、彼女がしがみついている腕を振り解く気にもなれなくなる。彼女なりに踏ん張っているのだ。
今すぐにだってここから逃げ出したいのかもしれないし、叫びたいのかもしれない。そんなことは、彼女の表情を見れば一目でわかる。
だからこそ、統魔は、彼女になにもいわない。
彼女が全身全霊の力を込めて、ここにいるということを知っているからだ。
爆音が、連鎖的に響く。
そして、爆煙が通路内を満たした。視界が一気に悪くなる。
「さがるで!」
朝彦の声が聞こえてくるのと、獰猛な怪物の叫び声が聞こえてくるのはほとんど同時だった。爆煙の中から姿を見せた朝彦が、軽々と枝連と香織を抱えるようにしていた様を見て、統魔は、咄嗟にルナを抱き抱えた。
「ええ!?」
ルナが驚きの声を上げるのを無視して反転、朝彦の命令通りに元来た道を戻る。
咆哮が幾重にも響く。
重く、破壊的な叫び声。怒りに満ちていて、手の付けられない様子が伝わってくるかのようだ。さらに破壊音が背後から迫ってくる。
「どどど、どういうことなんです!?」
「杖長!?」
「三体、斃した!」
朝彦が、頭上に掲げる二人の疑問に答えるように叫ぶ。
「あの一瞬で?」
統魔は、思わず聞き返してしまったが、朝彦には聞こえなかったらしい。朝彦は、背後を振り返り、叫ぶように真言を唱える。
「七百陸式・破光陣!」
朝彦が魔法を発動させた瞬間、彼の視線の先、濛々《もうもう》と立ちこめる爆煙の真っ只中に光の陣が形成された。金属製の床の上に描き出された光の紋様は、その真上を突っ込んできたトロールに反応し、凄まじい破壊の光を浴びせる。渦巻く光の奔流がトロールの巨躯を打ち据え、吹き飛ばした。
しかし、決定打にはならない。
愚鈍とはいえ、妖級幻魔である。
圧倒的な魔素質量を誇り、膨大な生命力を内包している。どれだけその肉体を傷つけたところで、魔晶核が壊れない限り、いくらでも再生してしまう。
だから、魔晶核の一点狙いが最も効率のいい戦い方といえる。
当然、幻魔の種類ごとに異なる魔晶核の位置を把握していなければならなし、魔晶体という幻魔の装甲そのものたる外骨格を突破するだけの火力、攻撃力が必須となる。
つまり、朝彦は、トロールの強固な魔晶体を突破、貫通できるだけの攻型魔法を使い、あの短時間で三体もの撃破したということになる。
とんでもない離れ業――とは、いうまい。
朝彦は、煌光級導士だ。
煌光級は、輝光級と星光級の間にある。
つまり、もっとも星将に近い階級ということになる。
そして、それだけ実力があるということにほかならない。
戦団は、実力主義だ。実力がない導士は、昇級できない。
ましてや、杖長に選ばれるほどの人物が、トロール如きに手間取るはずがない。
とはいえ。
「閃輝輪!」
統魔は、全身を朝彦の魔法に灼かれながら、いまにも復元しようとしているトロールの腹部目掛けて、魔法を放った。光り輝く大きな輪が、凄まじい速度で回転しながら虚空を滑っていく。
破光陣の直撃を受けたトロールの背後から、もう一体のトロールが姿を見せたちょうどそのとき、統魔の放った光の輪が、最初のトロールの腹に突き刺さる。魔力体と魔晶体との激突によって火花が上がり、物凄い音が生じた。
「回れ!」
統魔が光輪の回転速度を上げると、さながら、丸鋸のように火花を散らしながらトロールの胴体を切断し、腹の奥に輝く魔晶体へと至った。
魔晶体は、脆い。
超高速で回転する光輪が触れた瞬間、それだけで致命的な一撃となって崩壊した。
トロールが断末魔の悲鳴を上げる間もなかったのは、その背後から現れた最後の一体が、怒号を発したからだ。