第三百八十七話 大穴調査(二)
大穴調査隊が結成されることとなったのは、今朝方である。
味泥朝彦が言ったように、この地に大穴が開いたのは、一昨日のことと考えられていて、発見されたのは昨日のことだ。
昨日、この周辺地域を巡回していた小隊によって発見されたものの、その小隊には、内部の調査を行わないようにとの指示が下された。
それもまた、当たり前と言えば、当たり前のことだ。
小隊で出来ることには限度がある。
たとえば、空白地帯の巡回であり、徘徊中の幻魔を発見次第撃滅することや、周辺地形の調査である。なにかを発見したとしても、それを詳細に調査するのは、多少なりとも戦力を揃えてからのほうがいいだろう、というのが、戦団の考えだった。
異様な地形や構造物を発見したからといって、調査に乗り出した挙げ句、壊滅した小隊の例は後を絶たない。
だからこそ、空白地帯の調査は慎重にならざるを得ないのだ。
「地形がいきなり変化するっちゅうんは、空白地帯でもよくあることや。この穴も、それやろな」
味泥朝彦が大穴を覗き込みながら、いった。
空白地帯には、謎が多い。
空白地帯とは、鬼級幻魔の領土になっていない地域のことであり、〈殻〉と〈殻〉がぶつかり合った結果生じる隙間のことだが、その空隙は、当然ながらただの大地であるはずだった。
しかし、空白地帯の大地には、異変がよく起きた。
その日確認した地形が翌日には様変わりしていた、なんてことが度々記録されるくらいであり、今回のように突如謎めいた大穴が出現するということも珍しくない。
それがなぜ起こっているのかも、戦団が誇るハイパーコンピュータ、ノルン・システムを以てしても解明出来ていない。
かつて、竜級幻魔が引き起こした魔素異常によって、その周囲一帯の地形が激変したという事例が記録されている。
つまり、この地形の変化も、魔素の異常によるものではないか、というのが定説となっている。
この地上には、魔素が満ち溢れている。
魔天創世によって、地球そのものが生産する魔素の総量が爆発的に増大し、その結果、生物が死滅したほどだ。それほどの魔素が地中に満ちていて、地上にも、大気中にも渦巻いているのだから、いつどこで魔素異常が起きたとしてもおかしくはない。
そしてそれが地形すらも変化させたのだとして、なんの疑問があるだろうか。
宇宙は、魔素で出来ている。
魔素が大地に多大な影響を及ぼすことは、とうの昔にわかりきっていることなのだ。
朝彦は、部下たちが輸送車両イワキリから機材を取り出すのを見遣り、それから皆代小隊に視線を戻した。
「いうて、この大穴や。ちゃんと調査するにはある程度纏まった人手が必要なんややないかと、おれは上に掛け合ったわけや」
「軍団長に、ですか」
「せや、麒麟寺はんにいったったんや。けどな、麒麟寺はんは、人手が足りんから無理やっていうねん」
それは、ある意味では事実ではある。
つい先日、皆代小隊が確認した天使型幻魔の軍勢が、度々この空白地帯で発見されるようになった。
天使型幻魔の群れは、野良幻魔や幻魔の部隊を一方的に攻撃し、または双方入り乱れるような激しい戦闘を繰り広げている。そして、戦団の導士たちには、人間たちには、一切手を出さなかった。
そのことから、天使型幻魔は、人間に対し、友好的か、あるいは無視するような生態を持っているのではないか、と考えられている。
以前、天使型幻魔オファニムが攻撃したのは、本荘ルナだけであり、彼女を庇おうとした皆代統魔や、オファニムを攻撃した麒麟寺蒼秀らには、全く手を出さなかった。
そうした事実が積み重なれば、天使型幻魔の人間に対する行動には一貫性があるように思えてくるものだ。
とはいえ、幻魔は、幻魔だ。
油断はできないし、警戒し続けなければならない。
第九軍団は、第七衛星拠点周辺の防備を固め、警戒を強めた。
拠点に常駐する人員と、周辺を巡回する人員のことを考えれば、大穴を調査するために避ける人数というのは、極端に少なくなるのも当然だ。
それも致し方のないことだろう、と、朝彦も理解してはいる。
「仕方ないから、手が空いてる小隊だけでも貸してくれっちゅうた結果が、この有り様なんやな」
などと、朝彦がいってくるものだから、統魔は、隊員たちの反応を見た。まるで物足りないといわんばかりの朝彦の言葉には、さすがの皆代小隊の面々も面白くなさそうだった。
「ま、悪くないけどな。央都市民の希望の星なわけやし、なあ、皆代」
「また、おれですか」
「きみ以外、だれがおるねん。期待の超新星やろ、きみ」
「それは……」
勝手に市民がいっていることだ、などとは、口が裂けても言えなかった。
確かに、央都市民が勝手に言いたい放題にいっていることではあるが、それは統魔に期待しているからにほかならない。
統魔が、戦団の歴史を塗り替えるような速度で昇進してきたからこそ、活躍してきたからこそ、そういう声が上がっているのだから、受け止めるべきだろうし、市民の期待に応えたいという気持ちもないではなかった。
無論、誰かに褒めそやされたいだとか、人気者になりたいだとか、そんな功名心のようなものは一切ない。
あるのは、怒りだ。
幻魔という理不尽への怒りだけが、統魔を突き動かしている。
「まあ、ええ」
朝彦は、統魔が余りにも乗り気になってくれないものだから、肩を竦めた。そのころには、彼自身の部下による準備も終わっている。
輸送車両の荷室から下ろされたのは、擬似霊場発生器イワクラであり、大穴付近の平坦な地面に設置されたそれは、既に駆動音を発し始めている。複雑な機構が動きながら光を発し、一定の範囲内に擬似的な霊場を形成していく。
その瞬間、イワクラを中心とする半径四十メートルもの広範囲が、大穴調査隊の活動拠点となった。
さらに、調査活動に際し、後方支援を行うための様々な機材が取り出され、配置されていく。
「この大穴がどんな構造になっているのかも、なにが待ち受けてるのかも、いまのところまったくわからんし……一先ず、ヤタガラスを飛ばすとして、やな」
「それでなにもわからなければ、内部の調査に乗り出す、ということですね」
「せや。まあ、大抵の場合、なんもないんやけどな」
「だからといって、放っておくわけにはいきませんし」
「せや」
そうしている間にも、機材の準備が整い、超小型戦場撮影機ヤタガラスが起動した。 手のひらに乗るどころか、指先に停まれるくらいに小さく、自由自在に飛び回ることができ、さらには自動的に戦場の模様を撮影してくれるそれは、情報こそ最大の力であることを知る戦団が技術の粋を結集して開発した、最新鋭の撮影機材だ。
一見すると黒い小鳥のように見えなくもない形状をしているのは、風景に溶け込むためというよりは、開発者の趣味であるらしい。
また、その形状から、ヤタガラスと命名されたが、その名称は、この島国で信仰されていた神の名前でもある。
ヤタガラスは、導きの神だという。
事実、半ば自動的に情報を集めるヤタガラスたちは、戦団を勝利に導く存在といっても、言い過ぎではあるまい。
四機のヤタガラスが拠点を飛び立つと、大穴の中へと降りていった。
四機の内、二機が大穴の中心部を降下し、残り二機が穴の内壁に刻まれた螺旋状の道筋を進んでいく。
「はてさて。鬼が出るか蛇が出るか」
「鬼級は御免被りたいですが」
「んなもん、おれかて一緒や」
躑躅野南の意見には、朝彦も同意するしかない。
もしこの大穴の奥底に鬼級幻魔が潜んでいるとすれば、そのときは、大穴調査隊の出番ではなくなるのだ。