第三百八十六話 大穴調査(一)
皆代小隊が、第七衛星拠点での任務に就いてからというもの、既に二週間ほどが経過している。
八月もそろそろ下旬に入ろうかという頃合い。
央都四市は夏真っ盛りという時期なのだろうが、衛星拠点は空白地帯の真っ只中にあるということもあって、季節感など皆無といって良かった。
央都四市に季節があるのは、土壌を根本から改良した結果だといわれている。
魔天創世によってあらゆる生物が死滅し、さらに大規模な地殻変動が起きたことにより、地上からは季節というものがなくなっていた。
地上奪還作戦決行時、つまり、今から五十年前の時点でもそう記録されている。
少なくとも、央都周辺の気候は、魔素異常によって荒れ狂い、常に変動しているといっても過言ではない状況だったという。
人類のみならずありとあらゆる生物が死に絶え、どういうわけか酸素を生成する結晶樹という新種の生物と、数多の幻魔だけが跋扈する世界と成り果てたのだ。
緑豊かな自然は消えて失せ、四季折々の彩りなど、影も形もなかった。
残されたのは、死んだ大地だ。
「とはいうても、かつてこの島国に存在した都市なんてのは、魔天創世以前、二度に渡る魔法大戦の中で失われてたっちゅう話やしな。なんもかんもが幻魔の所為っちゅうわけやない」
第九軍団杖長《じょうちょう》・味泥朝彦が軽妙な調子で喋る中、輸送車両から降り立った皆代小隊の面々は、前方に存在する異様な風景に目を留める。
それは、生物が死に絶え、どす黒く変容した大地の有り様に、ではない。
そんなものは、この空白地帯のどこにでも見られるものだったし、なんなら央都市内からでも見ようと思えば見られるものだ。
統魔たちが目に留めているのは、そんな見慣れた風景の中に突如として出現した空洞である。
それは、起伏に富んだ空白地帯の大地、その真っ只中に現れた大穴であり、かなりの深さがあるらしいというのは、底が見えないことからも明白だ。そして、穴の内壁を沿って、螺旋を描くように道が続いている。
まるで、この大穴の中へと誘っているかのようだ。
「幻魔が人類を滅ぼした――それは確かにその通りや。せやけど、人類が人類を滅ぼしかけたのもまた、事実っちゅうわけやな」
「その講釈に落ちはあるんです?」
「人の話全部に落ちを求めるんは、カンサイジンの悪い癖っちゅう話やで。きみ、カンサイジンちゃうやろ」
「地理的に言えば、央都市民全員カンサイジンですが」
そういい返したのは、味泥朝彦率いる味泥小隊に所属する導士で、名を躑躅野南といった。階級は、輝光級一位。白銅色の髪と錆浅葱色の眼を持ち、平均的な身長と華奢な体格をした女性である。
一方の味泥朝彦は、躑躅野南の反論に対し、苦い顔をしている。平均よりも低い身長ではあるが、対峙する躑躅野南よりも上背があるのは、彼が男で、南が女だからだろう。
男女の平均身長は、この時代になっても相変わらず男性の方が高いのだ。
とはいっても、全体的な平均値が上がっているのも事実であり、昔の規準でいえば、味泥朝彦は長身とはいわないまでも、やや高い方といっていいはずだ。
暗緑色の髪を適度に纏め、紅赤色の瞳は、常に油断なく周囲を観察している。軽妙な言動とは裏腹に、杖長としての役割を全力で果たそうとしていることがその様子から伺い知れる。黒基調の導衣を纏い、法機を手にしているのは、ここが空白地帯であり、戦場だからにほかならない。
彼の部下たちも、皆代小隊の導士たちも全員が同様に臨戦状態にあった。
「ああいえばこういう。そういうところがあかんねん」
「なにがいけないんです?」
「口答えするところとか、揚げ足を取るところとかや。なあ、皆代」
「ええと」
統魔は、味泥朝彦に突如として話を振られたことに戸惑いを隠せなかった。
味泥朝彦は、第九軍団の杖長である。
杖長とは、戦闘部の各軍団の小隊を取り纏める立場にある、いわば軍団の幹部とも呼べる存在だ。大半が煌光級の導士であるということからも、誰もがなれる役職ではないことは間違いない。
事実、味泥朝彦は煌光級二位の実力者であり、戦歴、技量ともにこの場にいる十人の中でもっとも高い。
そんな味泥朝彦が、統魔の反応の弱さに驚き、目を丸くした。
「どないしたんや、皆代。元気ないで」
「どうしたもこうしたも……」
統魔は、しどろもどろになりながら、言葉を探した。しかし、すぐには見つからない。
「たいちょ、味泥杖長みたいなタイプが苦手なんだよ、きっと」
「そうみたい」
「まあ、仕方がないと思いますが」
「うん、わかる」
なにやら部下たちが囁き合う声が統魔の耳を掠めたが、聞き咎めている余裕はなかった。杖長の眼は、幸多を見つめている。鋭くも柔和な、なんとも不思議な気配を持つ視線である。
朝彦は、統魔がぎこちない笑顔を浮かべるだけ浮かべてくるのを見て、頭を振った。
「まあ、ええ」
それから、視線を巡らせる。
「そんなことよりも、こっちの方が重要やしな」
朝彦が見下ろしたのは、統魔たちも気にしている眼前の大穴のことである。
第七衛星拠点から南東へ数キロ走ると、じきに海岸線が見えてくるのだが、その少し手前の地点、死んだ大地が蹲っているかのような地形の真っ只中にそれはある。
大地を穿つ巨大な空洞。
遥か地下深くまで続いているような大穴。
「こんなもん、この間までなかったんや。つい、一昨日までな」
朝彦が、携帯端末を操作して、幻板を出力する。そこには、この周辺の地形に関する調査報告とともに記録映像が映し出されている。
現在、巨大な穴が穿たれている地形は、一月前の記録によれば、周囲と同様に荒れ果てた大地そのものだったようだ。
どこにでもある空白地帯のありふれた景色の一部に過ぎず、特徴らしい特徴を見出すことも困難な地形。故にこそ、大穴が突如として出現したということが、誰にだってすぐにわかっただろう。
「一昨日、急に穴が現れた――らしい」
「らしいって」
「そりゃそうやろ。毎日毎時毎分毎秒、このだだっ広い空白地帯のあらゆる場所を見て回り続けるやなんて、出来るわけない。そもそも人手が足りんしな」
「それはそうですが」
「そんで、人手が足りんから、この少人数で調査に当たることになったんやしな」
そういって、朝彦は、大穴調査隊と銘打った一団の面々を見回した。
味泥小隊に所属する四名と皆代小隊に所属する六名、合計十名の導士が、大穴調査隊を構成する人員である。
味泥小隊は、味泥朝彦を小隊長とし、躑躅野南、宮前春猪、高畑陽という三名の輝光級導士を隊員としている。輝光級導士を取り揃えているということもあり戦力としては中々のものだろう。
一方、皆代小隊は、といえば、皆代統魔率いる小隊であり、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していることは、朝彦もよく知っている。
所属する導士は、上庄字、六甲枝連、新野辺香織、高御座剣、そして、本荘ルナの六名である。
特に朝彦は、本荘ルナを見つめた。
「な、なに……?」
本荘ルナが思わず怪訝な顔をして、そそくさと字と香織の後ろに隠れてしまうくらいの熱視線だった。
「相変わらず寒そうな格好やな」
「寒くないけど」
ルナは、警戒心を剥き出しにしながら、字と香織を盾にする。字は困惑し、香織はその状況を面白がった。
よくあることでもあった。
当然だろう。
本荘ルナは、奇抜極まりない格好をしている。彼女が、常人同様の羞恥心を持っているのであれば、いてもたってもいられないような、露出度の激しい出で立ちなのだ。しかし、ルナはその格好が当たり前のように思っているようだったし、恥ずかしがったりもしないものだから、香織たちもいつ頃からか慣れていった。
慣れとは恐ろしいもので、ルナの格好に奇異の目を向ける人間こそおかしいのではないか、とさえ思うようになってしまうのだ。
導士の大半、いや、ほとんど全員が、彼女に奇異の目を向けるというのに、だ。
本荘ルナは、しかし、人間として、扱われている。
彼女の正体不明の正体を知っているのは、戦団でもごくわずかな人間だけだ。
「そーか。それやったら、ええわ」
味泥朝彦は、そんな本荘ルナの未知の正体を知っている一人である。
だからこそ、注視するのだが。
気にしすぎるだけ無駄だと言うこともまた、理解していた。




