第三百八十三話 イリア(一)
ケットシー・マキナを殲滅し終えた幸多は、軽い運動を終えたような気分でもって、地上に降り立った。
体は軽く、反応も凄まじい。
さらにいえば、武神の防御性能は、闘衣とは比較にならないものであり、ケットシーたちの水球を受けても、大した損傷を受けている様子がなかった。直撃時の幸多への衝撃も、大きく軽減している。あれだけの魔法の嵐の中でびくともしなかったのだ。
重装甲でありながら運動性能を確保しているという点では、幸多にとっては使い勝手がよく、自分好みの武装といえた。
銃王は、遠距離攻撃が可能であり、幸多でも狙いを外さないように完璧に近く補正してくれるのはわかっているし、ありがたいのだが、やはり銃の扱いに慣れていないということもあって、まだまだ学ぶべきことがたくさんあるだろうという感覚があった。
一方、武神は、幸多がこれまで培ってきた戦闘技能を全力で発揮するだけでいい。
裂魔を振る感覚も、闘衣だけを身につけているときよりも鋭く、強力だ。
『さすがは幸多くんね。もう武神を自分のものにしちゃった』
『室長が見込んだだけのことはある。幸多くんが窮極幻想計画に携わってくれて、本当に良かった』
「褒めすぎですよ」
幸多は、イリアと義流の度重なる賞賛に照れくさくなりながら、武神の性能を試し続けた。なにもない汎用訓練場の空間内を駆け回り、飛び、太刀を振るう。
一挙手一投足が、いつもより遥かに機敏で、感覚がついていかない。
この感覚に慣れていかなければならない。でなければ、いざというときに大きな失敗を犯しかねない。
『でも、事実よ。武神にせよ、銃王にせよ、きみの身体能力に見合ったものが出来たという自負があるわ。きみの身体能力は、おそらく、この央都において最高級だもの。そしてそれに見合うだけの装備を開発するのは、わたしたちの使命』
「使命……ですか」
『窮極幻想計画を完璧なものに仕上げること。それがわたしの使命なのよ』
『おれたちの、ですな』
『そうね。そうだったわ』
「使命……」
幸多は、イリアと義流の言葉に込められた熱量に心が震えるような気がしてならなかった。
二人の言葉には、窮極幻想計画にまさに命を懸けているといわんばかりの力があり、実感が籠められている。
そしてそれは、おそらく、二人だけではないのだ。
第四開発室に所属し、窮極幻想計画に携わっている全ての人々が、同じような想いを抱いているのではないか。
その熱い想いを、この身に纏っている。
幸多は、武神や銃王に込められた想いの強さに感動を禁じ得なかったし、その想いになんとしても応えなければならないと決意を新たにした。
そして、白式武器の数々を呼び出しては、新たに出現した幻魔を相手に訓練を行った。
鎧套の運用試験とでもいうべき幻想訓練が終わったのは、それから一時間ほど後のことだった。
現実空間に戻った幸多だったが、なかなか興奮が収まらなかった。
銃王と武神。
それぞれ全く異なる特徴を持った鎧套は、幸多の戦闘能力を飛躍的に向上させてくれること間違いなかったし、実際、その通りだった。
幻魔は、圧倒的な力を持つ。
熟練の魔法士であっても、わずかな油断が命取りになるのが、幻魔という怪物なのだ。
人類の天敵にして、凶悪な怪物たち。
そこへ現れた新種の機械型幻魔。マキナ・タイプ。
獣級の機械型は、まだ、いい。その能力が妖級程度に引き上げられているという時点でも凶悪極まりないのだが、しかし、対応できる範囲だった。
もし、妖級幻魔が改造され、機械型として現れた暁にはどうなるものなのか、想像も付かない。
獣級が妖級に引き上げられるのであれば、妖級は鬼級に匹敵するほどになるのだろうか。
妖級と鬼級の力の差は、圧倒的だ。隔絶されているといっても過言ではなく、妖級が束になったところで鬼級には敵わないといわれている。
事実、この魔界化した地上では、数の上では圧倒的に妖級の方が多いにも関わらず、少数の鬼級が王として君臨しているのだ。
それは、妖級が力を合わせても、鬼級には敵わないことの証左となるだろう。
「だから、機械型の妖級が出てきたとしても鬼級には遠く及ばないんじゃないかって話だね」
義流が、幸多に特殊合成樹脂製の容器を差し出しながら、言った。容器の中には、栄養素がたっぷりと配合された飲み物が満たされている。第四開発室謹製の幻想機を用い、消耗し尽くしているはずの幸多には、効果覿面だろう。
第四開発室内の一室。
イリアと義流、そして数名の研究員が幻想空間上の幸多を見守っていた場所には、多種多様な機材が並んでいる。それらの機材や端末を操り、空中に投影した幻板と睨み合っているのが、イリアたちだ。
この場にいる全員が、窮極幻想計画に携わっている人々ということになる。
「だとしても、凶悪になることは間違いないっす。怖いっす。身震いするっす」
そういってわざとらしく肩を震わせたのは、桜色の髪をサイドテールにした女性の研究員だ。名は、氷上玲子といったか。第四開発室でも上位の施術者だということは、この場にいることからも想像が付く。
「でも、わたしたちには幸多くんがいるわ」
イリアが、幻板に注いでいた眼差しを幸多に向けた。彼女の灰色の瞳が、幸多を真っ直ぐに見つめている。そこに込められた熱量の強さは、幸多がはっとなるほどに烈しい。
「幸多くんと窮極幻想計画があれば、なんてことないわよ」
「そうですな。幸多くんならば、幻想を現実に変えてくれること間違いない」
「そうよ。窮極の幻想は、窮極の現実になるのよ」
イリアは、自分が発した言葉を微塵も疑っていないという様子であり、幸多は、気圧されるような感覚さえ抱いた。
どうしてそこまで信頼してくれるのか、幸多にはまるでわからない。
イリアも、義流も、自分のことを信用しすぎではないのか。
確かに、魔法不能者を魔法士同様に活躍させるには、窮極幻想計画の実現が一番だ。魔法を使わずに幻魔と戦い、幻魔を打倒することこそ、イリアのいう窮極の幻想なのだから、それ以外にはない。
そしてそれには、幸多こそが適任であるという考えも理解できる。
幸多以外の魔法不能者で幸多ほどの身体能力を持ったものはいないだろうし、幸多ほど、幻魔と戦うことに躊躇いがないものもいないに違いない。
確信がある。
だからといって、イリアのように全幅の信頼を寄せることなど、できるものなのだろうか。
幸多は、これまでイリアが開発してきた様々な武器や防具を使ってきた。それらが第四開発室の、窮極幻想計画の理想を体現する結果だった、ということは、イリア自身から直接伝えられた言葉ではある。
しかし、それにしたって、と、幸多は想ってしまう。
そんな幸多の考えがイリアには手に取るようにわかるから、微笑みかけるのだ。
幸多は、イリアの微笑にたじろぐしかないのだが。
そして、この調整室での作業を終えた室員たちが部屋を出て行くのを待って、イリアが口を開いた。
「窮極幻想計画は、窮極の幻想を現実にするための計画――そのことは、以前に話したわよね。そして、窮極の幻想とは何か。この魔法社会において、魔法不能者が魔法士に匹敵する力を持つこと」
イリアは、椅子を回転させて幸多と向き合うと、彼の全身を見た。今日に至るまで鍛え上げられた肉体は、この半月余りでさらに屈強なものとなっている。しかし、均整は取れていて、筋骨隆々という印象はない。彼の場合、筋肉の密度が違うのだろう。
それもこれも、第四世代相当の魔導強化法を施術されているからに他ならない。
そして、だからこそ、彼が窮極幻想計画に相応しい人間なのだろう、ということも理解している。
「きみも理解しているでしょうけれど、社会そのものは魔法不能者を拒絶してはいないわ。むしろ、積極的に受け入れている。戦団ですら、戦闘部以外の部署には魔法不能者を採用しているものね。魔法不能者は、無能なんかじゃない。そんなこと、誰もが知っていることだもの」
イリアは、この社会の仕組みそのものを語っている。
ありふれた魔法社会の有り様を。