第三十七話 第一種目・競星
「がっちがちだったね!」
「皆さん、緊張しすぎでは?」
「米田くんまで固まってたのは笑っちゃったんだけど」
「てめえら、よくそんなことがいえるな。人の気も知らねえで」
圭悟が悪態を吐いたのは、開会式が終わり、天燎高校に割り当てられた場内控え室に戻ってからのことだった。
控え室には、顧問の小沢星奈と自称雑務担当の三人、真弥、紗江子、蘭が待っていた。星奈は、気が気でないという有り様だったが、真弥たちは、むしろ落ち着いていて、この状況を心から楽しんでいるという様子だった。
幸多たち選手団は、彼女たちのいうとおり、凄まじい緊張感に包まれたのだ。
開会式である。
広大な競技場、その膨大な観客席を埋め尽くす観衆の熱烈なまでの視線が、開会式に参加した学生たちに注がれていた。想像を絶する熱気が、球形の競技場内に満ちていて、渦を巻いているようだった。
熱狂といっていい。
元より、対抗戦の決勝大会が白熱するものだということは、だれもが知っていることだ。
幸多だって、子供の頃からよく見ていた。
統魔と対抗戦の優勝校を予想しあったことだってあるし、水穂市の予選大会を家族で見に行ったこともある。
だが、決勝大会の会場に足を踏み入れたのは、今回が初めてのことだった。
幸多は、天燎高校の主将として登録されている。それは、幸多が望んだことではなく、圭悟を始めとする対抗戦部員の総意の元、一方的に決められたことだ。
安請け合いをするんじゃなかった、と、幸多は、開会式中に何度も思ったものだった。
ある種の注目を浴びることには慣れていたつもりだった。生まれながらの魔法不能者だ。注目されないわけもない人生だった。
しかし、注目の度合い、意味合いが変わってくると、こうまでも緊張感があるものかと思わずにはいられなかった。
無論、観客の誰もが幸多を注目しているというわけではない。
会場にいる選手一同、参加者一同への注目であり、幸多そのものに意識を割いている観客がどれほどいたものかはわからない。
が、緊張した。
この上ないほどの緊張感に手に汗が滲んでいた。
「手に汗握るとはこのことだな」
「本当、緊張するわねえ」
「先輩も?」
「もちろんだ。見た前、この震えっぷりを。ものの見事に震えているだろう」
「どこがですか」
幸多は、普段通りに軽口を飛ばしてくる法子のおかげもあって、緊張感が解れていくのを感じた。
「わかっていると思うが、本番はこれからだ。開会式程度でへばってんじゃねえぞ」
「あんたがいうか」
「一番緊張してただろーが」
怜治と亨梧が口々に言えば、圭悟は、憮然とした顔をするほかなかった。
そう、開会式で一番緊張していたのは、ほかならぬ圭悟だった。彼は、幸多の後ろに並んでいたのだが、常ならざる殺気を放っており、幸多が心配したほどだった。
それが極度の緊張から来るものだということがわかったのは、開会式が終わり、控え室に向かっている最中のことだった。
緊張しすぎて頭がどうにかなりそうだった、とは、圭悟の弁。
彼がなぜそこまで緊張したのかは、彼自身もよくわからないということだ。
その緊張から多少なりとも解放されたのか、圭悟の口が軽くなっていた。
おかげで、控え室内の空気が良くなった。
重苦しい緊張感が薄れていく。
やがて、第一回戦の準備が整ったことが、控え室内の空中に投影された幻板内の映像でわかった。
一回戦は、競星である。
競星は、空中での競走を行う競技だ。当然、競技を行うのも空中であり、そのための準備が大会運営によって行われたのだ。
これによってようやく、今年の競星の競走路がどのような形状なのかが判明する。
魔具と魔法を用い、編み上げられた光の経路が、地上から空中に向かって伸びているのがはっきりとわかる。
全天候対応開閉式の天井が完全開放されていて、真っ青な雲ひとつない空がくっきりと見えた。その空の只中へと、光の道が伸びている。
「なるほど。今年はまっすぐ天に向かって飛べって感じだ」
「うわー、大変そう」
蘭と真弥のいうとおりだった。
競星の開始地点は、地上である。地上の開始値点から、まずは競技場内を周回するように光線が走っている。光線は螺旋を描くようにして競技場の中心へ至り、そこから一転して空に向かった。遥か上空へ伸びる光の柱。その直線が、競星の競走路であろう。
「折り返し地点はどこ?」
「かなり高いぜ、ありゃ」
圭悟が呻くのも無理はなかった。
地上数千メートルはあろうかという高さに、中継地点を示す設置物が輝いていた。凄まじい高度だ。魔法でも使わなければ、到底たどり着けまい。
その設置物の間を潜り抜けることによって、折り返したと判定される。その際の判定は甘めだが、だからといってぎりぎりのところで折り返そうとして失敗すれば大惨事だ。故に、過去の参加者は、中継地点の真ん中を通るようにしていた。
勝負は、そこではない。
競走路を示す光の柱の周囲には、無数の障害物が配置されている。魔法で出来た立方体の数々は、超高速で飛翔することになる選手たちの進路を妨害し、邪魔をするものだ。注意していれば避けられないものではないが、過去、障害物のせいで敗れ去った選手もいないではない。
よって、注意しないに越したことはない。
「だが、だからこそ勝ち目もある」
「あります?」
「ある」
法子の断言は、なによりも心強かった。彼女には常に確信があり、その確信に一切のぶれがないのだ。揺るぎようのない絶対の確信。それはこの上なく頼もしく、力強い。
場内に響き渡る音声案内により、競星の競走路の設定が完了した旨が報告される。つまり、出場者は競技場に迎え、ということだ。
「さて、そろそろ行こうか。皆代幸多」
「はい、先輩」
幸多は、漆黒の法器を手にした法子に促されるまま、席を立った。控え室にいる全員の目が、二人に集まる。
「皆代くん、黒木先輩、頑張ってください!」
「無理だけはなさらないでくださいね」
「狙うのは一位だぜ」
「頑張れ!」
「法子ちゃん、幸多くん、張り切って行こう!」
「頼んだぜ」
「絶対勝てよ!」
「怪我だけはしないように」
「任せてください!」
幸多は、皆の声援を受けながら控え室を出た。
すると、他校の控え室からも続々と出場選手が姿を現したのだった。
皆、二人一組だ。法器を手にしているのが騎手で、もう一人が乗手だろう。幸多たちと同じだ。
幸多の脳裏には、彼ら選手に関する情報が浮かんでいた。それもこれも毎日のように情報更新してくれた蘭のおかげだ。
蘭は、予選大会終了後にこそ、熱心に情報収集を行っていた。そうして集めた情報の中で、必要なものだけを幸多たちに提供してくれていたのだ。
余計な情報は、思考を鈍らせる毒になりかねない、とは、蘭の言葉だ。
控え室から場内通路を通り抜ければ、光り輝く競技場への出入り口が見えてくる。それらの光は、外の光であり、競走路の光だ。
眩く、強烈な光。
その光のただ中へと、幸多は法子とともに進んでいく。
競技場に出れば、わっと歓声が沸き上がった。
対抗戦決勝大会第一回戦が、競星が、いままさに始まろうとしていた。
「見て見て、かな姉、かな姉、幸多くんよ、幸多くん! 幸多くんが出るんだわ!」
「え、ええ、そうみたいね」
「そうみたいじゃないわよ! 幸多くんよ! かわいいかわいいあたしの幸多くん!」
昂奮気味に競技場を指差す妹の有り様のおかげもあってなのか、奏恵は、幾分、冷静さを保つことが出来ていた。
開会式以来、珠恵は昂奮しっぱなしだ。久々に直接幸多を見ることができたというのもあるのだろうが、幸多を溺愛している珠恵にとって、幸多が注目の的になっている現状がこの上なく愉快なようだった。
奏恵の父も母も、昂奮の真っ只中だ。
いや、この観客席全体が興奮の坩堝と化していて、冷静さを保っていられるもののほうが少ないのではないか、という気がしないではなかった。
「幸多も大きくなったなあ」
「本当に、大きくなりましたねえ」
父と母のしみじみした感想は、大量の声援に掻き消されてしまうが、奏恵はしっかりと聞いていた。奏恵の両親も、幸多を直接見るのは久しぶりだった。
「幸多くん、すっかり注目の的ね」
「ええ、あの子がこんなに注目されるだなんて、考えたこともなかった」
それは、偽りならざる奏恵の本心だった。
幸多は、悪い意味で注目されることはあった。魔法不能者として生まれ、完全無能者の診断を受けたことで、戦団から研究対象とされることさえあったのだ。生まれながら魔法を使えないというだけで爪弾きにされたり差別されるのが、この魔法社会だ。完全無能者ならなおのこと、そうした風当たりは強かった。
それでも幸多は懸命に生きてきた。
まっすぐに前を向いて、ひたすらに駆け抜けてきた。
だから、だろう。
奏恵は、幸多が自信に満ちた様子で、決勝大会の場に立っていることがとても誇らしかった。
天燎高校が決勝大会に出られたのは幸運以外のなにものでもないが、そんなことはどうでもいいとさえ思えた。
幸多が、我が子が、この燦然と輝く舞台に立っている、それだけで胸が一杯になるのだ。
「まだ泣かないでよ、かな姉」
「うん、わかってるわよ」
奏恵の心情を察する珠恵の発言に、彼女は強く言い切った。
その通りだ。
まだ、幸多の戦いは始まってもいない。
「随分と熱狂的なものなのだな、対抗戦というのは」
天燎鏡磨は、半ば呆れるような面持ちで、決勝大会の光景を見ていた。
彼が対抗戦を会場で見るのは、これが人生で初めてのことだった。
対抗戦は、今年で十八年目を迎える歴史の浅い大会だ。
日々様々な仕事に忙殺されている鏡磨が、大会会場に足を運ぶことなど、どう考えてもありえることではない。
「わたくしどもにはわかりかねますが、どうやら、央都市民はこの大会がいたく気に入っているようで」
川上元長が、常ならざる緊張感で全身を強張らせながら、会場を見下ろす。
海上総合運動競技場内のいくつもある貴賓席のひとつに、天燎鏡磨と川上元長、そして天燎財団関係者がいる。
室内は広く、ゆったりとしており、品質も悪くない。寛ぎながら対抗戦を観覧することができるようになっているのだ。
鏡磨がこのような場に姿を見せることなど信じがたいことだったし、彼が会場に出向くと言いだしたときには、川上元長は混乱しかけたものだった。
対抗戦を恨みにすら想っているはずの鏡磨が、なぜここまでするのか、彼にはまったく想像がつかない。
「それは知っていたが、しかし、ここまでだとはな」
競技場から天に向かって伸びる長大な光の柱を見上げ、ついで、観客席を埋め尽くす観客に目を向ける。想像以上の熱狂が、観客席から競技場全体を包み込むように渦巻いている。
たかが高校生の部活動の延長とでもいうべき大会に、これほどまで熱狂するというのは、少々信じがたかったし、考えられないことだった。
だが、事実として、そこにある。
だれもが高校生たちの活躍を期待し、戦い振りに胸躍らせようとしている。
それがどうにも解せない。
鏡磨には、観衆が愚かにしか見えなかったし、学生たちの戦いに興味も持てなかった。
ではなぜ、彼がこの場に現れたのか。
理由は一つだ。
いま巷では、天燎高校が注目を集めているという事実がある。それもこれも予選免除権を付与され、決勝大会に出場することになったからだ。それ以外には考えられない。
すると、天燎財団そのものにもいままで以上の注目が集まり始めた。
天燎高校は、天燎財団が運営する高校だ。天燎高校が目立てば、その後ろ盾にして表看板たる天燎財団も注目を浴びるのは、考えてみれば必然だった。
だからこそ、鏡磨は知っておく必要があると考えたのだ。
対抗戦の実情を。
この央都市民を熱狂させる実態を。
「まだ、わからんが……」
しかし、と、彼は考える。
「悪いものでもないやもしれんな」
天燎高校が目立つ上では、だが。




