第三百七十三話 戦術拡張外装(一)
未来河花火大会における機械型幻魔大量出現事件は、機械事変と呼ばれることになった。
機械事変による死者は五十四名、負傷者の数は重軽傷者合わせて六百名を越えるといわれており、光都事変以来最大の幻魔災害として歴史にその名を刻むだろうといわれている。
連日、機械事変に関連する様々な報道が行われ、情報が錯綜している。
戦団は、新種の機械型幻魔にマキナ・タイプという呼称を付けたことを発表した。
そして、機械型の幻魔には、固有種名にマキナを付け足すことも、だ。
つまり、機械型のガルムならば、ガルム・マキナと呼び、ケットシーやカーシーならば、ケットシー・マキナ、カーシー・マキナと呼ぶことになったということである。
それはつまり、機械型幻魔と従来型の幻魔は、全くの別種であるというのが、戦団の見解だということでもある。
また、機械型幻魔は、従来型の獣級幻魔とは比べものにならない力を持っており、極めて危険性の高い存在であるということも合わせて公表された。
ただし、機械型幻魔に天輪技研が人型魔動戦術機イクサに用いた技術が流用されているという事実は、伏せられている。あまりにも衝撃的かつ、混乱を呼ぶに違いないからだ。
真実を全て公開することが正しいわけではない、というのが、戦団の考え方だった。
央都の秩序を維持し、市民の平穏と安寧を守るためには、情報統制もまた必要な行いなのだ。
たとえば、天輪スキャンダルの裏側に鬼級幻魔アスモデウスが暗躍していたという事実も、隠されたままだ。
天輪スキャンダルの首謀者は天燎鏡磨のままであり、彼の主導によってイクサが開発され、あの大事件へと繋がったというのが、戦団によって公表されている事実なのだ。
そして、それがこの央都における真実となっている。
「それもこれも、市民が安心して暮らせる世の中を維持するための必要な選択なのよ」
イリアは、なぜ自分が釈明するようなことをいっているのかと内心奇妙な気分になりながらいった。
あれから一週間が経った。
機械事変における葦原市内各所の被害状況は、既に完全に復旧しており、跡形もなくなっていた。傷痕一つ見当たらないくらいの完璧さは、さすがは魔法社会としかいいようがないほどだ。
万世橋に穿たれた大穴も、倒壊した建築物も、吹き飛ばされた家屋も、河川敷の爪痕も、なにもかもが元通りだ。
まるで機械事変など起きなかったかのように。
だが、失われた命は戻ってこない。
五十四名の命は、永久に失われたままだ。
それだけは、たとえ魔法がどれだけ発展し、技術がどれだけ発達しても、解決しようのないものとして残り続けている。
命は、回帰しない。
死は、否定できない。
揺らぐことのない絶対的な事実なのだ。
「それは……わかりますよ」
幸多は、真っ白な天井を見上げながら、イリアの意見を否定しなかった。
戦団が情報統制を行うのは、この央都の有り様を見れば当然のように思えた。
戦団は、人類復興を最大の目的として掲げている。そのためには、央都の秩序を維持しなければならず、故に、市民に与える情報の取捨選択も戦団が行わなければならない。余計な情報を与えて市民を不安がらせ、混乱させるようなことがあってはならないのだ。
誰もが魔法を当然のように扱える時代において、市民は、力なき弱者ではない。
力持つ弱者なのだ。
市民が混乱し、暴走するようなことがあれば、それだけで社会秩序が崩壊し、この央都の全てが根底から覆されかねない。
だからこそ、戦団は徹底的に管理し、制御するのだ。
そうでなければ、社会そのものが成り立たない。
そんなことは、少し考えればわかることだった。
たとえ幸多のように学がなくとも、だ。
「ただ、戦団に入ったことでわかったこともあるなって思って」
幸多は、なんだかイリアに申し訳なくなって、そんなことをいった。
技術局棟第四開発室技術試験場、通称・工房の一角に、幸多は寝かされている。
様々な機械が所狭しと並び、技術局の研究者、技術者たちがそれぞれの作業に従事している中、イリアもまた、作業に熱中していた。手元の端末を操作しする指先の速度たるや凄まじいものであり、周囲に浮かべた無数の幻板には超高速で文字列が流れていく。
イリアの指が操作盤を叩く音は、不規則な音色のようだ。
「そうね。外からでは見えなかったことも、中に入ったことで理解できるようになるものね。わかるわ、その気持ち」
イリアは、幻板を流れる文字列を目で追いながら、また、別の幻板を一瞥し、さらに文字列を追加していく。幻板には、幸多の体に関する情報が詳細に記載されており、それを元に情報を書き換えている最中なのだ。
幸多が仰向けに寝転がっているのは、そのための機材・生体調整機である。
ノルン・システムと連携することにより、生体情報を徹底的に解析することができるため、導衣や法機の調整にも使われるものだ。
今回は、闘衣や新兵器の調整に使っている。
「わたしも、そうだった」
「イリアさんも?」
「ええ。わたしだって昔からなにもかも理解できていたわけじゃなかったもの。魔導院で学んで、戦団に入って、それでようやく、自分がなにを成すべきなのかを思い知ったのよ」
「……自分がなにを成すべきなのか」
幸多は、イリアの言葉を反芻しながら、その指捌きを見ていた。イリアが鍵盤を叩く様は見惚れるほどに華麗であり、素早い。
幻板を流れていく文字列がなにを意味するのかは、幸多には全く想像も付かないが、しかし、イリアの熱意と技量の前にはそんなことはどうでもよくなるような気がした。
「……わたしは、きっと、きみと出逢うためにここにいたんだと想う」
「はい……?」
幸多は、予期せぬイリアの言葉に生返事を浮かべてしまった。
イリアの打鍵音が小気味よく工房内に響いている。聞こえるのは打鍵音だけではない。様々な作業の音が幾重にも折り重なり、反響し合ってひとつの音楽を作っているようだった。
様々な作業。
その内容は、幸多にはわからない。が、窮極幻想計画に関係している工程だということは、イリアから聞かされていた。
闘衣専用の戦術拡張外装・鎧套の開発もここで行われており、現在、最終調整中だという話だった。
おそらく、今回の生体情報の更新とやらも、それに関連することなのだろうが。
「運命的ってことよ」
イリアは、幻板から幸多に視線を向け、微笑した。その笑顔が透き通っているように美しく、幸多はただ、見惚れるよりほかなかった。しかも、言葉の意味を考えれば考えるほど、頭の中が真っ白になっていく。
「え……あの……?」
幸多がなにを言うべきか迷っていると、イリアが端末の操作を止めた。情報の更新が終わったらしく、椅子から立ち上がっている。白衣が揺れた。
「わたしの技術力なら、きみの能力を極限まで引き出すことができるわ。きみのその完全無能者としての特異体質を最大限に活用して、ね」
イリアは、生体調整機で寝ている幸多の元へと歩み寄ると、手を差し伸べた。起き上がるように促す。
「さて、行きましょう。きみに見せたいものがあるのよ」
「は、はい」
幸多は、イリアの手を取って体を起こすと、調整機から降りた。細くしなやかな手は、想像以上に柔らかく、少し力を込めるだけでも折れてしまいそうな儚さがあった。
だから、というわけではないが、幸多は出来る限り力を込めずにイリアの手を握り締めたのだ。
イリアには、そんな幸多の気遣いが理解できたから、柔らかに微笑みかけ、彼がたじろぐ様にまたしても微笑した。
幸多は、戦士だ。
死線を潜り抜け、さらに鍛え上げている最中の彼は、戦闘中は、それこそ猛者といっても過言ではない顔つきをしていた。
しかし、平時の彼は、どうにもからかい甲斐のある少年にしか見えなかった。
それは、決して悪いことではない。
戦士としてすり切れていくよりも、ずっといいことのはずだ。
そう、イリアは想うのだ。