第三百七十二話 衛星拠点(五)
統魔は、天使型幻魔の数を数えた。
遥か上空、晴れやかな青空と真っ白な雲の海、その狭間を飛び回る天使たちは、まるで輪を描くように旋回している。
そして、その天使の輪の中心に生じた光球が、膨大な量の光を放ち、雨のように降り注がせているのだ。
破壊的な光の雨が一切の容赦なく幻魔の群れを打ち据え、霊級幻魔をあっという間に一掃すると、獣級幻魔オルトロスの魔晶体を徹底的に打ち砕いていく。獰猛な咆哮が断末魔に変わるまで、それほどの時間は必要なかっただろう。
妖級幻魔ゴーレムだけが、光の雨の中でも耐え凌いでいる。魔晶体の頑強さにおいては、妖級上位に匹敵するといわれるだけのことはあった。
「二十体か」
天使型幻魔は、まさに天使のような姿をした幻魔だ。
想像上の天使同様、人間に近い姿形であり、背中に翼を生やし、頭上に光の輪を浮かべている。その身に纏うのは、穢れ一つない純白の衣だ。いずれも女性のような体型であり、双眸から蒼白い光が漏れていた。
ただの幻魔ではないということは、その目の光でわかるだろう。
幻魔は、赤黒い邪悪な光をその目に宿し、発する。
遥か頭上。されど、統魔の赤黒い目は、はっきりと天使たちの姿を捉えている。
「あの姿形から考えれば、下位妖級幻魔相当……かな」
「だろうな。あれが全部鬼級だなんて、考えたくもない」
「それはさすがにありえないっしょー」
「そうですね。鬼級であれば、ゴーレムが耐えられるとは考えられません」
「まあ、そうだな」
隊員たちの意見に統魔も大きく頷いた。彼らの言うとおりだろう。
上空の天使型幻魔は、妖級相当と見ていい。
幻魔は、その姿形によって、特定の等級に類別されるといっても過言ではない。
最下級の霊級は、まさに霊体のような半端な存在であり、故に力も弱く、脅威度も低い。
獣級は、様々な動物や想像上の幻獣のような姿をした幻魔である。
妖級になると、人間のような姿をし始め、獣級とは比較にならない力と知性を獲得する。
鬼級は、全体として人間に酷似し、人知を超えた力と頭脳を誇り、絶大な魔力を有する。
そして、最上級である竜級は、といえば、もはや全てを超越した幻魔といってよく、理外の存在であり、故にこそ、完全に人外の存在たるドラゴンの姿形をしているのではないか、と考えられている。
さて、これまで確認された天使型は、ドミニオンとオファニムの二体だけだが、いずれも妖級に類別されている。
ドミニオンは、特に人間に近い姿をしていながらも、鬼級ほどの圧倒的な力を持っていないからだ。
ドミニオンは、リヴァイアサンを圧倒する力を持っていたが、鬼級幻魔バアルには全く敵わないようだった。
オファニムは、その姿態こそ異形としか言いようがないものの、魔力質量そのものは、妖級相当だった。その上、星将の魔法すらも通用しないという特性を持っていたことは、特筆に値するだろう。
だが、鬼級幻魔とは比較にならない。
だから、妖級に区分される。
現在、上空で輪を作っている天使たちも、妖級相当だろう。
二十体もの天使型のいずれもが鬼級相当ならば、統魔たちにはどうすることもできなければ、戦闘に入った瞬間、全滅すること間違いなかった。
「妖級だとしても、どうかと思うが」
「全く、その通りだ」
統魔は、枝連の渋い表情に頷き、天使たちが輪のような編隊を解く様を見ていた。
地上では、斥候部隊が壊滅状態であり、生き残ったのはゴーレムだけだった。
霊級幻魔は跡形もなく消えて失せ、獣級幻魔も死骸を散乱させるばかりだ。大地には無数の穴が穿たれていて、光の雨の一撃一撃がとんでもない威力を持っていたことを理解させる。
そしてそれは、天使たちによる合性魔法だ。
上空で構築されていた二十体の天使による輪、そしてそれによって織り成された幾重もの魔法の融合が、破壊的な光の雨を生み出したに違いなかった。
合性魔法は、生半可な技術ではない。誰もが簡単に使える代物ではなかったし、幻魔が使ったという記録もほとんどない。
ほとんどないということは、ごくごくわずかでもあるということなのだが。
それにしたって、そうあることではない。
「ここは、見守ろう」
統魔は、天使たちが編隊を解くなり、降下してくるのを見て、告げた。
「そうですね。あの数は、さすがに」
「こちらに攻撃してこなければいいがな」
「そうだね」
「だいじょうぶっしょー」
極めて楽観的な香織の意見に対し、ことさらに不安げな顔をしたのは、ルナだった。
「……わたしがいるから」
ルナは、天使たちが光の翼を羽撃かせながら降下してくる様を見つめながら、統魔の腕に強くしがみついていた。
天使型幻魔といえば、オファニムのことばかりが彼女の脳裏を埋め尽くす。巨大な球体のような幻魔は、ルナの命を奪うためだけに暴れ回り、光都跡地を破壊し尽くした。
その膨大な殺意が自分一人に集中していく感覚を細胞が覚えている。
思い出しただけで寒気がしたし、心が凍るようだった。
「心配ないない」
香織は、そんなルナに笑いかける。
「たいちょがいるんだから」
「統魔が?」
ルナは、香織を振り返った。香織の満面の笑顔が、彼女の統魔への全幅の信頼を現しているようであり、ルナは、その表情だけでなんだか救われるような気がしてしまう。きっと気のせいなのだろうし、思い過ごしに過ぎない。
けれども、統魔を信じているのは、自分も同じなのだ、と、彼女は想う。
そして、それそのものはなんら間違いではないということも、理解している。
そうするうちに、天使たちが地上へと舞い降り、ゴーレムとの間で激しい戦闘が始まった。
ゴーレムの低くくぐもったような咆哮が響き渡ると、地中から大量の土砂が舞い上がった。ゴーレムは石巨人とも呼ばれる。まさに石材を組み上げて作った巨人のような姿形をしているからだけではなく、地属性の魔法を駆使するからだ。
舞い上がった土砂が瞬時に凝縮し、無数の槍となれば、天使たちに殺到した。天使たちは光の翼でもって空を撃ち、自由自在に飛び回りながら槍を回避する。そして、律像を形成し、歌声を響かせた。
美しい歌唱だった。
それが真言だと気づいたときには、魔法が完成し、発動している。
天使たちが同時に放った魔法の数々が、ゴーレムの巨躯を淡々と破壊していく様は、圧巻としか言い様がない。光の矢が頭頂部に突き刺されば、光の刃が左手首を切り落とし、光の槍が足を貫く。次々と殺到する光の魔法が、ゴーレムが対応することすら拒絶し、あっという間にその巨体を地に沈めた。
やがて、ゴーレムの反応がなくなる。
頭部に隠された魔晶核が破壊され、生命活動が停止したのだ。
天使たちは、ゴーレムの周囲を旋回すると、最後に美しい歌唱とともに生み出した光の槍を突き刺した。完全に止めを刺す、といわんばかりだ。
そして、光の翼を羽撃かせ、天へと舞い戻り、虚空に融けて消えていった。
その光景を目の当たりにして、真っ先に口を開いたのは、香織だ。
「見逃してくれたのかにゃ?」
「どうでしょう。気づいていなかった可能性もありますが……」
「これだけ近づいて、それはないだろう」
「そうだね。見逃してくれた、と、考えるのが普通かな」
部下たちの意見に、統魔も小さく頷く。
天使たちは、皆代小隊の気配にすら気づいていなかったかのようだが、実際には、わからない。気づいていても無視したのかもしれないし、攻撃対象ではなかったから見逃してくれたのかもしれない。
だとしても、そんなことがありうるのか、と、考えざるを得ない。
幻魔は、人間を確認すれば、襲わずにはいられない習性を持っている。
人間を殺し、それによって発生する膨大な魔力を喰らうことこそ、幻魔の至上の喜びなのだ。
だから、幻魔が人間を認識し、放置するということはない。
人間の前から逃げ去るということもだ。
余程の致命傷を負ったとしても、最後まで戦い続けるのが幻魔という生き物だった。
一部の例外を除いて、だが。
その例外こそ、〈七悪〉たち悪魔型幻魔であり、ドミニオン、オファニムら天使型幻魔なのだ。
そして、天使たちは、統魔らが推定した通り、天使型幻魔に相応しい反応を見せた、ということになるのだろうか。
「統魔」
不意に、ルナが囁くように彼の名を呼んだ。
「どうした?」
「……わたし、怖いな」
「そうか」
統魔は、彼女が強くしがみついてくることについて、もはやなにもいわなかった。
いったところでどうなるものでもないが、それ以上に、彼女の意識に刻みつけられたのだろう天使型への恐怖を拭い去ることなど、そう簡単にできることではないだろう、という感覚があった。
ルナ自体、未知の存在ではあるが、天使型もまた、未知の幻魔なのだ。
どのような理由で幻魔の斥候部隊を殲滅したのか、まるで想像もつかない。
そもそも、天使型という理由だけで、一括りにして考えていいものかどうかも不明なのだ。
天使のような姿形をしているからといって同じ勢力であるとは限らないのだ。