第三百七十話 衛星拠点(三)
魔天創世。
デモン・ジェネシス。
幻魔戦国時代を終わらせ、統一王となった鬼級幻魔エベルが引き起こした地球規模の大災害は、地球全土の環境そのものを大きく作り替えた。
地球全土の魔素総量が何十倍、何百倍にも膨れ上がったが故に、それまでの魔素総量に順応していた生物の尽くが死に絶えた。そして、生物以外の全てが、その影響を受け、変質、変容している。
魔界化したとも、異界化したともいわれているのは、そのためだ。
かつての地球を人界と呼ぶのであれば、今現在の変わり果てた地球は、魔界や異界と呼ぶに相応しい変わりぶりだろう。
央都の、人類生存圏の内側ならばいざ知らず、一歩外側に踏み出せば、そこに漂う空気の質感すらも全く異なることに気づくのだ。
風は澱み、大地は腐り、水は濁り――ありとあらゆるものが、人界として存在していた地球とは比べものにならないくらいに変わり果てている。
しかし、異界化によって変質し、硬質化した土や石は、戦団技術局による研究の末、利用価値があることが判明、現在においては健在など様々に利用され、活用されている。
だからといって、魔天創世は悪いことばかりではない――などと、いう人間はいないだろうが。
「空白地帯は、異界化したままの状態の土地だ。だから、幻魔にとっては居心地がよく、人間にとってはどうしようもなく違和感が付きまとう」
「そうなの?」
統魔の説明を聞いて、きょとんとした顔をしたのは、ルナである。
結局、空白地帯と〈殻〉の境界線を見ていたところで埒が開かないということを理解した統魔は、輸送車両に戻ることにして、部下たちもそちらに誘った。
戦団技術局が開発した輸送車両は、名をイワキリという。
空白地帯の荒れ果て、変化に富んだ地形を走破することを可能とした、全地形適応型輸送車両である。イワキリという名称は、岩を斬るが如く、どのような地形であろうとも走り抜くことができることに由来としている。
車両全体が分厚い魔法金属の装甲に覆われており、幻魔の奇襲にも対応可能であったし、様々な機能が内蔵されていて、移動式の小さな拠点としても活用することができる優れものだ。
空白地帯は、幻魔の世界だ。いつ如何なる時に幻魔との戦いがあるものか、わかったものではない。わずかな油断が命取りとなる。
統魔が運転席に座れば、当然のようにルナが助手席を支配した。字が多少不満げな視線を彼女に向けたのは、こういう場合、副隊長の役割を果たす字が助手席に座ることが多かったからだろうが。
統魔は、特には気にしない。
どこに座ろうとも、統魔が一番頼りにしているのは字であり、字の補佐があればこそ、皆代小隊が上手く回っていることはいうまでもないからだ。
自分ほど字を評価している人間はいないのではないか、と、自負するくらい、統魔は彼女を信頼していたし、だからこそ、全てを任せることが出来るのだ。
それはそれとして、イワキリが動き出したのは、自動操縦機能が稼働したからであり、端末に目的地を入力したからである。
動き出すなり、ルナが助手席の窓を開けたものだから、統魔は、彼女を見た。
黒い大地を疾走する車内に入り込んでくるのは、濁り、淀んだ風だ。本来、イワキリの車内には、車両に内蔵された機構によって清浄化した空気が流れている。故にこそ、車内は過ごしやすい。場合によっては寝泊まりすることもあるのだから、過ごしやすい環境であることに越したことはない。車両内が広く作られているのも、そのためだ。
しかし、外気がそのまま流れ込んでくると、それまでの清浄な空気が瞬く間にその輝きを失い、後部座席の誰もがなんともいえない顔をした。
だから、統魔は、端末を操作して窓を閉めた。すると、ルナが統魔を睨んできたものだから、先程の説明をしたのだ。
「ああ、そうなんだよ。それが、普通なんだ」
「ふうん……」
ルナは、統魔の説明を聞いて、それ以上はなにもいわなかった。統魔も、それ以上は言及したりはしない。
彼らのいう普通が、自分とは少し違うものなのだという認識が、ルナの中に生まれ始めている。
ルナは、空白地帯に足を踏み入れたのが、今回が人生で二度目のことだったが、ほとんど初めてと言っても過言ではない。初めての空白地帯の経験は、記憶にこそ鮮烈に焼き付いているとはいえ、空白地帯という認識を抱いたことはなかった。
光都跡地でのあの数日間は、忘れようがない。が、同時に、あの時間は緊張感や切迫感、悲壮感といったものが彼女の中でないまぜになっていて、光都跡地がどうだとか、空白地帯がどうだとか、考えている余裕などはなかった。
だから、今回が空白地帯の初体験といっても言い過ぎではないという気がしていた。
央都の一般市民として生まれ育ち、つい数日前までありふれた市民の一人に過ぎなかったのだ。それがなぜか人間ならざる存在になってしまった。理由も原因もわからない。ただわかっているのは、この体がただの人間のそれとは大きく異なるものであり、本質的に幻魔に近いものであるらしいということだ。
そして、それがいままさに実感できるようだった。
空白地帯の空気に違和感を覚えなかった。
だから、窓を開けたのだが、統魔たちの反応を見る限り、ルナのほうがおかしいらしい。少なくとも、人間らしくはないようだ。
その事実には、なんだか頭を激しく打ちつけられるような衝撃を覚えて、彼女は、窓の外を見遣った。
空白地帯の荒れ果てた大地は、魔天創世によってあらゆる生物が死に絶え、とてつもない地殻変動が起きた結果だということは、学校でも教わったことだ。映像資料も見たことがあれば、空白地帯での戦団の活躍を題材にした映画を見たこともある。
それらの記憶と、実際に空白地帯を体験した感覚は、大いに違うものになるのは当然なのだが、しかし、こうも違和感を覚えず、むしろ懐かしさすら感じるのは、やはり自分が人間などではないことを証明しているのだろうと思うしかない。
人間ではない、ということは、とっくに了承済みだ。
認めたくなくても、認めるしかない。
まず、この格好がそうだった。この一見すると肌を露出しているとしか思えないような出で立ちを彼女自身はなんとも思っていないのだ。恥ずかしくもなければ、疑問にも思わない。だからといって、統魔たちと一緒にいたいのであれば、導士として活動するのであれば、導衣くらい着込んだほうがいいのではないかと思うのだが、着れなかった。
喪服は着れたのに、と、思っても、どうにもならない。
さらにいうと、汗もかかなければ、排泄する必要もなかった。どれだけ食べても、だ。体内に取り込んだものを完璧に消化し尽くし、魔素に変換しているらしい。そしてそれは、極めて効率がいいということでもあるようだ。
それは、いい。
問題は、この体が異界たる空白地帯に適しているのではないか、ということだ。
もしそうならば、央都や衛星拠点のほうが自分にとって住みにくい場所だということになるのではないのか。
それが事実として明らかになれば、自分は、戦団を、人類生存圏を追い出されたりはしないか。
ルナが窓の外の景色を眺めながら考えるのは、そんなことばかりだった。
不安は、常に付きまとっている。
統魔が側にいて、皆代小隊の皆が優しくしてくれるからなんとか誤魔化せているのだが、しかし、ふとした瞬間、思い出したようにルナの意識を苛んだ。
自分が人間ではないという事実が、この世界で生きていく資格について考えさせるのだ。
(わたしは……)
車窓の外を流れるのは、黒々とした大地だ。起伏が激しく、塔のように屹立する巨大な岩が立ち並んでいたり、尖った丘があれば、広く深い窪地もある。
普通の車両では走り抜けるのも困難だろうという地形ばかりだったが、イワキリは、ものの見事に走破していく。
そうするうち、ルナは、遥か遠方に光が瞬くのを見た。
その光は、禍々しいとしかいえないものであり、思わず統魔に目線を遣ると、彼は怪訝な顔をした。
「どうしたんだ?」
統魔は、ルナが窓を閉めたことに対して、抗議でもしてくるのではないか、と、思ったのだが、どうやらそうではなかった。
「幻魔だよ!」
ルナが、助手席の窓の彼方を睨みながら、叫ぶようにいった。
統魔は、空かさずイワキリに進行方向を入力し、車両をそちらに向けた。
イワキリが方向転換したそのとき、統魔は、確かに遥か前方の空白地帯に光の雨が降り注ぐ光景を捉えていた。




