第三百六十九話 衛星拠点(二)
第七衛星拠点は、水穂市の南方に横たわる空白地帯の真っ只中に築き上げられている。
衛星拠点の例に漏れず、戦団が誇る最先端の建築技術によって作り上げられた要塞であり、建材等に用いられた魔法金属の数々は、貴重極まりないものばかりだ。
戦団は、衛星拠点の建築に際し、多額の費用だけでなく、貴重な資源の投入を惜しまなかった。
それはそうだろう。
衛星拠点は、央都防衛構想の要といっても過言ではなく、央都の守りにおいて最も重要な存在と言っていい。
衛星拠点が落ちれば、その瞬間、央都は丸裸になる。
逆を言えば、衛星拠点さえ無事ならば、央都が攻撃される可能性は限りなく低くなると言うことだ。
だからこそ、衛星拠点には力を割くべきであったし、より多くの導士を動員するべきだ、というのが、いわゆる推進派の星将たちの意見だ。
そうした推進派の星将の目線の先にあるのは、外征である。
つまりは、近隣の〈殻〉を攻め落とし、人類生存圏を拡大することにこそ、注力するべきだというのが、推進派の星将たちが考える、人類復興への最短の道筋であった。
そして、推進派と対立しているのが、央都守護に重きを置くべきという慎重派の星将たちである。慎重派の星将たちも、当然のことながら、現在央都が置かれている状況というものを理解していないわけではない。
いや、理解しているからこそ、慎重にならざるを得ないというのが、慎重派の星将たちの意見なのだ。
現在、央都を取り巻く状況というのは、多数の〈殻〉が今にも動き出す気配を見せているというのもあれば、央都内部で幻魔災害が頻発しているというのもある。
しかもここ数ヶ月の幻魔災害は、これまでの頻発具合とはまた異なる傾向を見せており、幻魔災害による被害が拡大の一途を見せていた。
鬼級幻魔の勢力〈七悪〉の存在が明らかになったことも、大きい。
サタン率いる〈七悪〉が、長年、央都に暗躍していたという恐るべき事実が判明したことは、戦団を戦慄させたのはいうまでもないことだ。
そして、央都守護に注力するべきだという慎重派の意見が護法院と一致するのも、ある意味では当然だっただろう。
央都なくして人類の未来はなく、故にこそ、央都の秩序を維持し、平穏と安寧の構築に全力を上げなければならないという考えもまた道理だ。
「初任務が衛星任務ってどうなの?」
などと、統魔の右肩に顎を乗せたまま言ってきたのは、本荘ルナである。
統魔は、横目に彼女の顔を一瞥し、すぐさま遥か前方の海に視線を戻した。真っ黒な海は、常に荒れ狂っているように見えるのだが、気の所為ではあるまい。
ルナが皆代小隊の一員になったのは、ついこの間のことだ。
彼女は、紆余曲折を経て、戦団の一員となった。つまり、導士である。そして、第九軍団に配属され、皆代小隊に入った。
階級は、当然のように灯光級三位だ。
しかし、ルナは、空白地帯であるにも関わらず導衣を身につけてはいない。相変わらず、水着か下着のような際どい格好であり、頭上には黒い輪っかが浮かんでいて、背後には花弁を集めたような飾りが浮遊している。
異様としか言い様がないが、それがルナにとって普通の姿なのだからどうしようもない。
ルナの両親の葬儀の際には、喪服のような出で立ちに変わったが、それも葬儀が終わるまでのことだった。葬儀が終わり、両親との別れを済ませた彼女の姿は、いつも通りのものに変わっていたのだ。
そして、再び別の格好に変われないものかと試行錯誤する日々なのだが、一向に変化しないらしく、途方に暮れているようだった。もはやほとんど諦めているらしい。
そんな彼女が戦団に所属する際、戦団最高会議が紛糾したという話は、統魔も聞き及んでいる。当然だろう、と、統魔も思う。
統魔自身、なぜ、彼女の存在を許容してしまったのか、と、考えないではない。
彼女は、人間ではない。
そして、幻魔でもない。
多量の幻魔成分とわずかばかりの人間成分を内包する、不可解な存在。神秘と幻想の塊であり、どれだけ徹底的に調べてもなにもわからない、謎めいた未知の存在だった。
だが、彼女には、人類に対する害意はなく、敵意もなければ、当然、殺意などもなかった。むしろ、誰かのために命を投げ出すことも厭わない精神性の持ち主であるということが証明されている。
実に戦団の導士に向いているというべきか。
統魔が彼女を受け入れたのは、そういう精神性の持ち主だから、というと、そういうわけでもないのが複雑だった。
もっと深いところで、彼女に触れてしまったという感覚がある。
当然のように統魔にべったりとくっついてくる彼女を邪険に払うこともできないのは、そういう自分を認識してしまっているからかもしれない。
統魔は、海を見遣っている。
水穂市の南方、第七衛星拠点のさらに南側、あらゆる生物が死に絶えた大地は、幻魔の闊歩によって荒れ果て、どこもかしこも見るに堪えないく惨状だ。
その大地の真っ只中に輸送車両イワキリを止めたのは、そこが空白地帯と〈殻〉の境界線に近かったからだ。
空白地帯とは、〈殻〉と〈殻〉の間に存在する、何者にも支配されざる土地のことだ。
鬼級幻魔シヴュラは、遥か海の向こう側に存在する島に〈殻〉を築き上げている。シヴュラの〈殻〉は海を渡り、陸地にまで至っているのだから、どれくらい広大かがわかるというものだろう。
ノルン・システムの推定によれば、葦原市と同程度の広さであり、水穂市を大きく上回る規模だと考えられている。
それはつまりどういうことかといえば、シヴュラの戦力が強大だということにほかならない。
鬼級幻魔の戦力は、〈殻〉の規模に準ずる。
とはいえ、水穂市が警戒しなければならない〈殻〉というのは、シヴュラの〈殻〉だけではない。
水穂市は、四方を〈殻〉に囲まれている。
遥か南方にシヴュラの〈殻〉があり、南東部にはミトラの〈殻〉が、東部にはアガレスの〈殻〉があり、北部にはオトロシャの〈殻〉が隣接している。
当然のことだが、直に隣接した〈殻〉に対しては、市の構造そのものが強力な防衛網となって機能している。つまり、水穂市の北部、東部、南東部には、極めて強固な防衛機構が構築されており、それこそ要塞染みているのだ。また、そこには大量の導士が常に配置されており、いつ如何なる時でも対応できるようになっている。
だからこそ、シヴュラ軍の動向をこそ、注視しなければならないのが第七衛星拠点なのだと、統魔は、黒々とした海が太陽光線を反射しながら煌めく様を眺めている。
「ねえ、統魔、聞いてる?」
「たいちょは考え中なのよ、ルナっち」
「そうですよ、ルナさん。隊長は考え事をしておられるのですから、そう催促しないことです」
「むー……」
ルナが、女性陣二人に引っ張られるようにして統魔の体から引き剥がされていくのは、ここ数日のいつもの光景と言って良かった。
ルナは、導士になった。が、彼女は、ついこの間まで一般市民だったのだ。
人間に擬態していたのか、人間が未知の存在へと変異したのかは、この際、どうでもいい。
彼女の記憶は、確かに、一般市民の本荘ルナとして十数年もの間生活していたものであり、彼女が央都の一般市民としての常識や規範に則った生き方をしていたのは間違いないのだ。
人外の存在だと認定され、強大な魔力を持っていることが判明したのだとしても、それを彼女が全く以て使いこなせていない以上、一般市民と同様に扱うべきだった。
つまり、導士としての教育や訓練が必要だと言うことだ。
皆代小隊が第七衛星拠点に到着するのが遅れた最大の理由が、それだ。
そもそも、八月の到来とともに開始するはずだった第九軍団の衛星任務そのものが、本荘ルナの一件で、わずかばかりに遅れていたのだが、皆代小隊は、彼女の面倒を見る必要もあって、遅れに遅れてしまっていた。
もっとも、それが戦団のためになるというのであれば、なんの問題もないのだろうが。
実際のところ、ルナは、導士としての教育と訓練をあっという間に終えており、彼女が持つ並外れた能力の片鱗を窺わせたものだ。
彼女が戦力になることは、疑いようがなかった。




