第三十六話 開会式
対抗戦決勝大会は、盛大な開会式が執り行われる決まりになっている。
午前九時、海上総合運動競技場の最大六万人収容可能な観客席には、たくさんの、それこそ数え切れない数の観客の姿があった。
観客は、様々な手段で会場を訪れた市民である。直通バスに乗ってきた人達も多ければ、自家用車で来た人達も多い。法器に跨がって飛んできたという人達も結構な数がいた。
そうした市民に埋め尽くされていく観客席の様子を競技場の特等席から眺めている人物が、二人。
葦原海上総合運動競技場は、球形の建造物だ。巨大な球体の内部をくり抜いて作られたのではないかとまことしやかに囁かれるほどの完成度は、現代魔法建築の最高峰と讃えられて久しい。
そんな球体の内部にあって、観客席は球体下半分の壁に沿うような形で並んでいる。実際には、壁との距離はかなりあるのだが。後ろの席になるほど段々と高くなっていくため、観にくくなるということはない。
それにもし観にくかったとしても、会場内には巨大な幻板が無数に投影されることになっており、競技の様子を見逃す心配はなかった。
特等席は、球体の上半分の中程に設けられた突出部だ。そこからは競技場内を一望することが出来る、まさに特等席中の特等席と言って良かった。
一部招待客や、賓客を遇するための部屋であり、また、彼らのような立場の人間が使う部屋だ。
まさに貴賓室である。
『全出場校の入場です!』
ネットテレビ局の対抗戦生中継番組からの音声が、広々とした貴賓室内に流されている。
競技場内に一列になって進み出てくるのは、桜色の競技服に身を包んだ学生たちだ。その先頭には幻板を掲げる案内役がついている。幻板に表示される学校名を見れば、どこの高校なのか一目瞭然だった。
『まずは、葦原市予選大会を圧倒的な成績で通過した、星桜高校です!』
『過去七度の対抗戦優勝は伊達ではありません。彼らには強者の血が流れ、勝者の理念が受け継がれているのでしょう』
『今年注目といえばやはり、彼ですよね!』
『はい、菖蒲坂隆司選手ですね。彼は今大会最多得点を記録しています。昨年の大会を体調不良のため棄権せざるを得なかった後悔が、彼を飛躍させたのでしょう』
実況と解説の熱の籠もった発言の数々には、この大会が与える影響の大きさを感じざるを得ない。
「随分と詳しい解説だ」
「ありがたいことですな」
「しかし、我々ほどではない」
「当然でしょう」
男は肩を竦め、上司の軽口を受け流した。
貴賓室には、その男と女上司の二人しかいない。二人は、一面硝子張りの窓際に立ち、中継の音声を聞きながら、開会式の様子を見下ろしている。
女は、上庄諱といった。戦団情報局長である彼女は、情報局の長として、必要に迫られて、この場に姿を見せている。
『続いて登場は、天神高校! 出雲市予選大会を突破した実力は本物です!』
『天神高校といえば、第三回大会以来優勝を逃していますが、これまで何度なく決勝大会に歩を進めてきた強豪校です』
『特に今年は、金田朝子選手を始めとする三年生が二連覇に向けて気合いが入っているそうですよ』
『現在の三年生といえば、前大会の優勝にも大きく貢献していました! 今年も活躍が期待されます!』
『はい。素晴らしい戦いが見られることでしょう』
熱狂的といってもいい実況と、極めて冷静な解説が流れる中、天神高校の青を主体とする競技服を身につけた学生たちが、広い広い競技場の中心に進んでいく。
観客は、既に満員に近い。
六万人収容可能な観客席が満員になることなど滅多にはないことだが、今年の対抗戦が例年以上の注目を集めたことも影響しているに違いない。誰もが決勝大会初進出の天燎高校を注目していたし、どのような戦い振りを見せてくれるものか、ある種期待されてもいた。
万年初戦敗退、万年最下位などといわれている学校が、大会新規則のおかげで決勝大会に進出したというだけで奮起するものかどうか、その点も注目を浴びる要因ではあるだろう。
三校目は、叢雲高校だ。灰色を基調とする競技服を身につけた一団は、案内役に導かれるまま、列を乱すことなく競技場を進んでいく。
『今年の注目株、叢雲高校です! 大和市予選大会において、他を寄せ付けない成績を収め、決勝大会への進出を決めました!』
『叢雲高校の主将は、草薙真選手ですね。草薙真選手は、一年、二年、そして三年と、毎年対抗戦に参加しているわけですが、今年が最後の挑戦となります』
『昨年は惜しくも決勝大会で星桜高校に敗れてしまったわけですが、その雪辱なるか!』
『叢雲高校は、そのためにもこの一年間猛特訓をしてきたという話ですから、期待したいところですね』
四校目として登場したのは、御影高校である。茶褐色を基調とする競技服の一団が、叢雲高校の右隣に並んでいく。
『つぎは、御影高校です! 水穂市予選大会を辛くも通過することができました!』
『今年の水穂市予選は激戦区でしたからね。ぎりぎりのところではありましたが、決勝大会に出られたことにはほっとしていることでしょう』
『御影高校で注目するべき選手といえば、金田友美選手でしょうか!』
『そうですね。金田友美選手は、天神高校主将、金田朝子選手の妹。姉妹対決が実現した以上は、両者に頑張って欲しいところですね』
『まったくその通りです! さて、最後に登場するのは……!』
解説役の冷静さに比例するかのように熱を帯びていく実況役の声が、一段と高まり、強まったのがわかった。
貴賓席の二人も、食い入るように競技場を見ている。
五校目は、天燎高校である。
黒を基調とし、赤の差し色の入った競技服を身につけた六人の選手たちが、どう見ても緊張した様子で列をなして歩いていく。
『天燎高校です! 例年予選大会において大敗することで知られる彼らが、決勝大会に初めて姿を現しました!』
『大会の新規則によって予選を免除されたからですね。しかし、そうである以上、奮戦を期待したいところです』
『はい、そうですね! 万年初戦敗退の汚名返上なるか! 大会新規則がどのような波乱を巻き起こすのか、すべては天燎高校の活躍にかかっているといってもいいでしょう!』
『特に注目するべきは、主将の皆代幸多選手でしょうか。皆代幸多選手は、魔法不能者なんです。魔法不能者の彼が、この魔法競技の大会でどのような活躍を見せてくれるのか、期待が高まります』
『そうですね! 天燎高校は、いま一番注目を集めています!』
「盛り上がってますなあ、会場も世間も、どこもかしこも」
「天燎高校の参加がその一因だということは認めよう。しかし、だな」
上庄諱は、鋭いまなざしを男に向けた。男は、城ノ宮明臣といった。情報局副局長の肩書きを持つ、上庄諱直属の部下である。灰色の頭髪が特徴的といえば特徴的な人物で、その長身に戦団の制服を着込んでいる。
一方、上庄諱は、暗紅色の髪と薄色の目を持つ女だ。女性としては高身長の部類に入る背格好であり、同じく黒を基調とする戦団の制服を着込み、胸元には星印を付けている。
星印は、戦団所属である証である。その形状と基調となる色彩が、所属部署と階級を示している。彼女の星印は銀を基調とし、五芒星を形作っている。これは情報局に所属する、星光級導士であることを示している。
星光級とは、星将のことだ。
城ノ宮明臣の星印も、胸元にある。銀を主体とするのは変わらないが、三重になった四つの星が連なっているという形状だ。煌光級一位である。
「きみがなぜ、天燎高校を予選免除枠にしたのか、わたしには不思議としか思えなかった」
諱は、刺すような目で、部下を見据えている。普段から飄々としたところのある部下の顔は、どうにもつかみ所がなかった。
「万年初戦敗退の高校が決勝大会に入り込めばどうなるか見物だから、では、いけませんか」
「それでは悪趣味にもほどがあるだろう」
「まあ、そうなりますな」
悪びれることもなく、彼は、ただ苦笑する。
競技場では、開会式が始まっていた。
競技場に整列した出場選手たちの前に対抗戦運営委員会が姿を見せ、観客が大袈裟なまでの反応をしているのが、遠目にも手に取るようにわかる。
運営委員会長が現れたのだから、そういう反応にもなるだろう
伊佐那麒麟である。
戦団の副総長にして、魔法の名門伊佐那家当主、そして歴戦の英雄である彼女の姿を見ることが出来れば、央都市民が感動しないわけがなかった。
だれもが彼女の活躍を知っている。子供の頃から何度となく読み聞かされた絵物語に、子供の頃から幾度となく勉強してきた様々なものに、伊佐那麒麟は頻出し、英雄としての横顔を見せつける。ときには戦乙女の如く雄々しく、ときには女神のように慈愛に満ちた姿を見せている。
歓声が一際強くなるのも無理のない話だ。
「では、なんだと?」
「きみが天燎財団に袖の下を渡されたのではないかと、もっぱらの噂だよ」
「だれがそんな愚にもつかない噂を流すんです」
「きみの提案が余程突飛もなかったからだろう」
諱は、戦友であり、数少ない親友でもある伊佐那麒麟が、手慣れた様子で開会の挨拶を行い、選手一同に訓辞を述べる様を見遣りながら、いった。
そうなのだ。
対抗戦の新規約である予選免除権を提案してきたのは、城ノ宮明臣なのだ。彼の提案を受けて、様々に考慮した上で、諱が護法院に提出した。
護法院。
戦団の最高意志決定機関とでもいうべき存在である。
単純に戦団上層部といえば、幹部会のことを指すのだが、護法院は幹部会よりも上の機構だった。その存在を知っているのは、幹部会に連なるものたちだけであり、だれもが知ることのできる存在ではなかった。
城ノ宮明臣は、知っている。
彼には、隠し事ができない。
なぜならば、彼は情報局の副局長であり、戦団の機密情報も取り扱っているからだ。
「しかし、だとすれば、天燎高校になんの得にもなりませんよ。ましてや、天燎財団そのものが対抗戦を忌み嫌っているというのに」
彼の言い分ももっともだった。
天燎高校が毎年予選大会を敗退しているのは、高校の意志であり、わざとなのだ。天燎高校を運営する天燎財団にしてみれば、対抗戦そのものが不快なのだ。参加すらしたくないのだが、しかし、参加するしかない。
だから、万年最下位などと呼ばれるような成績で終わらせる。
そんな財団が、天燎高校を決勝大会にねじ込むような真似はしないはずだということは、少し冷静になって考えればわかることだ。
しかし、だとしたら、さらに疑問が湧く。
「ではなぜ、きみは天燎高校を選んだ? ほかにも選択肢はいくらでもあったはずだ。たとえばそう、昨年度の優勝校に予選免除権を付与するという、ありきたりな選択肢がな」
「星桜高校は常勝校でしょう。それではつまらないことこの上ない。決勝大会の出場校が一枠増えるだけのことです」
「それが狙いではないのか」
「それもありますが、それだけではありませんよ」
会場では、前年度優勝校の星桜高校から大会運営に優勝旗の返還が行われていた。星桜高校の主将は、緊張した面持ちで、伊佐那麒麟と対峙し、その大きな旗を手渡す。
麒麟が何事かをつぶやき、主将が恐縮する。
ありふれた決勝大会開会式の光景だ。
「決勝大会に波乱を。それがわたしが提案した最大の理由です。何事も事前の情報通りに物事が運んでは、非常に、面白くない。大切なのは、面白いか、どうか。そうではありませんか」
「天燎高校が波乱をもたらす、と?」
「はい」
諱の疑問に対し、明臣は即答した。
これには、さすがの諱も首を傾げる以外にはなかった。天燎高校が決勝大会に参加したところで奮起し、波乱を巻き起こすことが出来るのか、という最大の問題がある。
そしてなにより、今年の天燎高校は、例年以上に勝てる気がしなかった。
「皆代幸多が主将なのだぞ」
「それは、さすがに予想外ですが」
情報局の二人は、皆代幸多について熟知しており、だからこその会話だった。皆代幸多という学生がどういう人間なのか、おそらく同じ天燎高校の学生たち以上に詳しく知っていることだろう。
どこでどう生まれ、どう育ったのか。どこの小学校を経て、どこの中学校に進学したのか。中学時代の彼の活躍も、知らないわけがなかった。
央都の様々な情報を手中に収めているのが、情報局だ。その頂点に立つ諱と、二番手である明臣にわからないことはなかった。
「しかし、天燎高校が嵐を巻き起こしてくれることには期待してくれて構いませんよ」
「優勝を狙えるほどかね」
「まさか」
明臣は一笑に付す。
さすがの彼も、天燎高校が優勝できるなどと考えてもいなかった。いくら決勝大会に進出でたからといって奮起し、万年最下位の高校が一躍優勝校になれるのは、少々出来過ぎである。
多少なりともかき回し、決勝大会に花を添えてくれればいい。
「優勝するのは、叢雲高校ですよ」
「きみはずっとそれをいっているな」
「情報は力です」
「わかっているが」
しかし、と、諱は競技場を見下ろす。
開会式が終わり、各高校の出場者たちが競技場から捌けていくところだった。
運営委員会も、競技場を去った。
そして、第一回戦の準備が始まる。
諱は、脳裏に出場選手に関する無数の情報を思い浮かべた。膨大な量の情報が頭の中に浮かんでは、明臣の理屈を決定的なものにしていく。だが、それこそ彼のいう面白くないことだろう。
「情報がすべてではないよ」
それもまた、事実だ。




