第三百六十七話 特別であるということ
幸多は、美由理と少しばかり話をした。
あのとき、幸多の身になにが起きたのか、色々調べたものの、イリアにも全く説明ができないということだった。
ヴェルザンディが触れたから幸多が意識を失ったようにも見えるのだが、実際の所、なにがなんだか不明のままだというのだ。
再度、幸多の生体解析を行ったが、それでもわからなかった。
どうして、幸多にヴェルザンディたちの幻想体が触れることができるのかについても、ノルン・システムによる調査を行っているものの、なにひとつ解明されていないという。
突如、幸多が意識を失ったことによる後遺症が確認されず、心身ともに異常はないということがわかっただけでも良しとするしかない、というのが、イリアと愛、そしてノルン・システムの下した結論だった。
だから、美由理は、彼が目覚めるまで不安と戦わなければならなかったのだ。
幸多がこのまま目覚めないのではないか、などと考えることはなかったにしても、彼の身に起きているなんらかの異変、彼が持つなんらかの特異性が、今後、彼の人生にどれほどの影響を与えるのかということについては、考え込まざるを得ない。
そして、彼が当たり前のように目を覚ませば、安堵する。
ただ、どう説明したものか、と、頭を悩ませることにはなるのだが。
結局、美由理は、ありのままに説明することにした。幸多のような利口な相手には、そのほうがいいだろうと考えてのことだ。
幸多は、美由理から説明された出来事について、全く身に覚えがないことを伝えると、己の右頬に触れた。ヴェルザンディが触れたという箇所だ。
ヴェルザンディが近づいてきたことは覚えているのだが、触れられたという部分に関しては、全く記憶になかった。だから、実感もない。触れられた感触も、意識を失う直前の感覚も、なにもかもが記憶の中に朧げにすら残っていない。
「幻想体が実体に触れることなんて、できませんよね」
「ああ、そうだ。だから、そんなことはありえないとイリアもヴェルたちも混乱しているようだ」
ありえないのだが、実際に起きてしまっていて、記録にも残っている。映像としても、情報としても、だ。
現在、それらの記録を元に全力を上げて分析しているのがノルン・システムであり、過去の事例を徹底的に調べ上げ、類似、あるいは近似した出来事はないものかと調査している。同時に、幸多とヴェルザンディの間で起きた現象の解析も行っている。
幸多の体が特別だということは、とっくに判明している。
完全無能者にして、第四世代相当の魔導強化法を施術された唯一の人間。
それが幸多だ。
そして、なぜ、赤羽亮二が幸多にだけ施術したのかについても、確定しているわけではないにせよ、わかっている。
幸多が、魔素を持たざる完全無能者だからにほかならない。
魔素を一切内包しておらず、魔素を生産する力を持っていないが故に、特化した魔導強化法を施術することができたのではないか、というのが、イリアと愛の推測である。
魔導強化法が第三世代で限界だと考えられているのは、特定の部分だけを強化することが困難だからだ。
現在に至るまで様々な研究が成されている生体強化技術だが、それらの大半は、人体における均衡が維持できることを前提とし、考慮されている。
生体の均衡が崩れた場合、生命活動に異常をきたす可能性があるということが、過去の研究からも明らかだった。そのために多くの命が犠牲となったことは、いうまでもない。
故に、魔導強化法は、第三世代に至るまで、生体における均衡を維持しており、その状態では第四世代と呼べるほどの強化は、どう足掻いても不可能であると結論づけられていた。
幸多は、そうした常識の外にいる。
まず、幸多は、魔素を有していないというこの世の常識を覆す唯一無二の存在だ。
それ故に幸多は、魔素に関する強化を必要としなかった。魔素に関連する以外の部分で生体の均衡を保ちながら、身体能力や動体視力など、他の領域を第四世代相当にまで引き上げることが出来たのではないか。
幸多だけが第四世代相当の魔導強化法を施術され、生体の均衡が維持され続けているのも、それが理由に違いない。
仮に戦団が、赤羽医師よりも先に幸多の存在を知り、幸多を生存させるために全力を尽くしたとしても、同じような結論に至ることができたのか、どうか。
簡単なことではない、と、イリアも愛も眉根を寄せ、渋い顔をしたものだ。
なにせ、幸多の体に詰め込まれた技術というのは、戦団の技術局と医務局が総量を上げても完全に解明できるものではなかったのだ。つまりは、超技術の結晶といっても、過言ではない。
一秒の間に膨大な量の細胞が死に続け、それと同等以上の細胞が誕生し続けているのが、幸多の体だ。それによって魔素圧に対抗しているのだろうが、魔導強化法によって代謝力を限界まで引き上げたところで、そこまでできるものなのか、どうか。
イリアは、頭を抱えていたし、愛も想像すら出来ないといわんばかりの表情だった。
つまり、そう、幸多の体には、未知の、驚くべき技術が詰め込まれている、ということだ。
幻想体と物理的に接触することが出来たのもまた、その未知の超技術の一端だろう。
「ありえないこと……」
幸多は、美由理が出力させた幻板を覗き込みながら、つぶやいた。そこには、中枢深層区画での出来事が鮮明に映し出されている。
ヴェルザンディが幸多に近づいてきたかと思うと、その幻想体の人差し指で幸多の頬に触れた。その瞬間、幸多は衝撃でも受けたかのような反応をして、崩れ落ちている。そして、ヴェルザンディに抱き留められたのだ。
ヴェルザンディの指が幸多の頬に触れたこともそうだが、ヴェルザンディが幸多を抱き留めたという出来事もまた、衝撃的としか言い様がなかったし、まるで現実感がなかった。
「本当に、幻想体なんですよね?」
「ああ」
美由理は、幸多の疑問ももっともだと考え、記録映像の別の場面を再生した。
愛が幸多の容態をその医療魔法でもって診察している間の映像には、ヴェルザンディが自分の幻想体が正常であるかどうかを確かめるべく、イリアや美由理に触れようとする様が映し出されている。
そして、女神たちの行動は、全て空振りに終わっているのだ。つまり、ヴェルザンディの幻想体も、スクルドの幻想体も、美由理たちに触れられなかった。
愛の豊かな胸の中に溶けるようにして通過していくヴェルザンディの右腕は、彼女の幻想体そのものが正常であり、実体に触れられる力など持っていないことを証明している。
つまり、幸多の体こそが、特異であるということにほかならない。
幸多は、その事実を目の当たりにして、呆然とした。自分の体が特異なものであり、特別なものだと言うことは、最初からわかっていたことだが。
この魔素に満ちた宇宙で、魔素を持たない存在など、幸多を除いてほかにはいないのだ。
幸多だけが例外で、稀有極まりない存在だった。
本来ならば生きていられるわけもなく、溶けて消えてなくなるはずだった。
あるいは、砂のように崩れ去るか。
それなのに今日まで生きてこられたのは、なにかしら特別だということを意味している。
この肉体が、常人とは比較にならない量の細胞で構成されていて、毎時毎分毎秒、いや、もっと短い期間で大量の細胞が死に、大量の細胞が誕生しているという。
だからこそ、魔素圧に耐えられているということらしいのだが、とはいえ、幸多は自分自身の体を異様なものと見てしまう。
そして、幻想体に触れられたという事実が、幸多の頭の中の混乱を急速に変容させていくような感覚があった。
幸多は、美由理を見た。師もまた、彼のことをじっと見つめていた。ただ、弟子を見守ってくれていたようだった。だから、問うのだ。
「……ぼくは、一体、なんなんでしょう?」
美由理は、幸多の瞳の中に渦巻く不安を視て、その感情のざわめきを理解した。彼の気持ちは、なんとはなしにわかる。
自分が何者なのか。
そのことへの不安と葛藤、恐怖と混乱――それは、美由理にとっても実感を伴う体験としてあったからだ。だからこそ、寄り添えるのではないか、というのは、傲慢な考えかもしれないが。
「皆代幸多。戦団戦務局戦闘部第七軍団に所属する導士。階級は、閃光級三位。師は、伊佐那美由理。第四開発局が推進する窮極幻想計画の中核を担う人物――それがきみだ」
幸多の瞳の奥に戸惑いが生じる。美由理がなぜ、そのようなことを言い出したのかといわんばかりだ。
しかし、美由理には、彼女なりの意図がある。
幸多が、いまにも崩れ落ちそうな不安定な足場の上に立っているような、そんな感覚の中にいることが理解できてしまうのだ。それが一方的で勝手な勘違いだとは、思わない。
己の存在についての苦悩ほど、美由理が理解できることもないのだ。
「きみは、きみだ。それ以上でも、それ以下でもないよ。特異点だなんだというのは、幻魔たちが勝手いに言っていることであって、気にする必要はない。きみは自分が特別な存在だと思っているのかもしれないが、だとしても、この世にはきみと同じくらい特別な存在が溢れかえるほどにいる。たとえば、そう、きみの兄弟」
「ああ……」
幸多は、美由理の冷静に紡がれる言葉の一つ一つが、心に染み入るようだと想った。
そういえばそうだ、と、実感とともに考える。
統魔は、極めて特別な存在だった。
子供のころから類い希なる魔法の才能に恵まれていて、物心ついたときには様々な魔法を使いこなしていたという。
実際、皆代家の一員になった際、統魔は既に飛行魔法を自在に操っていたし、だからこそ、魔法不能者の幸多を見下していたのだ。
そして、その特別性を維持するどころか、開花させていった結果、いまの統魔があるということは、幸多は身を以て理解していた。
この魔法社会において、特別な存在は、ありふれている。




