第三百六十四話 幸多のこと(五)
「さて、重要なのは、きみがこの機械の中でどのような処置を受けたのか、ということだね」
愛は、赤羽亮二謹製の機材を見つめながら、いった。
幾層にも重ねられた調整槽は、それぞれの層に魔素密度の異なる液体が流し込まれていて、それによって中心層への魔素圧を減衰させるという仕組みのようだ。
それが生まれたばかりの幸多を生かし続ける唯一に等しい方法だったのは、愛にもわかる。しかし、そのような方法が瞬時に思いつくものだろうか、とも、思うのだ。
無論、赤羽亮二は稀代の名医といっていいくらいの人物だ。それは、彼のことを調べればすぐにわかった。そして、だからこそ、皆代奏恵の胎内の赤子に一切の魔素が宿っていないことを発見することができたのだろうし、対策を練ることも出来たのだろう。
発見が早かったからこそ、対策することが出来たとしか考えられない。
しかし、そのような対策を誰もが思いつけるわけもなく、やはり、赤羽亮二が名医であればこそだったのは間違いない。
しかも、だ。
「魔素圧に順応するための処置……じゃないんですよね」
「順応していないし」
「はい……」
幸多は、別の幻板を見て、半ば憮然とするほかなかった。
両親が赤羽亮二から聞かされた話とはまるで違う結果であり、だからこそ、幸多は言葉を失うしかない。
幸多の肉体がこの世界に順応し、問題なく生きていけるためのなんらかの処置が行われたものだとばかり思っていた。
奏恵も、幸星も、そう信じて疑わなかっただろう。
実際、幸多は、調整槽から取り出されてからというもの、なんの問題もなく生きてこられたのだ。
赤羽医師の処置のおかげでこの世界に順応できたのだと考えるのは、至極当然だった。
疑うことなどありえない。
だが、いまは、どうか。
幸多は、赤羽医師の処置と説明が食い違っているという事実を受けて、疑問を覚え始めていた。赤羽亮二が幸多にどのような処置をし、どうしてそれを両親に説明しなかったのか。
どんな処置であれ、それが幸多が生きていくために必要なことならば、幸星も奏恵も文句一ついわなかっただろうし、受け入れたはずだ。両親にしてみれば、我が子が生きていてくれればそれだけでよかったはずなのだ。
なにせ、完全無能者の幸多と真正面から向き合うために仕事を辞めるような人達だ。
どのような処置であったとしても、問題にはしなかったのではないか。
幸多は、そう思うのだが。
「生体解析の結果、きみの体は、特別な調整が施されていることがわかったんだよ」
「特別な調整……ですか」
「そう、特別な、ね」
愛は、頷くと、手元の端末を操作した。さらに複数の幻板が出力され、そこに幸多の生体解析結果と、別の導士の生体解析結果が並べられる。
「魔導強化法は、知っているね?」
「はい」
「統治機構が地上進出のために開発した異界環境適応処置を戦団なりに改良したものが、魔導強化法。それも世代を重ね、いまや第三世代となっている。そして、それで最後」
愛が無念そうにいうのも無理からぬことだった。
魔導強化法は、最先端の生体強化技術である。説明通り、異界環境適応処置に始まったそれは、地上で生きていくためには必要不可欠な代物だった。
戦団は、魔導強化法を改善、改良し、第二世代、第三世代と繋がる研究を推し進めた。それは、幻魔に満ちたこの世界を切り開くために必要な手段であり、人類復興にはなくてはならない方法だと考えられたからだ。
魔導強化法は、ただこの魔素に満ちた世界に順応するためだけの生体強化技術ではない。生体強化技術の名の通り、人体が持つあらゆる能力を強化し、向上させる方法でもあるのだ。
魔導強化法を施術されていない旧世代の人類と、魔導強化法を施術された現世代の人類では、素の身体能力そのものが段違いだったし、魔素生産量も比較にならないほどに違う。
魔導強化法の世代によってもその差は極めて大きく、第一世代の魔法士たちと第三世代の魔法士たちでは、圧倒的と言っても過言ではない能力差が生まれるという。
魔導強化法が第四世代、第五世代と世代を重ねることができるのであれば、さらに人類は強くなり、幻魔をも圧倒することができるのではないか、などと夢物語のように語られたが、第三世代以上の強化は、現状の技術では不可能だと結論づけられてしまった。
なんらかの技術革新でも起きない限り、第四世代は誕生し得ない。
が、しかし、と、愛は、幸多の解析結果を見つめる。
「これがきみの解析結果だ。まあ、見てもわからないだろうけれど、端的にいうと、きみは第四世代相当の魔導強化法を施術されているんだよ」
「え……?」
幸多は、想像すらしていなかった愛の説明を受けて、またしても絶句した。
「これがどういうことかわかる? わからないわよね」
『幸多ちゃんにわかるわけないでしょ!』
『幸多様が可哀想です』
『かわいそー』
イリアの発言に対し、三女神がかしましくも文句をいう。
幸多は、そんな女神たちの反応も気にならなくなるくらい、頭の中が真っ白になっていた。第四世代相当の魔導強化法という言葉の意味そのものは理解できる。だが、それがなにを意味するのか、全く以て想像できない。
頭の処理が追い着かない。
「赤羽医院の院長・赤羽亮二は、元々は、戦団技術局の導士だった。極めて有能な人物でね、同僚の白鳥緋沙奈との結婚を機に退団する際も、散々に惜しまれたそうよ」
イリアがいった赤羽亮二の前身に関する話は、幸多自身、聞いたことがあった。
赤羽亮二は、戦団技術局の優秀な導士だったからこそ、彼が水穂市に開院した個人経営の診療所が人気を得たのだろう、と、両親が語っていたからだ。
それだけ、戦団の導士というのは、信頼度が高い。
戦団を辞めたとしても、戦団に務めていたというだけで箔が付き、引く手数多だったりするくらいだ。
央都は、戦団を中心に成り立っている。
戦団こそが根幹であり、根本なのだ。
市民の誰もが戦団を信頼し、信用し、信仰してさえいる。
「もちろん、戦団の機密に関する情報を持っていたわけではないでしょうけれど、技術力そのものは、戦団技術局で培われたのでしょうね。そして、魔導強化法を独自に改良し、第四世代相当の魔導強化法を開発した」
「けれど、誰もがそれに適合するわけではなかったのさ。戦団がさんざ試行錯誤しても出来なかったものが、一介の医師にできるはずがない――なんてことがなかったのも、おかしな話なんだけどね」
愛が、苦笑とともに幸多の解析結果に目を向ける。
隣に並べられた同世代の導士の解析結果とは、一目瞭然の数値が出ている。筋肉の質量、骨の強度、神経の伝達速度――魔導強化法によって引き上げられるあらゆる能力が、第三世代の導士よりも大幅に上回っているのだ。
ただし、魔素生成量だけは、幸多は皆無であり、その点だけは第三世代導士のほうが遥かに凌駕がしているといえるだろう。
そして、それこそが、幸多に第四世代相当の魔導強化法が適合した理由なのではないか、と、愛は睨んでいた。
「きみは、適合した。赤羽亮二が開発した第四世代相当の魔導強化法にね。それによってきみの身体能力は、第三世代の魔法士たちを遙かに上回ることが出来ている。そしてそれは、きみが完全無能者だからこそなんじゃないか、と、あたしは考えているんだよ」
「完全無能者だからこそ、第四世代に適合できた……か」
「魔導強化法は、人体のあらゆる能力を強化改良する技術よ。魔素生産量、生産速度もその限りじゃない。幸多くんの場合は、魔素を持たない。魔素に関連する能力を強化する必要がない」
「だから、第四世代に適合できた……?」
幸多は、愛やイリアの説明や幻板に表示された映像の数々に圧倒されるような気持ちになりながら、つぶやいた。
この体がいまにも崩れ落ちていきそうな感覚があって、けれどもそんなことがあるはずもないというある種の確信が、意識を繋ぎ止めている。
自分は、一体、何者なのか。
幸多は、今、その一端を知った。




