第三百六十一話 幸多のこと(二)
「なるほど」
「そういうことね」
美由理とイリアは、幸多からの回答を聞いて、納得するとともに顔を見合わせた。苦笑するしかない。
幸多は、突如脳内に響き渡ったヴェルザンディの声の大きさに思わず耳を塞いでしまったというのだ。ヴェルザンディたちとの通信を予想できる状況であればまだしも、そうではなかったのだから、そうもなるだろう。
事前に通知でもあればよかったのだろうが、ヴェルザンディがそのような気を利かせるわけもない。
幸多の義眼には、最先端の神経接続技術が用いられているだけでなく、常時レイライン・ネットワークと接続することができるように作られている。そして、それによっていつ何時でも、ノルン・システムと通信を行うことができるのだ。
つまり、レイライン・ネットワークが通っている場所ならば、だが。
だから、どんな状況下であろうとも、幸多に突如として女神たちの誰かが話しかけてくる可能性があるということになるのだが、無論、女神たちとて暇を持て余しているわけではない。
戦団の三女神は、まさに女神の如く、日々、戦団の業務に尽力しているのだ。
統合情報管理機構ノルン・システム。
それは、戦団の、いや、人類生存圏の根幹を成す存在といっても過言ではない。
昼夜を問わず働き続けており、特に情報局や技術局、医務局と連携し、様々な情報を提供したり、分析や解析にと全力を上げている。
女神たちは、機械であり、休む必要というものがない。常に稼働状態であり、働き続けていても、人間のように疲労することもなければ消耗することもなかった。だから酷使されているといえるのだが、そのことに対し不満を持つこともなく、ノルン・システムの本分を全うし続けている。
とはいえ、隙を見つけては幸多にちょっかいを出しているということは、イリアたちもまた、理解していることではあったのだが。
「まあ、もうしばらくの辛抱よ」
「どういうことですか?」
「言ったでしょう。きみの体質にあった義肢や義眼を細胞から培養しているって。それさえ完成すれば、強制的な接続ともおさらばってこと。それはもはや義肢でも義眼でもなんでもなくて、きみの体そのものなんだけど」
「ああ……」
そういえば、そんな話を聞いた覚えがある、と、幸多はイリアの言葉に頷いた。忘れかけていたのは、あれから色々なことがあったからだ。夏合宿が始まり、花火大会では機械型幻魔と戦い、そして今日の生体検査だ。
怒濤のようだ。
さらにいま、幸多は、自分の肉体の知られざる秘密について、知ろうとしている。
そのことが気になって、ほかのことが疎かになるのは、当然のことなのかもしれない。
やがて、三人は、医療棟の昇降機に辿り着いた。昇降機に乗り込むと、イリアが操作盤を触れ、手慣れた様子で暗号を入力する。中枢深層区画行きの秘密の番号。
イリアは一瞬でそれらの数値を入力すると、昇降機が動き出すのを待ってから口を開いた。
「……機械型幻魔は、人型魔導戦術機イクサの技術を取り入れ、強化改良を施した獣級幻魔に過ぎない――現状では、そう断定していいのでしょうね」
「機械型の死骸、大量に運び込まれたようだが」
「ええ、そうよ。特にあなたが原型をほとんど完璧に残してくれた死骸は、これからの調査に大いに役立つでしょうね。有り難いことよ」
「だろう」
美由理は、イリアの褒め言葉を素直に受け取った。
実際、美由理が撃破した機械型幻魔の死骸の大半は、ほとんど損傷のない綺麗な状態だった。美由理が氷の女帝と呼ばれる所以がそこにある。
幻魔を氷漬けにして、体内の魔素を死に至らしめることによって生命活動を停止させるのだ。それによって得られるのは、無傷に等しい幻魔の死骸であり、それらは幻魔研究において、役立たないわけがない。
特に今回の機械型幻魔のような、未知の、新種の幻魔の場合は、美由理のやり方ほど有り難いことはない。
徹底的に調査し研究し、解析することができるからだ。
機械型幻魔がイクサの技術を応用して改造された獣級幻魔だということはわかっているが、それによって生じた変化がどのようなものなのかまでは詳細に解析しなければならないことだったし、なにかしら弱点が見つかるのであればそれに越したことはなかった。
機械型は、下位獣級幻魔を下位妖級幻魔に匹敵する凶悪な怪物へと変貌させていた。
葦原市の各所に今もなお爪痕を残す強力無比な攻撃の数々は、下級導士ならば手も足も出ないほどだ。実際、多数の死傷者が出ていて、そのためにこそ医務局が対応に追われている。
そんな状況が長く続いていいはずもなく、故にこそ、技術局は情報局と総力を結集して、機械型幻魔の研究、解析に乗り出している最中なのだ。
「機械型の解析が進めば、多少なりとも楽にはなると思うけれど、〈七悪〉がそのことを理解していないとは思えないのよね」
「……そうだな」
「獣級上位、いえ、妖級幻魔を改造して送り込んでくる可能性も、考えられるわ」
「奴らがなにを考えているのかなど、考えるだけ無駄だがな」
「そうね」
身も蓋もない言い方だが、美由理の意見は、正しいことこの上なかった。
サタン率いる〈七悪〉がどのような行動理念を持っているのかなど、考えるだけ全く以て無駄で無意味なのだ。
悪魔たちはいった。〈七悪〉が揃ったとき、人類は滅びる、と。
だが、〈七悪〉は、六体もの鬼級幻魔の集団である。その六体の鬼級幻魔が同時に央都を襲えば、それだけでこの人類生存圏は跡形もなく滅び去るだろう。
戦団が全戦力を投入し、対抗したところで、どうにもならない。
最悪、相打ちに持ち込むことが出来たとしても、その後に残るのは、絶望の未来しかない。
全ての〈七悪〉を打倒できたとして、戦団が余力を残せているとは到底考えられなかったし、そうなったと央都周辺の〈殻〉に潜む鬼級幻魔が黙って見ているとは思えなかった。
悪魔たちが動き出せば、それだけで人類は滅びに直面するのだ。
それなのに、〈七悪〉は、七体揃えようとしている。〈七悪〉が揃ってようやく人類滅亡のために動き出す、などと宣っている。
意味が、わからない。
人類を滅ぼすことが目的ならば、いつだって不可能ではない。
なんなら、他の鬼級幻魔を唆し、央都を攻め込むように誘導すれば、それだけでも致命的な一撃を叩き込むことが可能だ。
それすらせず、機械型幻魔などという新たな兵器を開発し、送り込んできたというのは、どういう理由なのか。
やはり、美由理の言うとおりだ、と、イリアは思うのだ。
考えるだけ無駄なのだ、と。
そうするうちに昇降機が停止し、戦団本部の最深部に辿り着いたことを報せた。扉が開き、暗闇の道が示される。
壁や床を走る蒼白い光線だけが、この深層区画の暗闇をわずかばかりに照らしているが、幸多の視力を以てすればなんの問題もなかった。
そして、中枢深層区画に辿り着けば、妻鹿愛と、三女神の幻想体が待ち受けていた。
「待たせたわね」
「いや、あたしも今着いたところさ」
イリアがいうと、愛が苦笑して見せた。彼女の白金色の髪が、女神たちの発する光に照らされて、輝いている。
『待ちくたびれて仕方がなかったわよ』
『ヴェル』
『待ってなんかなかったでしょ』
『そこは乗りなさいよ!』
『乗りません』
『乗らないよ』
ノルン・システムの人工知能が出力する仮装人格たる三女神たちは、相も変わらずかしましく言い合っている様には、幸多も圧倒されるような感覚があった。
ヴェルザンディだけは度々脳内に現れるということもあって慣れているのだが、三女神が勢揃いすると、それだけでなんだか強力になった気がする。そしてそれは、決して気のせいなどではあるまい。
三女神の姿は、幻想体、つまりは立体映像だ。触れることも叶わない幻想そのもの。けれども、そこには確かな存在感があった。
血が通っているといっても過言ではないくらいの個性があり、自我があり、自己主張があり――まるで彼女たちが現実に存在する人間であるかのような錯覚さえ抱く。
誰もが、そうだ。
女神たちを機械のように扱うものは、彼女たちを理解しているものの中にはいなかった。
女神たちは、ノルン・システムという機構の一部なのだが、戦団に所属する一員だという認識が誰もが持っていた。