第三百五十八話 王塚カイリ(三)
カイリは、機材を操作し、幸多の生体検査を始めた。
戦団内部では、定期検診とも呼ばれるこの検査は、通常、医務局の人間によって行われるものだ。
今回、昨日の花火大会中に起きた幻魔災害は、央都史上でも有数の大事件に数えられるほどの規模だった。虚空事変、天輪スキャンダルに勝るとも劣らない大事件であり、大災害。
同時多発幻魔災害とも、大規模幻魔災害とも呼ばれている。
なにせ、未来河周辺に大量の幻魔が現れ、導士、市民問わず多数の死傷者が出たほどである。
医務局はその対応に追われて大忙しとなっていて、だからこそ、技術局の手が空いている人間が借り出されたというわけだが。
今回借り出されているのは、なにも、第一開発室長のカイリと、第四開発室長の日岡イリアだけではない。技術局の暇を持て余している人間は全員呼び出され、医務局を含めた多忙を極める部署の手伝いをさせられている。
「わたしにもわからないのだよ」
カイリは、幸多の疑問に応えるべく、言葉を探した。端末を操作する手は止まらず、空中に展開している複数の幻板を流れる文字列や情報を追う目も止めない。
伊佐那美由理について、彼は考える。
戦団副総長・伊佐那麒麟の五人目の養子であり、三女である彼女は、いまからおよそ十六年前、伊佐那家に迎え入れられている。
麒麟の元で魔法の才能を発揮した彼女は、戦団の推薦によって星央魔導院に入学、めきめきと頭角を現していった。
伊佐那美由理、日岡イリア、妻鹿愛は、星央魔導院十八期生の中でも飛び抜けた成績の持ち主であり、どういうわけか十八期の三魔女などと呼ばれられ、恐れられていたらしい。
同じ十八期生には、現在の第九軍団長・麒麟寺蒼秀、第八軍団長・天空地明日良もいることから、十八期は優秀な人材を多く輩出したとされることも少なくない。
そして、星央魔導院を卒業した美由理は、即断即決で戦闘部への配属を志願した。戦団としても、彼女ほどの魔法士が戦闘部に入ってくれることは、願ったり叶ったりだったに違いない。
既定路線でもあっただろう。
なにせ、彼女は、養子とはいえ、伊佐那家の人間である。
伊佐那麒麟の養子は、ひとり残らず戦団に入っている。それぞれ部署こそ異なるとはいえ、戦団のため、央都のために尽力するのが伊佐那家の使命であると考えているに違いない。
伊佐那麒麟の薫陶を受けて育った子供たちは、誰もが気高く、素晴らしい志を胸に抱いているということだ。
それは、いい。
カイリは、幻板を流れる情報量の少なさを当然のように受け止めながら、考える。
「わたしが初めて彼女と出逢ったのは、彼女の入団直後のことだったかな。彼女は、日岡博士、妻鹿局長との三人で本部内を見て回っていたんだ」
魔導院時代からよくつるんでいた三人は、同時に戦団に入っている。
美由理は戦闘部に、妻鹿愛は医務局に、日岡イリアは技術局に。部署は違えど、目的は同じ、とでもいうべきだろうか。
そんな三人が一緒に行動していたのは、学生気分が抜けなかったというよりは、その本部見学を以て学生時代との決別をしようと考えてのことだったのではないか――などというのは、カイリの勝手な想像に過ぎない。
「日岡博士が言い出したのだろうね。自分の職場になる技術局棟を見て回りたい、と。そして、彼女らは第一開発室に足を踏み入れてきたというわけだ」
幸多は、寝台を取り囲む機材が様々に動き回り、光を照射してくる様を見遣りながら、カイリの昔話に耳を傾けている。カイリの声音は落ち着いていて、耳心地が良かった。目を閉じれば、寝入ってしまうのではないかというくらいだ。
しかし、目を開けていると、様々な機材の発する光が視界に飛び込んでくることもあって、寝てしまう心配は無さそうだ。光に刺激はなく、穏やかではあるのだが。
そして、だから、幸多もまた、過去の美由理に想いを馳せることが出来るのだ。
伊佐那美由理の歴史は、伊佐那麒麟の養子になったことから始まっている。それまで彼女がどこでなにをしていたのかはわからない。孤児だったのだろうということは、想像するまでもない。
伊佐那家の養子は、ほとんどが孤児だった。
この央都で幻魔災害が起きるようになったのは、なにもサタンが出現するようになってからではない。
魔法社会と幻魔災害は切り離せないものであり、人類が魔法を使う限り、幻魔の発生を抑制することはできないといわれている。
事実、央都のみならず、ネノクニにおいても幻魔災害は発生していたし、年間多数の死傷者が出ていた。
央都でも、そうだった。
今現在、央都では数日に一度の頻度で幻魔災害が起きているが、かつて――それこそ二十年くらい前までは、一ヶ月に一度起きるか起きないか程度の割合だったといわれている。
そして、それでも被害は出た。
幻魔災害によって親を失った子供もいれば、子を失う親もいる。
それが当たり前の時代。
戦団がどれほど戦力を拡充し、防衛網を敷いたところで、突如として巻き起こる幻魔災害に対しては、被害の拡大を防ぐことしかできないのが現実なのだ。
幻魔災害が発生した瞬間、その周囲にいる人々は、当たり前のように巻き込まれ、傷つき、命を落とす。
幸多の父親がそうであったように。
美由理も、幻魔災害で親を失ったのだろう。
そして、麒麟に出逢い、その養子となり、星央魔導院を卒業、戦団に入った。そこからの彼女の活躍は、今や誰もが知る物語だ。
そんな物語の導入に当たる部分を、カイリは語っている。
幸多が興味を持たずにいられるはずもなかった。
「わたしは、当時既に第一開発室長だったんだが、きみも知っての通り、第一開発室はノルン・システムの全面的な対応を行う部署でね。開発室内には特に見るものはないと、彼女たちのような見学は断っていたんだよ」
カイリは、一枚の幻板の中に幸多の生体情報が詳細かつ克明に記されていく様を見つめながら、記憶を掘り起こすように言葉を紡ぐ。
検査中、暇を持て余すだろう幸多のためでもあったが、カイリ自身、気になっていることでもあった。なぜ、彼女があのような態度を取るのか。
それも、自分に対してのみ、だ。
伊佐那美由理は、決して気難しい人物ではない、ということは、カイリとて知っていることだ。氷の女帝の異名のままに表情を変えることの少ない彼女では有るが、誰に対しても変わらぬ態度で接することで知られていて、その対応の温和さには、戦団に入ったばかりの導士の大半が驚くという。
だが、カイリにだけは、苦い顔をした。心の奥底の嫌悪感を隠しきれていない、そんな様子だった。
美由理が誰に対してもそのような態度を取る人間ならば、納得も行く。あるいは、好き嫌いの激しい人物ならば、理解もする。
しかし、伊佐那美由理とは、そういう人物ではない。
だから、カイリにも疑問しか浮かばないのだ。
弟子の彼にならば、余人にはわからない伊佐那美由理の心の内がわかるのではないか――などというのは、甘い考えなのだろうが。
「だから、わたしは彼女たちを別の開発室に案内しようとした。ただ追い払うより、そのほうが余程利口だろう。なんといっても、彼女たちは将来戦団を背負って立つ人材なのは、疑いようもないのだから」
「確かに……」
幸多は、カイリの説明に頷くしかなかった。脳裏に浮かぶ美由理、イリア、愛の姿は、カイリのそのときの考えが正しかったことを証明するかのようである。
美由理は、戦闘部を代表するほどの魔法士となり、愛は、医務局長として君臨し、イリアは、戦団に革新をもたらす様々な技術を発明している。
三人なくしては、いまの戦団は存在しないのではないか、というのは、決して言い過ぎではない。
「しかし、だ」
カイリは、生体情報が入力され続けている幻板とは別の幻板に目を遣った。そこには、幸多の体に起き続けている変化が映し出されている。
膨大な死と、膨大な新生。
「美由理くんは、わたしの顔を見るなり、なぜか顔面を蒼白にしてね。気分が悪くなった、といって、そそくさと退散してしまったんだよ。日岡博士も妻鹿局長も、そんな彼女を追いかけていってしまった。全くわけがわからないだろう?」
「それは……はい、そうですね」
幸多は、カイリが疑問を持つのも当然だと思ったし、美由理がなぜ、カイリを見るなり退散してしまったのか、その理由が全くもって想像できなかった。
「わたしが彼女と知り合いで、彼女にとって忌み嫌う人間ならまだわかるが……わたしは、戦団に入ってからというもの仕事一筋でね。彼女のような知り合いは一人としていないのだよ」
だから、心底困っている、と、カイリはいった。
カイリが美由理の反応、態度に心の底から困っていることは、彼の言動からも明白だった。嘘をついているようには見えなかったし、そんなことをする理由も思いつかない。
カイリが戦団のため、央都のために力を尽くしてきたことは、彼の立場が証明しているのだ。
「きみは、彼女のただ一人の弟子なわけで……なにか知っていることはないものかと思ったのだが、どうかな?」
カイリは、幸多の検査が終わるのを少しばかり引き延ばしながら、問いかけた。
カイリとしては、美由理との関係が少しでも良化するのならばそれに越したことはなかったし、変わらないのだとしても、理由くらいは知りたかったのだ。




