第三百五十七話 王塚カイリ(二)
王塚カイリという人間について、幸多が知っていることというのはそれほど多くはない。ほとんど知らないといってもいいだろう。
名前は、知っている。
戦団に所属する導士は数多といるが、星光級の導士、即ち、星将ともなれば、限られた人間だけだ。そして、いずれもが名の知られた魔法士である。
当然だが、王塚カイリも有名だ。
技術局第一開発室長として、名を馳せている。
しかし、第一開発室がなにをしているのかについては、外部の人間にとっては不明な点が多く、カイリがどのような人物なのかについても、戦団に入る以前の幸多には知る由もなかった。
第一開発室は、技術局における幻魔の研究や解析を担当する部署だと知られている。
しかし、戦団に入ってみると、どうやら幻魔の研究解析を行っているのは、第一開発室だけでなく技術局全体の話だということがわかったものだから、第一開発室が本当の意味でなにを担当しているのかはわからなかった。
第一開発室がノルン・システムの全面的な整備点検、調整などを担当しており、いわば戦団の屋台骨のような立場にあるということを知ったのは、つい先日のことである。
統合情報管理機構ノルン・システムの存在は、公表されていない。
戦団における最重要機密であり、輝光級以上の導士にしか開示されていない情報なのだ。だから、大半の導士は第一開発室の実態を把握していない。
とはいえ、第一開発室が、どうやら戦団にとって極めて重要な存在であるという事実は、戦団に所属していれば、薄々と感じるところではあるらしいのだが。
それがノルン・システムという、戦団の、いや、央都の根幹に関わるものだということまで探り当てることのできる人間など、いるわけもない。
さて、王塚カイリである。
銀髪碧眼の、素肌が病的なまでに蒼白い男は、見た目には中年から壮年の間といったような年齢に思えるが、この時代、外見から年齢を当てることなど不可能に近くなっている。
この地上に順応するべく発明された生体強化技術である異界環境適応処置は、人体をただ魔界と化した大地で順応させるためだけのものではなかった。
いや、異界に順応するために乗り越えなければならない壁を乗り越えた結果、人間という種そのものを大幅に改良せざるを得なくなったのだ。
人間は、異界に適応した。
そして、旧世代の人類とは比べものにならないほどの生命力を得、若さと健やかさ、生命力と魔力を獲得したのだ。
そのおかげで、地上に満ちた幻魔と戦い続けることができているといってもいいし、人類復興の足がかりとなったことは間違いない。
異界環境適応処置は、ネノクニ統治機構および魔導協会が、地上奪還のため、総力を挙げて研究、開発したものだが、戦団はその技術を更に発展させ、魔導強化法と命名している。
魔導強化法は、第二世代、第三世代と改良改善され、より強力なものとなっているという話だが、それもあって、ますます外見で年齢を判断することは難しくなっているのだった。
誰もが若々しく、健康的で、病気にかかることすら稀なのも、異界環境適応処置や魔導強化法のおかげなのだ。
「きみが皆代幸多導士だね。初めまして、わたしは、王塚カイリ。技術局第一開発室の室長を務めさせてもらっている」
「は、はい、初めまして。皆代幸多です! よろしくお願いします!」
カイリが自己紹介をしてきたのは、検査室内にある個室に場所を移してからのことだ。
幸多は、複雑そうな機械で満たされた空間の中に足を踏み入れたのと、カイリと二人きりになったということもあってとてつもなく緊張していたものだから、挨拶も大声になってしまった。それがカイリには面白かったらしい。
口元を綻ばせるカイリからは、人の良さが伝わってくるようだった。
「よろしく、幸多導士。なにも緊張することはないよ。きみの体の情報を取るだけのことだからね。時間もそれほどかからないし、きみはそこに寝ていてくれればいいんだ。なにもする必要もない」
そういって、カイリは、室内にある寝台を指し示した。
医療棟で使われている機材の大半は、技術局が独自に開発したものであったり、既存の医療機器を技術局の人間が大幅に改良したものばかりだ。
この狭い空間を埋め尽くす機材の数々もそうだ。ほとんど全てが技術局印、戦団印の機材であり、だからこそ、カイリが借り出されたというわけだ。
カイリならば、この場にある全ての機材を使いこなすことも容易だ。
事実、カイリは、幸多が寝台に仰向けに寝るのを待つまでもなく、寝台に備え付けられた端末を操作し始めている。手慣れた手つきは、安心感すら覚えるほどのものだった。
幸多は、寝台に寝転がると、カイリを見た。カイリのことが気になるのは、美由理の反応ばかりが脳裏を過っているからだ。
そんな幸多の反応は、当然、カイリにも伝わっている。
「わたしのことが気になるのかね」
「あ、いや、そういうわけでは……」
「いや、わかるよ。彼女は、きみにとって直属の軍団長というだけでなく、ただ一人の師匠だ。そして、伊佐那美由理は、戦団最高峰の魔法士の一人であり、最高級の星将の一人。そんな彼女に嫌われている人間に検査を受けるのは、誰だって嫌だろうしね」
「で、ですから、そういうつもりは……」
「……ふむ」
カイリは、端末から出力された幻板に映し出された文字列を一瞥して、それから幸多に目を向けた。最新式の生体検査機器に横たわる少年は、無防備に見えて、一切の隙がなかった。少なくとも、いついかなるときであろうとも、どのような問題が生じたとしても対応できるような心構えであるらしい。
カイリほど長年戦団に務めていれば、戦闘部所属の導士の良し悪しくらいは、多少なりとも理解できた。
幸多は、どちらか。
「では、きみは、なにを考えているのかね」
「……師匠があそこまで露骨に態度に出すのなんて、初めて見たんです。それで……気になって……」
「わたしと彼女の間になにかあったのではないか、と?」
「ええと……そういうことではなくて……その……」
なんといえばいいのか、幸多は迷い、言葉を選ぶのに時間がかかった。気になるのは、事実だ。美由理がカイリを目の当たりにした途端に見せた態度は、明らかに嫌悪や忌避といったものであり、敵意すらあったのではないかと思えるほどだ。
幸多の位置からでは、美由理の表情までは見えなかったものの、物凄い形相をしていたのではないかと想像させるくらいには、美由理らしからぬ対応といえた。
美由理は、氷の女帝と呼ばれ、冷徹鉄面皮などとも囁かれるくらいには表情の変化の少ない人物だ。
市民の声援に対しても、手を挙げて応えることはあっても、笑顔を向けるようなことは決してなかった。
幸多自身、美由理の笑顔を見たことなど、ほとんどない。
ただ、それは表情の変化の話であって、言動そのものが凍てついているわけでもなんでもなかった。
訓練中、任務中ならばいざ知らず、平時における美由理の態度というのは、極めて穏当であり、冷たさや刺々しさを感じることはない。
誰にだって、そうだ。
第七軍団の導士だけでなく、他軍団の導士に対しても、他部署の導士に対しても、言葉こそ素っ気ないものかもしれないが、厳しくもなければ強い言葉を使うこともなかった。
それなのに、カイリに対してだけは、普段の美由理からは考えられないようなものがにじみ出していて、それが幸多には衝撃的でさえあった。
美由理にもそういう面があるのか、とも思ったし、それはそうだろう、とも思ったものだ。
美由理も人間なのだ。
好き嫌いがあるのは当たり前であり、他人に好悪の情を抱くのだって、人間ならば当然のことだろう。
全ての他人を受け入れることができるものなど、余程の聖人か、余程他人に興味のない人間くらいのものだ。
師匠のそういった一面が見られたことで、幸多は、より美由理のことを好きになったといってもいい。
それはそれとして、気にはなるものだ。
美由理とカイリの間になにか一悶着があったのではないか。
だとすれば、それは一体なんなのか。
もし、幸多が間に入って解決できるようなことならば、力になりたいとさえ考えてしまう。
幸多には、美由理には健やかにいてほしいという気持ちがあるのだ。それが手前勝手な想いであっても、構わない。なにせ、幸多の師匠だ。幸多を見出し、全ての責任を取るとまで言ってくれた人なのだ。
幸多にとって、美由理ほどの恩人はいないといっても言い過ぎではあるまい。
だからこそ、幸多は、美由理のことばかりを想ってしまう。
しかし、カイリは、困ったような顔をするばかりだった。