第三百五十五話 定期検診
「なんでまた、本部に行かなきゃなんねぇんだ?」
真白が全く以て納得できないという顔をするのも無理はない、と、黒乃は、兄の制御する法機をしっかりと握りしめながら思った。
九十九兄弟は、いま、空を飛んでいる。
央都葦原市の上空。地上二十メートルほどの高度を悠然とした速度で飛行し、市内を南下している最中だった。
眼下には、葦原市の町並みが広がっているのだが、、昨夜の未来河花火大会で起きた大災害の爪痕が様々に見られた。倒壊した建築物が多数あれば、導士と幻魔の魔法合戦によって穿たれたのであろう大穴も散見される。
機械型と呼称される新種の幻魔が、大量に、同時多発的に出現したのだ。
それらの対応には、休暇中の導士すらも動員されなければならないほどだった。
一体一体が強化され、とても獣級幻魔とは思えないほどの火力、防御力、生命力を持っていた。ただでさえ凶悪に改良されているというのに、DEMシステムとやらを駆使することによって、さらなる力を発揮したものだから、導士たちが全力を上げなければならないのも当然だっただろう。
真白たちも、全力を以て幻魔に当たらなければならなかった。
だからこそ、真白は、つい先程、美由理が合宿参加者全員に戦団本部へ向かうようにと言い出したことが不服なのだ。
自分の能力が余りにも物足りないからこそ、もっと合宿で鍛錬を積み、研鑽を重ね、より強く、より優れた魔法士になるのだ――そう、息巻いていた矢先のことだった。
真白が水を差された気分になるのも、仕方のないことだ。
とはいえ、必要なことなのだろう、とも、黒乃は考える。でなければ、美由理が合宿の予定を変えてまで戦団本部に向かわせる理由がない。
「生体検査だって」
「生体検査? なんだそりゃ」
真白が頓狂な声を上げたのは、戦団に入ってからというもの、聞いたこともない言葉だったからだ。
「生体検査は、戦団の導士が定期的に受けることになる全身の検査で、まあいわゆる定期検診みたいなものだよ」
九十九兄弟のやり取りを見かねたのか、義一が法機を寄せて、二人に説明した。義一の法機の後部には、幸多が跨がっている。
「入団当初に説明されたはずだけどね」
「そんな昔のこと、忘れちまったよ」
「四ヶ月前だけど」
「この四ヶ月でどんだけのことがあったってんだよ」
「それは……」
黒乃は、真白に凄まれて、口籠もった。確かに兄の言うとおりではある。
黒乃の言葉通り、二人が入団してからというもの、既に四ヶ月が経過している。それは戦団での生活が始まったというだけではない。外界での生活が始まるという彼らの人生における極めて大きな転機であり、激変そのものといってもいい。
九月機関が世界の全てだった九十九兄弟にとっては、目に映る全てが目新しく、刺激的で、興味深いものばかりだった。
それこそ、昨夜、百瀬姉妹が目を煌めかせて町並みを見て回り、花火を見て騒ぎ立てたのと同じような感覚が、九十九兄弟にもあったものだ。
戦団での生活に慣れることに悪戦苦闘しなければならなかったし、人間関係にも苦慮したものだ。任務では、それなりに成果を上げてきたとは思うのだが、結局、この四ヶ月で一度だって昇級の機会が訪れることはなかった。
そして、いくつかの大事件に直面してもいる。
対抗戦決勝大会、虚空事変、そして昨夜の花火大会。
真白が生体検査について受けた説明をど忘れするのも、当たり前なのかもしれない。
「戦団は、福利厚生の行き届いた組織であることを自負し、標榜しているからね。導士の心身の状態を常に管理し続けるのも、導士がその管理を受け入れるのも、戦団の大切な仕事なんだよ」
「なるほど」
「だから、定期検診も必要だってことですね」
「そういうこと」
とはいえ、と、義一は、先頭を進む美由理の後ろ姿を見遣った。
美由理は、この夏合宿を計画した際、日頃の戦団の活動の邪魔にならないように徹底的に調整していた。あらゆる部署、軍団と連携し、綿密に予定表を組んでいたのだ。
今回の生体検査は、予定外のことであり、そのことが美由理にはどうにも気に食わないらしい。
しかしながら、歴戦の導士である美由理が、そういった突然の予定変更に対し、なんらかの感情表現をするわけもなく、彼女は朝から普段通り、氷の女帝の異名のままに振る舞っていた。
それはつまり、感情を押し殺しているということではないのか、などと、義一は邪推したりもするが、そんなことで美由理の本心を知れるわけもない。
やがて、一行の前方に戦団本部の建物群が見えてきた。本部棟を中心とする、いくつもの建造物の群れ。特に兵舎の数が多いことが遠目にもよくわかる。
戦団本部そのものは、昨夜の幻魔災害の被害に遭っていなかった。
未来河のすぐ側に立っているというのに、だ。
しかし、それはそうだろう、と、誰もが理解している。
戦団本部は、戦団という組織の根幹というだけではなく、この央都の秩序の根本であり、人類生存圏の中枢そのものである。
戦団本部が損害を受けるということは、それだけで、人類にとって大きな損失に繋がるということであり、故にこそ、戦団は、本部防衛になによりも大きな力を割く。
事実、昨夜、戦団本部には星将新野辺九乃一が待機しており、付近に出現した機械型幻魔を斃し続けることによって、本部への攻撃を一切許さなかったという。
それほどまでに重要視される戦団本部ではあるが、市民がある程度自由に出入りできるように解放されていたり、小中学生が社会見学に訪れる場所としても利用されているのは、市民との関係性を良好なものにしておきたいという考えが戦団運営の根底にあるからであるからだ。
昔、幸多は、そんな話を聞いた。
そして、実際に戦団の一員となって、戦団が市民との良好な関係を構築するために尽力
《じんりょく》している現場を目の当たりにすると、噂話もあながち間違ってはいないのだと思ったりしたものだった。
戦団本部の中心に聳え立つ本部棟は、どことなく威圧的な外観をしている、といわれる。権威的であり、戦団の権力を見せつけているのではないか、と囁かれることもしばしばだ。
しかしながら、葦原市の建築基準を満たした建物の高さは、市内の高層建築物と比べても低い方であり、必ずしも威圧感を与えるために建築されたわけではないこともまた、明らかだ。
少なくとも、幸多はそう想っている。
そんなことを考えている間にも、幸多を乗せた義一の法機は、広々とした駐車場に降り立った。
幸多が真っ先に見上げるのは、本部棟の三階建ての建物だ。いつ見ても立派で、正面に掲げられた戦団の紋章が輝いているように見える。
戦団は、星を意匠に取り入れることが多い。星印がそうであるように。法機の名称として流星や迅星などと付けられるように。星光級、星将という名称も、星に関連している。
星は、戦団にとって特別な意味を持つものであるらしい。
故に、戦団の紋章もまた、星を中心としたものであり、その輝かしい紋章にこそ、導士たちは誇りを持つのだ。
紋章は、導衣や法機、転身機に刻まれているため、導士ならばいつも目にするものでもある。
幸多の闘衣にも、しっかりと戦団の紋章が刻印されている。
そんな戦団の紋象が目立つ本部棟だが、幸多たちが今から向かうのは、そこではない。
美由理は医療棟へと足を向けていて、幸多たち七人の導士も彼女の後に続いた。
「そりゃそうか。生体検査だもんな」
真白が一人納得したようにつぶやけば、黒乃が小さくうなずいた。相変わらず、黒乃は真白のすぐ後ろにくっつくように歩いている。
二人の仲の良さには、幸多はいつも微笑ましくなるのだ。
仲が良い兄弟を見るのは、心地がいい。
統魔との関係を思い出すからかもしれない。
仲が良い兄弟といえば、仲が良い姉妹もいる。
金田姉妹は、義一を左右から挟み込むようにしていて、彼を困らせていた。しかし、義一は誰にも助けを求めることが出来ず、途方に暮れているといった有り様だ。
そんな三人の様子を見てにやにやしているのが菖蒲坂隆司だ。
「なんだか楽しそうだね?」
「あの俊英がたじたじなんだぜ、面白いったらないだろ」
隆司は、義一が金田姉妹の熱量に押し負けている様を見る度に、彼もまたただの人間であることを実感するような気がしているのだ。
義一が金田姉妹も完璧にあしらうことが出来ていたら、隆司は自分という存在に虚しさすら覚えていたかもしれない。
それほどまでに伊佐那義一の魔法士としての完成度は、高い。