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第三百五十三話 祭りの後(二)

 幻魔げんまは、その生態として、魔素まそ密度の高いものから襲いかかる習性を持っている。

 幻魔が好むのは、高密度の魔素であり、だからこそ、数多雑多に存在する動植物よりも魔法士まほうしたる人間を襲い、殺戮さつりくするのだと考えられているのだ。それは即ち、幻魔たちが、魔法士が死ぬことによって莫大な魔力を生み出すことを理解している、ということでもある。

 人間の死とともに発散される大量の魔力を喰らうことこそ、幻魔にとって最高の食事なのだ。

 だから、幻魔は、より高密度の魔素たる魔力を練成しているはずの、戦闘中の導士の前から離れようとはしないはずだ。そんなことは、本来、ありえないことなのだ。

 幻魔が逃走することが考えられないのも、それが理由だ。

 幻魔は、目の前の魔素質量えさを見逃せない習性があり、だからこそ、戦団の導士との戦いでどれだけ劣勢になろうとも逃げ出さず、最後まで戦い続けるのだ。

 それが幻魔という生物の生態であり、習性である。

 最近、幸多こうたは、そうした幻魔の習性を無視するような幻魔ばかり見てきた気がするが、しかし、大半の幻魔は古くから定義されてきた生態通りの活動をしていることもまた、事実だった。

 それ故、アーヴァンクの一体が地下へ潜り始めたのを確認した幸多は、すぐに追いかけた。

 そして、アーヴァンクの避難所への急襲を防ぐことが出来たのだが、それは幸運以外の何物でもなかった。

 一瞬でも判断が遅れていれば、大惨事になっていたことはいうまでもない。

 アーヴァンクによってどれだけの命が奪われたのか、想像すらしたくなかった。

 圭悟けいごたちだけでなく、あの場に逃げ込んでいた市民の誰もが命を落としていた可能性がある。

「……本当に怖かったよ」

 愛理あいりが、幸多の左腕にしがみつきながら、いった。彼女が幻魔を前に心底恐怖していたことは、幸多もわかっている。だから幸多もその場に屈み込んで、彼女と目線を合わせるのだ。

「もう、だいじょうぶ」

 それがどれだけ事実であっても、植え付けられた幻魔の恐怖を拭い去るなど、簡単にできることではない。そのことは、幸多自身が身を以て理解している。

 心に焼き付いた恐怖を燃えたぎる怒りに変えなければ、意識を塗り潰した絶望を沸き立つ憎悪に変えなければ、立ち直ることなどできなかったのではないか。

 幸多の中にそういう認識があるから、愛理の心が受けたであろう傷の深さ、恐怖の重さも理解できるのだ。

 愛理だけではない。

 あの避難所にいた誰もが、地上で逃げ惑っていたとき以上の恐怖を感じたに違いなかった。

 避難所は、誰もが安心できる楽園にも等しい場所であるはずだ。

 避難所に逃げ込めば、しばらくして避難警報が解除される。地上に出現した幻魔を戦団の導士が速やかに退治してくれるからだ。市民は、避難所で少しの間、時間を潰すだけでいい。

 それだけで、なにもかも全てが上手くいくはずだった。

 なのに、そこへ突如として幻魔が乗り込んできたのだ。

 避難所に逃げ場はなかった。

 絶対的な死が、具体的な形となって、そこに現れた。

 絶望したとしてもおかしくないくらいの状況だったはずだ。

 運良く間に合ったからよかったものの、もし一歩でも遅れていたら、と思うと、言葉を失ってしまう。

 避難者の誰もが幸多を賞賛してくれるのだが、そうした言葉の数々を素直に受け取れないのは、彼らがとてつもない窮地きゅうちにいたという事実があるからだ。

 喜んでなど、いられない。

「お兄ちゃん……」

 愛理は、幸多の目を見つめ、その真っ直ぐな眼差しにこの上ない安堵感を覚えた。ただ見つめ合っているというだけなのにも関わらずだ。やはり、幸多が愛理にとっての魔法使いだからだろう。

 幸多ほど、愛理に安心感を与えてくれる存在はいない。

 両親は、愛理に多大な愛情を注いでくれているし、とても大切にしてくれていることはわかる。魔法の技量も相当なものだったし、魔法士として一家言があるくらいの腕前の持ち主だ。しかし、一般市民に過ぎない。幻魔を目の当たりにしてなにができるのか。なにかできることの一つや二つあるかもしれないが、歴戦の猛者ではないのだ。

 戦団の導士ではないのだ。

 一般市民に戦士としての能力、対応を求める方が間違っている。

 もっとも、愛理にそこまでの考えはなく、彼女はただ、幸多が自分にとっての最高の魔法使いだと想っている存在だからこそ、これほどまでの安心感を覚えているのだが。

「なんだか本当の兄妹みたいだね」

 らんは、愛理に向ける幸多の慈しみに満ちた眼差しにこそ、彼の本質を見た気がして、そんな感想をささやいた。愛理が幸多をお兄ちゃんと呼んでいるからということもあるが。

 しかし、

「そう?」

「え?」

 真弥まやの疑問には、蘭こそ、疑問符を浮かべるしかなく、生返事になったのも仕方のないことだった。

「わたしには、そうは見えないかなあ」

「真弥ちゃんの言うとおりですわ」

 紗江子さえこもなぜか真弥に同意するものだから、蘭はますます混乱する。

 そんな三人のやり取りを横目に見て、圭悟は軽く肩をすくめた。

 幸多が立ち上がる様に愛理が名残惜しそうな目線を向ける様を見れば、彼女が彼にどれほどの想いを持っているのかは、想像に難くない。もっとも、そんな機微が蘭にわかるとは、圭吾には思えなかったが。

「なあ、皆代みなしろ

「ん?」

「戦団の導士様がこんなところで油を売ってていいのかよ?」

「状況が終わったからね。そしてぼくはそもそも非番なんだよ」

「だから、もう自由ってことか?」

「……そういうわけでも、ないんだけど」

「どっちなんだよ」

 圭悟は、煮え切らないとしかいいようのない幸多の返答に肩をこかしかけた。

「あー……とりあえず、もういいらしい」

「どういうこったよ」

 圭悟たちが混乱するのは、幸多の脳内に響く声の数々が全く聞こえていないからにほかならないのだが、幸多が部外者にそのことを説明するわけにもいかなかいため、なんともいえない対応になってしまうのだ。

 それも困った話だ、とは想いつつも、ヴェルザンディとの脳内通信はある意味では楽だと、幸多は想う。言葉には出さずとも、強く念じるだけで伝わるのだから、圭悟たちに聞かれてはならないような会話もできてしまう。

 もっとも、思わず口にしてしまいそうになることもあれば、ヴェルザンディに余計なことまで聞かれてしまう可能性も大いにあるのだが。

 そのことでヴェルザンディになにか言われたこともないため、ヴェルザンディは聞いていない振りをしてくれているのではないか、と思ったりしないではなかった。

「よし」

 幸多は、ヴェルザンディとの脳内通信を終えるなり、転身機てんしんきを作動させた。転身機が発する光が全身を包み込み、つぎの瞬間には、幸多が身につけているものが闘衣とういから私服へと変わる。

 それによって、彼が戦士から市民へと変わったことを示すわけではないということは、圭悟は、よく理解していた。

 彼は、いつだって戦士だ。

 戦士でなければならない。

 先程が、そうだった。

 幻魔災害が発生した瞬間、彼は転身機を起動し、闘衣を身につけ、飛び出した。いままた幻魔災害が発生すれば、そのように行動するのだろう。

 彼は、戦士だ。

 その事実が、転身機の閃光以上に強烈に圭悟のまぶたに刺さるようだった。。

「いつ見ても便利そうだな、それ」

「とっても便利だよ、転身機。これのおかげで、いつでも戦いに行けるからね」

 圭悟の軽口に対し、幸多はそのように応えた。実際、先程も転身機があればこそ、瞬時に対応できたのだ。転身機の発明は、戦団の活動の幅を大いに広げ、央都守護をより強固なものとしたのは紛れもない事実だろう。

 そしてその発明者である日岡イリアが、戦団内部で強い発言力を持っているのは、ある意味では必然といえた。無論、イリアの発明は、転身機だけではない。イリアの存在によって技術革新が起こったとさえ言われているほどだ。

 だからこそ、イリアは、窮極幻想計画きゅうきょくげんそうけいかくを承認され、そのための第四開発室を立ち上げることができたのだ。

 そんなことを想うのは、今回投入された新兵器が幸多の助力となったからだが。

「たまには、休んでもらいたいけどな」

「休んでるよ。今日だって」

 幸多は、圭悟の気遣きづかいに感謝しながら、笑いかけた。愛理が握ってきた手を握り返しつつ、未来河みらいがわ見遣みやる。

 央都の未来が栄光に満ちていることを願ってそう名付けられた大河は、花火大会があったことや、幻魔災害が起きたことなど、全く知らぬ顔で、普段通りに流れている。

 夜の水面に瞬くのは、上天の星々であり、月であり、それらの輝きが無数に揺らめく様は、先程までの混沌ぶりを忘れさせるかのようだ。

「ぼくは楽しかったよ」

 幸多は、圭悟たちに伝えたい言葉を考えながら、いった。

 もっとたくさん、彼らに感謝したかった。

 圭悟たちがいるからこそ、このような気持ちが生まれるのだ、という実感があった。

 だから、というわけではないが、皆が無事で本当に良かった、と、幸多は心の底から思うのだった。


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