第三百五十二話 祭りの後(一)
葦原市民のみならず、央都市民の誰もが心より楽しみにしていた未来河花火大会は、同時多発的に起きた大規模幻魔災害によって惨憺たる結果として終わった。
次々と打ち上がる花火を満喫していた人々の心は、幻魔災害がもたらす被害の大きさと圧倒的な恐怖によって塗り替えられ、この世の現実というものを思い知ったかのようだった。
誰もが、そうだ。
直接的な被害に遭った人々、その家族は無論のこと、難を逃れた市民だって、幻魔災害という絶望的な現実を思い出したのだ。
未来河近辺で出現した無数の幻魔は、ただそれだけで会場に集まった人々を恐怖させ、大混乱を巻き起こしている。
戦う力を持たない一般市民からしてみれば、幻魔の存在は恐怖の象徴でしかなかったし、具体的な破滅でしかないのだ。
目の当たりにすれば、恐怖し、悲鳴を上げ、逃げ回るしかない。
幸い、央都四市は計画的に開発された、幻魔災害対策都市である。
避難所は無数に用意されていて、何処からでも避難所に向かうことが出来た。地下に隔離された避難所ならば、幻魔が入り込んでくる可能性は限りなく低く、故に逃げ込んだ市民の誰もが安心して、幻魔災害が鎮圧されるのを待っているだけで良かった――のだが。
圭悟は、ようやく落ち着きを取り戻し始めた自身の心臓の音を聞きながら、幻災隊の活動を眺めていた。
市内各所、特に未来河花火大会の打ち上げ場近辺に数多く現出した幻魔は、戦団の導士たちとの激闘の末、全て撃滅されている。当然の結果ではあったし、そうでなければ避難警報が解除され、避難所から出ることなど許されないのだが。
圭悟たちが非難警報が解除されてすぐに地上に上がると、目の前の河川敷にアーヴァンクの死骸が散乱していた。
それら幻魔の死骸に関連する作業を一任されているのが、戦団戦務局幻魔災害特殊対応部隊――通称、幻災隊である。
戦闘部とは、その名の通り、まさに幻魔との戦闘に特化した部署であり、幻魔と戦い、打倒することにこそその存在意義がある。斃した後のことは、知ったことではないのだ。
もちろん、戦後の処理までも戦闘部の導士が行うこととなれば多忙極まらざるを得ず、負担も限りなく増えていくからである。
戦団は、役割に応じて部署を細分化する傾向にあった。そうすることによって、それぞれの部署の負担を軽減し合おうという意図があるらしい。
幻災隊が誕生したのも、戦闘部の導士の負担を少しでも減らし、幻魔討伐に専念させたいという思いからだろう。
圭悟が、幻災隊の導士たちの活動を眺めているのは、そうすることによって幻魔災害が終わったのだと確信できるからであり、それによって心の安息を得られるからにほかならない。
幻魔が死に、災害が終わった。
未来川付近に吹き荒れた大災害。
残ったのは、魔法合戦の末に荒れ果てた大地であり、倒壊した建物群であり、巨大な爪痕だ。
これほどまでの幻魔災害に遭遇したことは、しかし、残念ながら、ない、とは言い切れないのが圭悟だった。つい先日、虚空事変があり、天輪スキャンダルが起きたばかりだ。
大きな幻魔災害に遭遇してばかりいる。
「せっかくの花火大会なのに、なんていうか……残念だったね」
幸多が、圭悟たちの元に戻ってくるなり、無念そうな顔をした。闘衣だけの格好に戻った彼が幻災隊の導士に引き渡してきたのは、もちろん、彼が討伐したアーヴァンクの死骸である。
一部が機械化した異形の獣級幻魔は、幸多が先程まで装備していた銃で撃ち殺したのだ。
幸多が、そのアーヴァンクが地下を掘り進む様子を見逃さなかったからこそ、圭悟たちは無事に地上の空気を吸えているのだという事実には、背筋が凍るような気分になる。
しかも幸多は、別の場所でガルムと戦っていたということであり、そちらの戦いが長引いたがためにああいう結果になったのだともいっていた。そして、そのことを謝罪してくるものだから、圭悟たちはなにをいうのかと混乱した。
幸多は、やれる限りのことをやっただけだ。そのことで幸多を責める人間がどこにいよう。
それになにより、圭悟たちは無事なのだ。あの避難所にいた誰一人として、怪我ひとつしていない。
幸多は、間に合った。
それで十分ではないか、と圭悟は想うのだが。
「けど、まあ、無事だったんだから、なにもいうこたあねえよ。それもこれもおまえのおかげだ。ありがとな、皆代」
圭悟は、幸多の肩に手を置いて、感謝の意を示した。何度感謝してもしたりないというのが、圭悟の本音だった。
圭悟たちは、アーヴァンクによって殺される寸前まで追い詰められていたのだ。そこへ颯爽と現れたのが幸多であり、彼が一瞬でアーヴァンクを打ちのめしたというのは、まさにヒーロー的な大活躍というべきものだった。
圭悟たちと同じ避難所にいた市民の誰もが幸多を褒め称え、賞賛し、握手やサインを求めた。それも無理のない話であり、当然といっても過言ではなかっただろう。
地上に出るまでの間、幸多の話で持ちきりだったのも仕方のないことだった。
幸多が苦笑気味になるのもわからないではなかったが。
「間に合って良かったよ、本当に」
幸多は、圭悟の言葉に込められた想いを受け止めて、その無事な姿を改めて見て、頷いた。
幸多がこの河川敷に至ったのは、機械型のガルムを撃破した直後のことだ。
圭悟たちが心配だったというよりは、近場の幻魔災害発生地点に赴いたというほうが正しい。
実際、圭悟たちのことは心配しようがなかった。なぜならば、圭悟たちは避難所に逃げ込んでいるはずであり、もしそうでないのならば、なんらかの手段で幸多に助けを求めてくるはずだった。
だが、そんなことはなかった。
だからこそ、幸多は、ある意味では安心して、地上の幻魔討伐に専念できたのだが。
そうして、アーヴァンクの群れと戦っている導士たちを発見した幸多は、速やかにその小隊の指揮下に入った。
戦団の最小戦闘単位が、小隊である。
通常、導士は単独では行動しない。
央都防衛構想の抜本的な見直しにより、休暇中の導士であっても、幻魔災害に直面した場合には出来る限り対応しなければならなくなった。余程手が離せない事情があったり、心身が戦えるような状態ならばともかく、だ。
幻魔災害が頻発するようになった原因が判明し、〈七悪〉と呼ばれる鬼級幻魔の勢力が暗躍しているという事実を知った以上、戦団も手を拱いている場合ではなかった。
央都守護は、戦団の存在意義の一つだ。戦団は、央都市民の平穏と安寧に満ちた日常を約束しなければならず、そのためにこそ全力を上げなければならない。
幻魔災害が発生する事自体を防ぐ手立てはないが、発生してしまった幻魔が被害を撒き散らす前に討伐することは不可能ではない。
それは、戦団のこれまでの活動と実績が証明している。
故に、戦団は、これまで以上に全力を上げて央都守護を担うべく、非番の導士さえも動員することとしたのである。
その際、非番の導士は、ほとんどの場合、小隊で動くことはできない。休暇まで小隊で行動することなどまずありえないのだから、当然だろう。
導士の単独戦闘は避けるべきだ、というのが、戦団の基本的な考えである。
故に、幻魔災害に直面した導士は、現場に急行し、小隊が到着次第、その指揮下に入るということになったのだ。
幸多は、小隊の指揮下に入るなり、アーヴァンクとの戦いに突入したのだが、その戦いの最中、一体のアーヴァンクが姿を消したことに気づいた。
そして、追跡した結果が、これである。
まさか、幻魔が目の前の魔法士を放置して別の場所に向かうなど、到底考えられないことであり、目を疑ったものだ。