第三百五十一話 新兵器(九)
避難所に侵入してきた下位獣級幻魔アーヴァンクは、あっさりと討伐された。
あっさり、というのは、その瞬間を目の当たりにしていなかったからだったし、実際、そうとしか思えなかったからだ。
が、事実として、アーヴァンクを討伐した導士が苦戦した形跡はなかった。
なぜならば、アーヴァンクは、圭吾たちに向けて放った超高圧水流を大型の盾で防がれると、その直後に絶命したからだ。
そして、大型の盾を展開したのも、アーヴァンクを打ち倒したのも、圭悟たちがよく知る人物だった。
「皆代!」
圭悟が彼の名を叫んだのは、自分が生きていることに気づき、大型の盾の横から覗き込むようにして前方を見遣った瞬間だった。
アーヴァンクを見下ろす幸多の姿は、いつもの戦闘時の格好ではなかった。闘衣と呼ばれる防具だけでなく、なにやら分厚い装甲のようなものを右半身に身につけている。金属質のそれが複雑な機械の塊だということは、なんとはなしに想像がついた。
そして、彼が抱えている機械に注目する。巨大な銃器のようなそれが、アーヴァンクを斃した武器であることは想像できる。右腕で抱え込み、左手で支えるようにしたそれは、もはや過去の遺物と成り果てた重火器を現代の最新技術で作り上げたものなのだろうか。
いや、そうに違いない。
でなければ、獣級幻魔とはいえ、幻魔に通用するはずもなかった。
そして、最新技術で作られた兵器といえば、圭吾を守った盾もそうに違いなかった。
身の丈を優に越す大型の盾は、盾というよりも壁といったほうが正しいのではないかと思えるほどだ。おそらく魔法金属の塊なのだろうし、だからこそ超高圧水流を防いだのだろうが、それにしても巨大すぎて威圧感すら覚えた。
そんなものが突如として出現したのは、紛れもなく幸多のおかげだろう。
「圭悟くん?」
幸多は、驚きを以て圭悟を見た。声を聞いた瞬間にはまさかとは思ったが、目を遣れば、彼であることが確信できる。相変わらずの赤毛に厳つい顔立ちは、見間違えようがなかった。
圭吾は、大盾にもたれかかるようにして、幸多を見ていた。
「助かったぜ……」
「お兄ちゃーん!」
「皆代くん!」
圭悟が冷や汗を拭いながら幸多に歩み寄ろうとすると、愛理と真弥が横を駆け抜けていった。それどころか、周囲で歓声が上がったものだから、圭悟の出る幕ではなくなってしまう。
「おおっ、皆代幸多だ!」
「幸多様!」
「うおおおっ」
幸多は、愛理が抱きついてくるのを止めなかったし、真弥と紗江子、蘭、圭悟たちの無事な様子を見て、安堵するほかない。
まさか、アーヴァンクが向かった先が避難所であり、しかもそこに圭悟たちがいようなどとは思ってもいないことだった。
友人たちが河川敷付近のいずれかの避難所に逃げ込んだはずだということは想像していたし、信じていたのだが、そこが戦場になるなどとは想定外どころの話ではない。
まず、アーヴァンクの行動が、幻魔の常識を覆すものだった。
幻魔が目の前の魔法士を放置して行動するなど考えられない。ましてや、相手は戦団の導士たちだったのだ。避難所に逃げ込んだ一般市民よりも余程高密度の魔素質量の持ち主たちである。幻魔が殺そうとするのであれば、真っ先に対象となるのが戦闘部の導士たちであるはずだった。
だからこそ、避難所の安全性が確保されているといっても過言ではない。
逃げ惑う市民よりも、立ち向かってくる魔法士のほうに牙を剥くのが、幻魔の習性というものだからだ。
しかし、アーヴァンクは、幻魔の習性を無視するようにして、地下へ、避難所へと至った。
幸多は、その瞬間を目の当たりにしたものだから、すぐさま後を追ったのだ。そして、イリアから教わったばかりの召喚言語を発し、二十二式展開型大盾・防塞をアーヴァンクの射線上に呼び出している。それによってアーヴァンクの攻撃を防ぎつつ、アーヴァンクを頭上から射撃、討伐した。
咄嗟の判断が一切間違っていなかったことに安心しつつも、幻魔の行動原理がわからず、幸多は、愛理の頭を撫でてやりながら、考え込むのだ。
アーヴァンクはなにを考え、この避難所に攻め込んだのか。
機械型に改良された幻魔とはいえ、幻魔は幻魔だ。その習性に大きな変化があるのだとすれば、他の幻魔も同様の行動を取ったはずだ。
しかし、避難所へと乗り込んだのは、いま幸多が討伐したアーヴァンク一体のみである。
その事実は、幸多のみならず、戦団全体が抱える問題となるに違いなかった。
「怖かったよお」
「もう、大丈夫。なんの心配も要らないよ」
幸多は、その場に屈み込むと、愛理の涙を拭ってやった。
彼女が恐怖するのも無理はない。
幸多の到着が一瞬でも遅れていれば、アーヴァンクの攻撃が愛理たちを巻き込み、重傷を負わせたのは疑いようのない事実だからだ。
それどころか。
幸多は、圭悟に目を向けた。
「本当に間に合って良かった」
「おう、助かったぜ」
盾にもたれかかったまま、何事もなかったかのように笑いかけてきた友人に、幸多もまた、笑い返した。内心、彼がどれほどの恐怖を感じたのか、幸多には想像もつかない。
しかし、そんなやり取りをしている場合ではなかった。
幸多の周囲は、この避難所にいる避難者たちで充ち満ちていて、それぞれが口々に幸多に感謝を述べたり、話しかけてくるものだから、その対応に追われなければならなかった。
そうするくらいの時間的猶予が生まれていた、というのもある。
いま幸多が討伐したアーヴァンクが、この付近に出現していた幻魔の最後の一体だったのだ。
「状況、終了」
美由理は、氷漬けになったまま絶命したガルムの巨躯を見据えながら、告げた。
葦原市中央公園の真っ只中、美由理を取り囲むのは無数の氷像であり、それらは全て、機械型と呼ばれる新種の幻魔の成れの果てである。
二十体余りの機械型幻魔。
その全てが下位獣級幻魔だが、とても獣級下位とは思えないような力を持っていたのも事実だ。
『お疲れ様です! さすがは美由理様や!』
情報官・木村果奈子の楽観的としか言いようのない声を聞きながら、美由理は、頭上を仰ぎ見る。
夏の夜空には、膨大な数の星々が瞬いていて、巨大な月がその存在を思い知らせるように輝きを放っている。地上の騒動など素知らぬ顔であり、どうでもいいとでもいわんばかりだ。
実際、月や星にはどうでもいいことに違いないが。
地上の騒動は、収まりつつあるようだ。
少なくとも、新たな機械型幻魔が現出したという報告はなく、順調に討伐されているということも、いわれるまでもなくわかっていた。
たとえ改造されていて力が増大していようと、獣級は獣級、下位は下位。
美由理たちの相手にはならなかったし、雑兵でしかなかった。
だが、だからといって油断はしないし、余裕があるわけでもない。
戦団は常に人手不足であり、戦力不足だ。
この地上から幻魔を根絶やしにするには、あまりにも戦力が足りなさすぎる。
しかも、〈七悪〉という存在がある。
彼らがなにを考え、なにを企み、なんのために〈七悪〉に相応しい幻魔を揃えようとしているのか、皆目見当もつかない。
人類を滅ぼす、と、彼らは言った。
だが、そんなことは、現状の戦力でも不可能ではないのではないか、と、戦団最高会議の誰もが疑問に思ったものだ。
サタン率いる六体の鬼級幻魔たち。
それらが一斉に暴れ回れば、それだけで央都は終わる。
人類は滅亡を余儀なくされ、地球は幻魔の世界に成り果てる。
では、なぜ、サタンたち〈七悪〉は、即座に行動を起こさないのか。
獣級幻魔に改造を施し、機械化し、強化し、その上で送り込んできたことになんの意味があるというのか。
それも〈七悪〉級の幻魔を生み出すためなのか。
疑問は尽きない。
が、機械型は、尽きたようだ。
『全目標の殲滅を確認しました!』
情報官の声が、喜びに満ちていて、美由理も胸を撫で下ろした。
葦原市花火大会を台無しにする大規模幻魔災害は、こうして幕を下ろした。