第三百五十話 新兵器(八)
蘭の携帯端末が出力している幻板は、五枚。
そのいすれもが、市内各所の監視カメラの映像を流している。
蘭は、監視カメラが空振りに終わるとすぐさま別の視点に切り替えていった。
「どうやってんだ?」
「ちょちょいって」
「うーん」
蘭が極めて気軽にいってくるものだから、圭悟は唸るよりほかはない。携帯端末を操作するだけで監視カメラに割り込み、その映像を取り込むことなどできるのだろうか。
とてもではないが、人間業とは思えない。
圭吾は、彼が天燎高校一の情報通である事実の一端を垣間見た気がした。
「こんなことして平気なのかな……?」
「平気じゃないよ……」
「感心しませんわ……」
愛理も真弥も紗江子も、どうしたものかと顔をしかめる。
蘭のしていることは立派な犯罪行為ではないか、と、思ってしまうのだ。
もし、この映像を避難所内にいるほかの人達が見たらどうなるか。
大騒ぎになって、蘭が警察部に突き出されるような事態に発展してしまうのではないか。真弥たちはそんな心配ばかりをしてしまう。
しかし、幻板に次々と流れていく地上の様子から目が離せないのもまた、事実だ。
葦原市内各所で幻魔との戦闘が起きていることが、それらの映像からもはっきりとわかるのだが、それくらいは報道内容からも想像できた範囲内のことだ。
監視カメラが時折捉える幻魔の姿形は、避難者の語っていた内容と合致している。
どこか機械と融合したような姿形。新種の幻魔といっても過言ではないような外見であり、強大な力を持っているようだということは、それらが発動する魔法の規模からも想像がつく。
そして、ついに監視カメラの映像が、幸多の姿を捉えた。
「いま……!」
「お兄ちゃん……!」
「一瞬だったけど、確かに皆代くんだったね」
「御無事なようでなによりです」
蘭のやっていることはとても褒められたことではないが、しかし、幸多の姿を見ることができたという一点だけは、褒めてもいいのではないか、などと思うのは身勝手極まりないのだろうが。
とはいえ、真弥たちが、幸多のことが心配だったのだから仕方がない。
「ふう……」
圭悟は、愛理たちが幻板を食い入るように見ている様を見て、それから周囲を見回した。避難所内には、百人以上の避難者がいて、それぞれが小さな集団を作って話し込んでいる。
誰も、圭悟たちの会話に耳をそばだてている様子はない。
少しばかり安堵した圭悟は、幻板に視線を戻した。
幻板は、次々と、別の視点を映していく。
「皆代を追えないのか?」
「強引に割り込んでるからね。そう上手くはいかないんだよ」
蘭は、端末と格闘しながら、いった。
幻板に映し出される地上の様子の大半が、普段よりも余程静かな夜の町並みといったものだが、時折、激戦区が映し出された。
機械と融合したような幻魔が、そうした戦場のいずれでも暴れ回っていて、導士たちと激闘を繰り広げているのだ。
まさに魔法合戦という有り様であり、圭悟は、央都ももはや安全などではないのではないか、と思わずにはいられなかった。
そもそも、この地上に安全な場所など、どこにもないのかもしれない。
地上は、幻魔の世界だ。
魔天創世以来、それこそが揺るぎようのない不文律であり、絶対の起きてなのだ。その真っ只中に強引に割り込み、わずかばかりの土地を確保したのが戦団であり、人類なのだ。
そして、その土地の拡大し続けることによって人類復興を成し遂げようとしているのだが、それが途方もなく遠大な道だというのはいうまでもない。
ましてや、地上に満ちた幻魔を滅ぼし尽くすなど、とてもではないが現実離れしすぎている。
「これは……」
不意に蘭が顔を強張らせたので、圭悟は彼が見ている幻板を覗き込んだ。相も変わらぬ監視カメラの映像は、未来河の河川敷を捉えている。
少し前までは花火大会の見物客で充ち満ちていた場所は、いまや閑散としていた。ただの市民の影は、どこにも見当たらない。
いるのは、数体の幻魔と、対峙する導士たちだけだ。
幻魔は、川獺のような外見をしていることから、下位獣級幻魔アーヴァンクだということがわかる。ただし、ただのアーヴァンクではない。機械的な装甲を纏ったその姿は、極めて禍々しい。
しかし、蘭が思わず緊張した表情になったのは、幻魔を見たからではなかった。
幻魔の居場所に見覚えがあったからだ。
「このすぐ近くだな」
圭悟も、蘭の言いたいことを理解して、頭上を仰ぎ見た。天井照明の柔らかな光が、どうにも緊張感を削ぐようだった。
圭悟たちが利用している避難所は、未来河の河川敷沿いにある複数の避難所の一つであり、機械仕掛けの川獺のような姿をした幻魔がその出入り口付近で戦っていたのだ。
そう、戦っている。
上空から降り注いだ雷撃が、アーヴァンクの群れを打ち据え、吹き飛ばしたかと思うと、猛烈な突風がそのうちの三体を河川敷に叩きつけた。
二体が逃れ、空中で身を翻して着地する。そして、アーヴァンクの装甲が展開すると、そこから超高圧の水流が噴き出した。周囲の地面が抉れるほどの水圧が、画面外の導士に襲いかかったようだ。
圭悟たちは、息を呑んで見守るしかない。
そのときだ。
凄まじい衝撃が避難所を揺らし、避難者たちが悲鳴を上げた。
「きゃあ」
「なによ!?」
愛理も真弥も悲鳴を上げながら紗江子に掴まる。紗江子は、微動だにせず、二人を抱きしめている。
「やられた……」
蘭が呆然とつぶやいたのは、先程までこの避難所近辺の映像を映していた幻板が真っ黒になったからだ。
「なんだって?」
「監視カメラが破壊されたんだよ」
「はあ?」
それが一体どうしたというのか、と、圭悟は思わずにはいられなかった。そんなことよりも大事なことがあるはずだ。
たとえば、この避難所を襲った衝撃の正体とかを考えるべきではないか。いや、そんなことを考えたところでどうにもならない、とも、圭悟は、頭脳を巡らせる。
再び、衝撃が避難所を襲った。
今度は、先程よりも強烈で、さらに近く、轟音が衝撃波となって避難所内に響き渡った。
避難者たちが、悲鳴を上げながら圭悟たちのいる一角へと逃げてくる。
三度、衝撃。
轟音とともに天井に巨大な穴が空くと、膨大な量の粉塵が爆発的な勢いで避難所を満たした。
地を這うような重低音が聞こえ、赤黒い双眸の禍々しい輝きが粉塵の中に満ちる。
「幻魔――」
「きゃああああああああああ!?」
悲鳴が、圭悟の声を掻き消していく中で、彼は速やかに立ち上がると、真弥たちの壁となろうとした。この五人の中で一番魔法を得意とするのは圭悟だ。であれば、友人たちを守るために立ち上がるべきだろう。
しかし、そうは想っても、全身が恐怖と緊張に支配され、魔力を練成することもままならない。
咄嗟に鞄から法器を取り出し、伸長させるも、意味がなかった。
一般市民の法器は、戦闘用ではない。ほとんどが飛行魔法を内蔵しただけの、移動用の乗り物に過ぎないのだ。
そんなものでは、幻魔に太刀打ち出来るわけもない。
幻魔が吼え、粉塵が吹き飛ぶと、その姿が明らかになった。
アーヴァンクである。
小型の幻魔は、全身に紅い光を帯びたかと思うと、一回りも二回りも巨大化し、背中の装甲に二つの突起物を作り出した。それはさながら砲台のようであり、先程の映像を思い起こさせた。
超高圧の水流を、まるでビームのように打ち出していた。
そして、アーヴァンクの砲口が超高圧の水流を放出した瞬間、圭悟は瞼を閉じた。死を覚悟した。魔法が使えない以上、それ以外の運命はなかった。死ぬ。死は一瞬だ。痛みも、一瞬で消えてなくなる。
そう思った。
けれども、彼の意識は持続していて、痛みを感じるどころか、強烈な激突音を聞いていた。
目を開くと、圭悟の視界を阻むようになにかが立っていた。
巨大な壁のようなそれがなにやら大きな盾の内側だということに気づくのには、しばらくの時間を要した。
具体的に言えば、アーヴァンクが討伐されても、即座には理解できなかったほどだ。