第三百四十三話 新兵器(一)
「魔機と幻魔の融合……ねえ」
「くっだらねえ」
「面白いけど」
マモンは、アザゼルやバアル・ゼブルの意見や主張など心底どうでも良かった。
この赤黒い光が暗澹たる闇を照らす空間は、彼の研究室であり、開発室だ。
アーリマンが主宰する〈殻〉――闇の世界の一角にそれはある。
多種多様な無数の機材に囲まれた空間は、彼にとっては胎内のように居心地がいい。一切の過不足なく、満たされているという感覚がある。
そして、アザゼルやバアル・ゼブルたちにとってはこの上なく居心地の悪い場所なのだろう、ということも、彼には理解できた。
ここは彼の世界。
彼だけの居場所なのだからだ。
彼以外の何者も、この場所を快く思わない。
アーリマンは無論のこと、アスモデウスでさえも、だ。
では、彼らの主たるサタンは、どうだろう。
許容しているということは、必ずしも否定的な立場にはないように考えられるが、サタンが考えていることを想像するだけ無駄だということもまた、彼ははっきりと理解していた。
サタンは、彼らの頭目であり、彼らの首領であり、彼らの主であり、彼らの支配者なのだ。
彼らが為すべきことは、サタンに従うことである。
そして、サタンの計画に必要なものを取り揃えることこそ、マモンとして生まれ変わった自分の使命なのだと彼は認識している。
そのための機械群であり、そのための改造幻魔たちだ。
マモンの目の前には、複数の映像板が浮かんでいて、そこには様々な場所が映し出されている。この闇の世界内に存在する場所でもあれば、外界の映像もあった。
闇の世界内の一室に目を向ければ、そこに無数の調整機が立ち並んでいることがわかる。そして、調整機――液体に満たされた透明な容器の中には、様々な獣級幻魔たちが目覚めの時を待ち侘びているということも、理解できるだろう。
他方、別の映像板に目を向ければ、外界における戦闘状況が手に取るようにわかった。
マモンが差し向けた改造幻魔たちが央都に破壊と殺戮、恐怖と混乱をもたらしている光景だ。
それを見て、アザゼルは相変わらず口元に軽薄な笑みを浮かべ、バアル・ゼブルはつまらなそうに口先を尖らせている。アザゼルにとってはどうでもいいことのようであり、バアル・ゼブルは全く以て理解が出来ないとでもいわんばかりだ。
マモンには、二人の意見こそ、どうでもいい。
手元の端末を操作しながら、外界から送信されてくる改造幻魔の戦果に目を通す。
今回央都に送り込んだ改造幻魔は、試作品に過ぎない。
いずれもが開発段階の代物であり、しかも素体が獣級幻魔ということもあって、不完全で未完成極まりない代物ばかりだった。
戦団の導士たちに容易く撃破されるのも当然だった。
それでも、一定の成果が上がっているのもまた、事実として認めるべきだろう。
少なくとも、ただの獣級幻魔よりは余程使い勝手がいい。
改良の余地は無数にあり、無意味な改造や強化を施していた幻魔がいることも判明した。課題は山積みだ。マモンが理想とする改造幻魔の領域には、全く以て到達していないのだ。
「なにがそんなに楽しいんだか」
バアル・ゼブルは、映像板に映し出された央都の戦況を眺めながら、つぶやいた。視界の片隅にはマモンの顔があり、彼がわずかに微笑していることが彼には薄気味悪いことこの上ないのだ。
彼がどのような意図を持ってこんなことをしているのか、バアル・ゼブルには想像すら出来ない。戦うのであれば、自らが赴けばいい、というのがバアル・ゼブルの考えだ。妖級以下の幻魔に頼るなど、鬼級幻魔の風上にも置けない、と、彼は思うのだ。
しかし、鬼級幻魔の誰もが妖級以下の下級幻魔を駆使している。
サタンですら、だ。
それが彼には理解できない。
鬼級幻魔と妖級以下の幻魔の力の差は圧倒的だ。隔絶していて、次元が違うといっても過言ではないのだ。比べるまでもない。
妖級幻魔などは、鬼級幻魔ならば小指一つで撃破出来て当然だったし、利用価値などあろうはずもない。
そう、バアル・ゼブルは考えている。
しかし、サタンもマモンも、アーリマンやアスモデウス、アザゼルですらも、妖級以下の無能な幻魔たちを利用している。
彼は、アザゼルを横目に見て、頭を振った。
なにもかもが馬鹿馬鹿しく思えた。
そんなバアル・ゼブルの様子を一瞥しつつも、アザゼルの意識は外界の様子に向けられていた。
外界、つまり央都葦原市では、マモンが改造を施した獣級幻魔が百体以上暴れ回っている。それら改造幻魔は、通常の獣級幻魔よりも強大な力を持ち、多大な被害を撒き散らしていた。数多くの人命を奪い、建造物を破壊し、甚大な損害を与えている。
だが、その程度のことは、鬼級幻魔ならば容易く出来てしまうというのもまた、事実だ。
アザゼルにせよ、バアル・ゼブルにせよ、マモンにしたって、そうだ。
この場にいる誰が葦原市に向かっていたとしても、改造幻魔百体以上の被害を一瞬で生み出すことが出来るに違いない。
では、なぜ、マモンは改造幻魔などを生み出し、差し向けたのか、ということは考えるまでもないだろう。
サタンの計画の一助となるためだ。
アザゼルたち〈七悪〉は、サタンの大いなる計画の力となるために存在する。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、それだけのためにこそ、存在しているのだ。
それだけが、自分たちの存在意義であるということを忘れてはならないのだが――さて、アザゼルは、戦団の導士たちと改造幻魔が繰り広げる激闘を眺めながら、考える。
「戦況は、芳しくないようだが」
「試作品だからね。でも、そうだな……」
マモンは、アザゼルの皮肉めいた口調にも表情ひとつ変えず、端末を操作した。
「せっかくだから、あれも試しておこうかな」
「あれ?」
「改造幻魔は、アスモデウスの作った人型魔導戦術機イクサの設計思想を受け継いだ、いわば後継機なんだよ。だから、当然、DEMユニットも搭載しているし、DEMコアによって動いているし、DEMシステムも内蔵しているんだよ」
「ふむ……」
早口で、しかも興奮気味に説明してきたマモンに対し、アザゼルはバアル・ゼブルと顔を見合わせた。マモンがそのような反応を見せるとは、考えたこともなかったのだ。
マモンが端末を素早く操作すると、映像板の一枚に無数の文字列が怒濤の如く流れていった。
コード666――文字列は、そう示した。
映像板の中で導士に打ちのめされ、倒れ伏していた獣級幻魔の内側から紅い光が漏れた。
それはかつて、人型魔導戦術機イクサに起きた異変と同様のものだった。
幸多は、ガルムの死骸の上にいた。
ガルムの胃袋付近にある魔晶核を貫いたことで、その生命活動は完全に停止し、もはや物言わぬ亡骸となったそれは、しかし、異様としか言いようのないものだった。
幻魔でありながら機械と融合したような姿形である。
こんなものが存在するなど、考えたこともなかったし、想像したこともなかった。
『機械型は葦原市各地に出現しているわよ! 死骸の撤去なんて幻災隊に任せておけばいいのよ!』
「それはわかってますけど……つぎは、どこへ行けばいいんです?」
『そうね……』
ヴェルザンディが考え込んでいる間、幸多は、まずガルムの巨躯から飛び降りることにした。万世橋の真っ只中。ガルムが暴れ回ったことで橋そのものが大打撃を受けているが、倒壊する恐れはなさそうに見える。
万世橋もそうだが、葦原市の建造物の全てが幻魔災害を想定して作られている。央都誕生時に作られた建物も、最近になって次々と建て替えられていて、最新の幻魔災害対策が施された建物へと生まれ変わっているのだ。
故に、幻魔が暴れ回っても、最小限の被害に抑えられているはずだ。
事実、橋に刻まれた傷痕の深さというのは、あっという間に復旧できる程度のものに過ぎなかった。
見回せば、橋の上にいた市民の大半が姿を消している。
戦団が打ち鳴らす避難警報に従わない市民など、そういるはずもないのだ。
たとえそれが未来河花火大会という一大イベントの最中であったとしても、自分や家族の身の安全を考えれば、避難誘導に従うべきだと誰もが判断する。
幻魔災害が当然のように存在し、誰もが被災者になりうる時代。
子供の頃から徹底された教育は、幻魔災害発生時、市民に避難をこそ最優先するようにしている。
央都は、幻魔災害対策都市を自称しているが、それは、都市の構造だけを指してそういっているわけではない。都市の構造と、その上に成り立つ社会の構造、そしてそこに暮らす人々の在り方全てを含めて、幻魔災害都市と称しているのだ。
そして、それこそが央都の、人類生存圏の理想である、と、戦団は考えている。
幻魔災害を根絶することは、不可能に近い。
人類が魔法を手放さない限り。いや、人類から魔法に関する知識を完全に消し去らない限り、そんなことはできないだろうと考えられている。
幻魔は、人間の魔力を苗床として、誕生する。死によって膨大化する魔力こそが、幻魔の生命の源なのだ。
人々が魔力を錬成する技術、その知識を持っている限り、幻魔が発生する可能性は存在し続ける。
そして、魔法という極めて万能に近い力を手放すことなど、もはやできるわけもなく、故に、人類は、幻魔と戦い続けていくしかないのだ。
だからこそ、幻魔災害の発生を受け入れた上で、被害を最小限に抑えるような都市を開発し、社会を構築していくべきなのではないか、というのが、かつて戦団が下した結論である。
そうした考えの下に行われてきた央都市民への徹底的な教育の成果が、この幻魔災害発生時の避難の迅速さに現れているといえるだろう。
万世橋の上に市民がいないのも、幸多がガルムと戦っている間に速やかに避難した証拠だ。
一方、万世橋の南側の河川敷では、体の一部が機械化した獣級幻魔アーヴァンクが暴れ回っていて、導士たちが魔法防壁を張り巡らせることで市民の避難を優先させていた。大半は逃げ延びている。
北側の河川敷には、獣級幻魔カーシーの群れが嵐を巻き起こしていたし、橋の東詰には複数のカラドリウスが飛び回っていた。そして、いずれの幻魔にも導士たちが対応しており、幸多の出る幕はなさそうに見える。
『嘘でしょ?』
突如、脳内に響き渡ったのは、ヴェルザンディの愕然とした声だった。
『幸多ちゃん、離れて!』
「えっ?」
幸多がヴェルザンディの発した言葉の意味を理解するよりも、ガルムの巨躯が紅い光に包まれるほうが早かった。