第三百三十八話 未来河花火大会(五)
未来河の中州にある特設会場から夜空に向かって打ち上げられた無数の花火、その色とりどりの魔法の光は、花火大会の見物客の度肝を抜き、感心させ、興奮させていた。
だが、その花火の中に混じり始めた閃光の異様さが伝わり始めると、未来河周辺に集まった見物客の間で動揺が広がりだした。
動揺が波紋となって広がるのに時間はかからず、数十万人もの見物客たちを大いに混乱させ、警備員や警備に借り出された央魔連の魔法士たちをも巻き込んでいく。
特に混乱が大きいのは、河川敷周辺だという。
未来河の河川敷は、打ち上げ場所である特設会場から程近いということもあり、次々と夜空に咲き乱れる花火を見るには絶好の場所だからだ。見物客が多数押し寄せていて、どこもかしこも人で埋め尽くされていた。
そんな真っ只中で動揺が生じれば、混乱が渦のように広がるのも無理はなかったし、悲鳴や怒号、罵声が飛び交うのも当然のことなのかもしれない。
そうした市民の声を周囲に聞きながら、幸多は、未来河にかかる万世橋の欄干の上にいた。
花火の打ち上げ場所が、遥か前方に見えている。
葦原市を両断する大河・未来河のちょうど真ん中辺りに中州があり、そこに特設会場が設営されているのだ打ち上げ場所には、花火師たちや花火大会の運営員、そして警護に当たっている導士たちの姿があった。
そして、打ち上げ場所には、幸多には複雑怪奇としか言いようのない魔機が多数設置されており、そこから次々と花火が打ち上げられていた。
魔機による花火の制御は、会場周辺に流れている音楽との同調を完璧なものとし、花火の芸術性を飛躍的に高めることに成功しているようだった。
しかし、その芸術的な花火の数々も、そこに混じる異物の如き閃光によって台無しにされており、花火師たちも困惑を隠せないといった様子だ。
それが何者かの攻型魔法による妨害行為である、と、作戦司令部は考えている。
一刻も早くその犯人を見つけ出し、対処しなければならない――そう、幸多が考えていた矢先のことだ。
『たった今、固有波形を解析した結果、鬼級幻魔マモンの固有波形だということが判明しました! 各員、作戦司令部の指示に従い、早急に対応してください!』
闘衣に内蔵された通信機越しに聞こえてきたのは、情報官・計倉エリスの声だった。緊急事態だといわんばかりの緊張感に満ちた声には、幸多の神経と研ぎ澄まさせる。
(マモン!)
幸多の脳裏に過ったのは、もちろん、〈七悪〉の一人、〈強欲〉のマモンの姿だ。どこか幼さを持つ少年のような容姿の鬼級幻魔であり、悪魔。半身が機械化しているような、そんな印象を与える異形の姿が記憶に焼き付いている。
まさか、花火大会の真っ只中にその固有波形を観測するとは、想定もしていなかった。
が、〈七悪〉がいつどこで姿を見せるのかなどわかろうはずもない。
どこにだって現れ、央都の秩序を掻き乱し、恐怖と混乱、破壊と殺戮を撒き散らすのが彼らなのだ。
だからこそ、戦団は、央都防衛構想を抜本的に見直さなければならなくなったのだし、央都守護と衛星任務における戦力の割合を変えなくてはならなくなったのだ。
実際、光都に〈嫉妬〉のアザゼルが現れたことは、記憶に新しい。
本荘ルナの正体を暴くための実験は、天使型幻魔オファニムと悪魔型幻魔アザゼルの介入によって、予期せぬ形で終わったのだという。
そのような話を幸多が統魔から聞かされたのは、つい数日前のことだ。
『〈七悪〉の一体よ、マモンって』
(わかってますけど)
『あの中にいるのかしら』
(それを特定するのがヴェルちゃんたちの仕事なんじゃ?)
『そうね』
(そうねって)
幸多は、ヴェルザンディとの会話が益体もないものだということに気づくと、嘆息を漏らした。万世橋の欄干の上。歩道を行く人々が幸多の横顔や後ろ姿を見ては声を上げてくるが、構っている暇はなかった。
頭上、花火に混じる閃光は、時間と共に増大しており、もはや夜空が真っ白に染まっているといっても過言ではなかった。
『少なくともあの光の中にマモンの本体はいないわよ』
(観測されたのは、固有波形だけってことか)
『そういうこと。本体がいるなら相応の、それこそとんでもない魔素質量が観測できるはずだもの』
(そりゃあそうだ)
幸多は、ヴェルザンディの説明に大きく納得しつつも、ならばこの閃光の数々はなんなのかと考えた。
閃光は、いまや完全に花火を掻き消してしまっていて、花火大会を台無しにしてしまっている。
そして、未来河花火大会の見物客の誰もがこの異常事態に直面し、混乱し、恐怖し、動揺し、逃げ惑っていた。
万世橋も右往左往する人々で溢れていて、道幅が広いはずの歩道すらも逃げ惑う市民で一杯になっていた。
警報音が、鳴り響いている。
戦団による市民の避難誘導が始まったのだ。
そして、
『幸多ちゃん、左後方!』
幸多は、脳内に響いたヴェルザンディの声に従い、左後方に向き直って跳躍した。叫ぶ。
「斬魔!」
瞬間、転身機が起動し、光を発する。光は、幸多の右手の内に収斂するようにして二十二式両刃剣・斬魔の形を成した。
「あれは――」
幸多は、視界に飛び込んできたものを目の当たりにした瞬間、あまりにも衝撃的すぎて愕然とした。
それは、遥か上空から降ってきたかと思うと、万世橋の車道の真ん中に突き刺さった巨大な物体である。よく見なくとも、ただの落下物などではないことは明らかだ。
全長三メートルほどの巨躯が、慟哭のような駆動音を発しながら頭を上げ、周囲に視線を巡らせる。顔面には、四つの眼が、赤黒く、そして禍々《まがまが》しく輝いていた。
「ガルム?」
幸多が疑問を浮かべたのも無理はない。
それは、一見すると、獣級幻魔ガルムに見えたのだが、よく見れば見るほど、ガルムとは異なる部分があったからだ。
ガルムは魔炎狼と呼ばれるように、全身から熱気と炎を噴き出し、それによって深紅の体毛を表現している狼のような幻魔だ。姿態全てが狼に酷似しているが、魔晶体の結晶構造が幻魔であることを隠させなかった。
一方、万世橋の車道に降り立った幻魔は、一見ガルムにそっくりなのだが、体の至る所が機械化されているようであり、肩から背中にかけての機構は炎を噴出させており、顔面には爛々《らんらん》と輝く眼が二つ、追加されていた。
それはまさに異形としか言い様がないのだが、幸多は、なぜだか既視感を覚えずにはいられなかった。
強烈な炎を体毛の如く纏い、また、胴体の機構から噴き出す炎を触手のように展開する怪物など見たこともないのだが。
『まるでイクサがDEMシステムを使ったときみたいね』
「あー……なるほど」
ヴェルザンディが漏らした感想に、幸多は、大いに納得した。それこそ、既視感の正体そのものだろう。
半身が機械化したガルムと思しきそれは、まさにDEMシステムによって異形化したイクサを思い起こさせるのだ。
見るからに凶悪で、狂暴な、機械仕掛けの怪物。
そして、それはマモンをも連想させた。
マモンもまた、半身が機械化した幻魔だった。
「だから、マモンの固有波形を観測した、とか?」
『そうなるわね! あのガルムからも微量だけどマモンの固有波形を観測しているわ。つまり、マモン謹製の改造幻魔ってところかしら』
「改造幻魔……」
幸多は、ヴェルザンディの言葉を反芻しながら、地を蹴った。ガルムが唸りを上げ、首を振る。すると、触手のようにうねっていた炎が、もはや車の通れなくなった車道のみならず、歩道にまで伸びていこうとしたものだから、幸多はガルムの腹の下の空隙に潜り込むなり、思い切り蹴り上げた。
全身全霊の蹴りは、ガルムの巨躯を軽々と空高く吹き飛ばす。ガルムが吼えた。炎の触手を撚り合わせて翼を作り、大気を叩くことによって、慣性を殺してみせる。そのまま空中から幸多を睨んだ。
『各員に通達! 新種の幻魔の存在を多数確認!』
「多数?」
『ガルムだけじゃないのよ。フェンリルにケットシー、カラドリウス……改造獣級幻魔の大盤振る舞いね!』
「嫌な大盤振る舞いだな」
幸多は、改造ガルムだけを睨み据えたまま、つぶやいた。