第三百三十六話 未来河花火大会(三)
夜空に打ち上がっては花開く花火の数々は、真夏の始まりを告げる央都の風物詩といえた。
天から轟く炸裂音は重く強烈だが、だからこそ、印象に残るのだろうし、色鮮やかな花火にまさに花を添えているのだろう。
幸多は、そんなことを想いながら、次々と打ち上げられる花火を見ている。形も様々、色もとりどりで、見るものを飽きさせない作りになっている。
花火は、会場周辺に流れている音楽と完全に連動していて、一種の映像作品、芸術作品のようですらあった。
「いつ見ても凄いよねえ」
「本当にな」
真弥が童心に帰ったのようにつぶやけば、圭悟も頷くほかないといった様子だった。紗江子も蘭も花火に集中していたし、愛理もその大きな目を見開いて、花火を見ていた。
銀色の瞳に映り込む花火の輝きは、彼女のその綺麗な虹彩を際立たせるようだ。
幸多たちだけではない。
さらにいえば、未来河周辺に集まった人々だけでなく、葦原《あしhら》市内、央都中にいる多くの人々が、天高く舞い上がる無数の花火に意識を奪われていた。
未来河花火大会の模様は、央都中に生中継され、放送されていることもあり、央都市民ならば誰でも気軽に見ることが出来るからだ。
未来河花火大会は、央都の夏における最大のお祭りだということもあって、人出も多く、賑わいも凄まじいものだ。市民の関心も強く、誰もが注目していると言っても過言ではなかった。
そして、その注目に恥じないくらい、打ち上げられる花火の数々は、いずれもが立派なものだった。
この時代、花火といえば、魔法と深く関連している。
花火師とは特別な訓練を積んだ魔法士であり、彼らが想像した魔法の数々が花火となって夜空を彩っているのだ。故に、花火の形や大きさに際限はなく、想像力の行き着くままに多様な花火が生まれ、天を彩り、夜空を飾るのだ。
だから、だろう。
この上なく巨大な花火が未来河上空を覆い尽くすほどに広がったときも、割れんばかりの拍手と歓声が上がった。それを目の当たりにしている市民の誰一人として違和感を覚えなかったのだ。
未来河の中州の特設会場にいた花火師たち以外は、それもまた一つの花火であり、花火大会を彩る演出の一つに過ぎないとしか想えなかった。
花火師たちだけが、違和感に気づき、異変を察知した。
「いまのは、なんだ?」
「誰だ? 予定外の花火を打ち上げたのは!」
「そもそもここから打ち上がってなんていないぞ」
花火師たちの間で騒然となったが、しかし、花火大会を中止するわけにはいかなかった。
彼らにとっての花火とは、会場に流れている楽曲との完全なる同調が出来てこそ、作品として仕上がるのであり、わずかでも乱れが生じたとき、その瞬間、彼らの作品は駄作に落ちてしまう。
故に、花火師たちは、違和感を覚えながらも花火を打ち上げ続けるしかない。
練り上げた魔力の限りを尽くし、長期間の訓練によって脳内に刻みつけた花火魔法の数々を想像し、遥か上空に打ち上げていく。
今や活動不能となった人気ロックバンド、アルカナプリズムの楽曲〈星に願いを〉に合わせた花火は、彼らの活動の軌跡をなぞるかのように、時には激しく、時には繊細に夜空を瞬いていく。
だが、無数の花火に混じる異物の数が増え始めると、さすがの花火師たちも騒がざるを得なくなった。
花火の打ち上げ会場には、導士が護衛として配置されている。
なにが起こるのかわからない時代だ。
こういう行事、祭事においては、要所に導士の護衛が配置されるのは当然のことといっていい。
花火師たちの騒ぎを聞きつけた導士は、彼らの訴えを聞き、即座に戦団本部に連絡、指示を仰いだ。
未来河上空には、花火が打ち上がり続けている。
そして、それら無数の花火の狭間に巨大な閃光が紛れているのだが、もはや紛れているとは言えないものだった。
花火をも飲み込むように拡散する閃光は、極めて巨大で、圧倒的といってよかった。
「あれも演出、だよねえ?」
「だと想うのですが……」
真弥と紗江子が怪訝な顔をするのも無理はなかった。
せっかく音楽に合わせて花開いていく数々の魔法が、巨大すぎる閃光によって飲み込まれ、掻き消されていく様は、勿体ないとしか言い様がないからだ。
「やっぱり、なんか変だ」
「確かにな」
蘭と圭悟も、違和感を覚え始めていた。
彼らだけではない。
花火大会を見学していた市民の間でも、花火の異様さに気づくものが出始めていた。
不自然で不可解で、演出の全てを台無しにするような光の数々には、誰もが疑問を覚えるものだ。
「うん、変だね」
幸多も、無数の花火を一瞬にして飲み込んだ巨大な閃光が、花火大会の趣旨を無視し、市民の楽しみを蹂躙していくような横暴さを感じた。思わず立ち上がると、愛理が彼を仰ぎ見た。
「お兄ちゃん?」
愛理の目は、閃光で影になった幸多の姿を追い続ける。
幸多は、花火をも飲み込む巨大な閃光がどこから発せられているのかと視線を巡らせた。が。
(視えるわけないか)
この特別製の義眼でもってしても、巨大な閃光の発生源を捉えることなど出来るわけもない――などという当たり前の結果には、幸多は落胆すら覚えなかったものの、なんだか嫌な予感がしてならなかった。
楽曲の旋律に合わせた花火の数々が、断続的に出現する閃光に飲み込まれ、台無しにされていく光景は、異様としか思えない。
そして、誰かが花火大会を邪魔しているのではないか、という考えに至るのは、成り行きとしては自然かもしれなかった。それ以外に考えようがない。
では、一体、なんのために。
疑問は、そこに尽きる。
市民が楽しみにしていた花火大会を邪魔することに一体どんな意味があり、意図があるというのか。
夜空に煌めく花火を一掃するかのように拡散する巨大な閃光を見つめていた幸多は、突如、脳がざわつくような感覚に苛まれた。
『はぁい、幸多ちゃん。聞こえる? 聞こえるわよね、聞こえるはず』
頭の中に閃いたのは、ヴェルザンディの声だ。相変わらずの傍若無人さは、彼女が戦団の女神であるということを思い知らせるかのようであり、彼は顔をしかめた。
「うっ?」
『なに? なんなの、その反応? わたしが話しかけちゃ不味かったのかしら?』
「そういうわけじゃ……」
幸多はしどろもどろになりながらも、脳内に響き渡る女神の声にどう対応するのが一番いいのか、一刻も早く考えなければならなかった。声に出して反応しているということは、周囲の友人たちに聞こえるということだ。当然、誰もが不思議そうな顔を幸多に向けた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「なんだ? 皆代?」
「どったの?」
「な、なんでもないよ、なんでも」
「……変なの」
愛理や圭悟たちは、幸多の態度を訝しんだものの、追及はしなかった。幸多は導士である。導士には市民に話せないことがいくらでもあるはずだからだ。
『わたしと会話するのに声に出す必要はないわよ。念じればいいのよ、念じれば。それだけで伝わるわ』
(念じる?)
『そう、その調子』
ヴェルザンディのどうにも楽観的な声には、幸多は、なんともいえない顔になった。しかし、念じることで会話が成り立つのであれば、なにもいうことはない。これならば、周囲のことを気にする必要もなければ、会話の内容を聞かれる心配もなかった。
(……一体、なんなんです? 急に)
『幸多ちゃんは今、未来河付近にいるわね。そして、花火大会を楽しんでる真っ最中ってところかしら』
(はい……)
『ということで、せっかくの花火大会を中止にするわけにはいかないから、きみに動いてもらうことになったわ』
(はい?)
幸多は、愛理の真っ直ぐすぎる視線に微笑み返しながらも、頭の中だけは激しく回転させ続けていた。