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第三百三十四話 未来河花火大会(一)

 伊佐那義一いざなぎいちは、一人、歩いていた。

 央都おうと四市の中心にして人類生存圏の中枢たる葦原あしはら市、その都心といっても過言ではない本部町ほんぶちょうのただ中を、たった一人で歩いている。

 人々は、夏祭りの気配に浮かれていて、誰も彼もが浮き足立っている。

 今日は、八月最初の日曜日だ。

 となれば、未来河みらいがわ花火大会が行われる日と決まっていて、だからこそ、葦原市の市民が浮かれるのも無理のない話なのだろう、と、義一は他人事ひとごとのように思うのだ。

 実際、彼にしてみればなにもかもが他人事だった。

 花火大会など、どうでもいい。

 彼には、関係がない。

(楽しみじゃないんだ?)

 脳内に響く声に渋い顔をする。

 街の雑踏ざっとうの中、道行く人々の姿は多彩だ。

 花火大会ということもあって世間は夏祭り一色であり、浴衣姿の女性もいれば、アニメやゲームのキャラクターのコスチュームに身を包んだ人達も散見される。

 誰も彼もが浮かれ気分で、その心の有り様を象徴するかのように、浮遊装飾フロートレットを身につけている人々の数たるや、数え上げるのも面倒なくらいだ。

 一方の義一はといえば普段着であり、極力目立たないように配慮していた。

 とはいえ、帽子を目深に被ったところで、見るものが見ればすぐにばれてしまうし、無遠慮に携帯端末を向けてくるものもいれば、黄色い声援が飛び交うことも少なくなかった。

 伊佐那義一の知名度は、もはや彼自身にはどうすることもできないものだったし、注目を浴びるのにも慣れすぎていた。

 視線も気にならなければ、自分目当てに掲げられる携帯端末も気にならない。撮影の際に生じる閃光すらも、視界に入ってこないくらいだった。

 どうでもいい。

 なにもかもが、どうだっていい。

(世捨て人みたい)

 そんな声が脳裏のうりを過って、彼はさらに渋い顔になる。そして、足を止めた。未来河にかかる万世橋ばんせいばしの歩道でのことだった。

「……何処まで付いてくるのかな?」

 振り向くと、ついに観念したのか、金田かねだ姉妹が小走りで歩み寄ってきた。揃いの浴衣姿は、伊佐那家で借りたものであるらしく、幻獣げんじゅう麒麟きりんの紋様が入っていた。

「何処まででも」

「お供します!」

 朝子ともこ友美ともみは、義一に存在を認識されたことが嬉しくて堪らないといわんばかりであり、彼は、しばし途方に暮れるほかなかった。

 どうして自分がこんな目にわなければならないのか、と、思う。

 金田姉妹は、合宿仲間だ。邪険に扱うのははばかられたし、かといって丁重に扱うのもどうなのだろう、と考え込んでしまう。

 けれども、結局は、二人と一緒に行動する羽目になってしまったのは、義一が彼女たちを振り払えなかったからにほかならない。

 金田姉妹は、義一と一緒にこの夏祭り同然の花火大会を楽しめそうな気がして嬉しくて堪らなかったし、だから二人で義一を挟み込むようにした。

 義一は、もはや抵抗することを諦め、彼女たちにされるがままになった。

 その様子が撮影されても、もうどうでもいいという気分だった。

 そもそも、なぜ、一人で歩いていたのかと言えば、特に理由はなかった。

 気分転換がてらの散歩のつもりが、未来河まで歩いてきてしまった。

 日は昇りきり、傾き始めている。

「お腹、空いてませんか?」

「喉、乾いてませんか?」

「あー……気にしないでいいよ」

 とはいいつつも、きっと彼女たちがお腹を空かせていて、さらに喉も渇いているのだろう、と思うと、義一は河川敷に足を向けざるを得なかった。

 河川敷には、英霊祭えいれいさいのときと同じように大量の屋台や出店が並んでいるだけでなく、様々な催し物がそこかしこで繰り広げられていた。

 未来河花火大会は、毎年、お祭り騒ぎなのだ。

 まさに夏祭りそのものであり、どこもかしこも大量の人出で賑わっている。河川敷などは最たるもので、屋台や催し物目当ての人々で満ち溢れていた。

 すると、義一に声をかけてくるものがあった。

「これはこれは義一の兄貴じゃないっすか」

「その呼び方、止めて欲しいな」

 思わずため息を漏らしそうになるのを抑えつつ、義一が目を向けた先にいたのは、菖蒲坂隆司あやめざかりゅうじだ。彼は一人ではなく、義一にも見覚えのある同年代の男女と一緒にいた。

「まさか金田姉妹二人とデートだったとは」

「そんなつもりはないよ」

「またまたあ」

「照れるのも無理ないですけど」

「はあ……」

 義一は、金田姉妹が当然のような顔で隆司の軽口を肯定するものだから、ついに嘆息してしまったが、だれも聞き咎めることはなかった。

 

 隆司は、星桜せいおう高校対抗戦部の部員たちと花火大会を満喫しようとしていた矢先だったらしく、そんなときに義一と金田姉妹を見つけたものだから思わず声をかけてしまったのだという。

 そして、そっとしておいて欲しかった、などという義一の意見は、金田姉妹の声によって掻き消されてしまった。

 義一は、隆司一行と別れると、金田姉妹に引っ張られるようにして屋台村を歩き回ることとなった。

 実際の所、義一は空腹だったし、飲み物も欲していたこともあって、それそのものには満足していたし、彼女たちの強引さに多少なりとも感謝した。

 おかげで満腹すぎて動くのも面倒になるくらいだったが、それはいい。

「いい天気ですねえ」

「夏祭り日和です」

「……ふう」

 義一は、なんといえばいいのかわからないまま、頭を抱えたくなった。

 屋台村から遠く離れるように河川敷を北上すると、長椅子が並んでいて、その一つに腰を落ち着けることになったのは、買い溜めた飲食物を消費するためだった。

 そして、たこ焼きやら焼きそばやらお好み焼きやら炭水化物を大量に取り込んだのだ。

 義一は、長椅子の真ん中に座っていて、左に朝子が、右に友美が腰掛けている。そして、二人ともが義一の肩に頭を乗せていた。

 道行く人々の視線が集中するのも無理からぬことだったし、撮影されるのも致し方のないことだろう。

 あの伊佐那義一が女性導士二人と夏祭りを楽しんでいて、なおかつはべらせているという状況が市民に取り沙汰されないはずはなかったし、いまやネット中を騒がせているのではないかと簡単に想像できた。

 広報部が導士を売り出すようになってからというもの、アイドルのように扱われることも少なくなかったし、実際、アイドル部隊とも呼ばれる小隊が存在し、戦団の広報に活用されていることはよく知られた話だ。

 義一のように人気や知名度のある導士が、央都市民の間で様々に噂されるのも、ごくごく当たり前のことなのだ。

 途方に暮れたところでどうにもならない。

 頭上に輝く太陽は、ゆっくりと、西へ向かって落ちていく。



 太陽が傾き、落ちていく様を眺め続けるのは、苦ではなかった。

 むしろ、太陽の素晴らしさ、神々しさをその身で実感できる時間であり、とてつもない充実感があった。

 これほどに充足した時間というのは、今までの人生で一度だってなかったのではないか。

 長谷川天璃はせがわてんりは、頭上を仰ぎ見ながら、考える。

 太陽は、今や大きく西に傾き、その輝きをいや増している。莫大な光は、さながら灼熱の炎のようであり、赤く強く空を染め上げつつある。

 まるで、世界そのものが燃えているようだ。

 偽りの空とは異なる、本物の空。

 本物の夕日。

 夕焼け。

 なにもかもが素晴らしく、美しい。

「遅かったじゃないか」

 背後からの声に、天璃は顔を向けた。本部町にある公園の一角。長椅子の背もたれに身を預けていた彼が振り向いた先、目の前に男女の二人組が立っている。

 萌葱色もえぎいろの髪にねずみ色の目の男は、近藤悠生こんどうゆうせいといい、赤香あかこう色の髪とだいだい色の目を持つ女は、松下ユラという。

 二人とも、天璃と志を同じにする仲間だ。

天輪てんりんスキャンダルの影響だよ。こればかりは仕方がないさ」

 天璃は、二人の同志が長椅子に腰掛けるのを見届けながら、告げた。

 彼が語ったそれは、事実だ。

 天輪スキャンダル後、双界そうかい間旅行の手続きが極めて厳重なものとなり、既に許可を取っていた人々ですら、もう一度手続きを行い、統治機構と央都政庁の承認を得なければならなくなっていた。

 その手続きが渋滞したがために、天輪スキャンダル発生直前に出発していた先発組に対し、後発組である天璃が央都に到着するのが遅れに遅れてしまったのだ。

「そうね。ただ、間に合ってよかったわ」

 ユラが、天璃の髪を愛おしそうに撫でながら、いった。

 公園内には、人気はない。

 葦原市の中心、本部町の真っ只中だというのに、だ。

 誰もが、未来河に向かっているのだろう。

 未来河花火大会の会場に。

「あなたがいなければ、せっかくの花火も楽しくないでしょう?」

「そうだね。その通りだ」

 天璃は、ユラの手を取って、微笑した。

 二人の視線が絡み合う様はいつものことである。

 近藤悠生は、そんな二人の様子にこそ安堵するのだ。

 なにもかもがいつも通りだ。

 なにも心配する必要はなかった。

 全てが上手くいくという確信だけが、三人の中にあった。


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