第三百三十三話 妖精の城
「話は聞いたよ。なんでも伊佐那星将に目をかけられているそうだね?」
静馬が合宿の話題に触れたのは、九十九兄弟が戦団に入ってから今日に至るまでの苦闘の日々を聞き終えてのことだった。
九十九兄弟は、今年の四月、戦団に入った。
それも九月機関の推薦であり、九月機関と戦団との協力関係およびこれまでの実績があればこそ、二人は、入団試験を受けることもなく入団することができたのだ。
無論、二人とも導士に相応しい実力を持っていたからだということは間違いない。
だが、戦団に入ってからの九十九兄弟は、苦難続きのようだった。
第八軍団に配属された二人は、当然だが、最下級である灯光級三位から導士としての道を歩むこととなった。
どれだけ九月機関出身者が戦団で実績を積み上げていようとも、九十九兄弟を厚遇する理由にはならない。試験もなく入団することができたのだから、それだけで十分だろう。
ともかくも、そうして戦団に入ったばかりの二人が直面した苦難とは、他の導士との折り合いが付かないことのようだった。
静馬が話を聞く限りでは、大抵の場合、真白の態度や言動が悪い方に働いているようだった。
黒乃が言っていたとおりだ。
そして、そればかりはどうしようもないのではないか、と、静馬は考える。真白の性格をいまさら矯正することは難しい。
真白は、双子の弟にして半身たる黒乃のこととなると周りが見えなくなるのだ。
それは、相手が九月機関の人間であっても関係なかったし、静間であったとしてもそうだった。
彼は、黒乃の敵に牙を剥く。
そうした真白の性質をよく知っているからこそ、静馬は彼をこの上なく愛おしく想うのだし、彼をあるがままにさせてやりたいとも考えてしまうのだ。
とはいえ、それでは戦団の導士たちとの間で軋轢が生まれるのも無理からぬことだったし、なんとかしなければならない問題でもある。
「目をかけてもらっているのかなあ」
「少なくとも、期待してくれてはいるだろ」
「そうだといいけど」
「合宿に参加してるんだぜ?」
「そうだけどさ」
自信と気概に満ちた真白に対し、黒乃は不安げな内心を隠さなかった。
星将・伊佐那美由理が主催する導士合同訓練、通称・夏合宿に九十九兄弟が参加することになったのは、二人が直属の軍団長・天空地明日良にその才能を認められたからだろう。
それだけは、疑いようがない。
実力もなければ才能もないものを、星将直々に鍛え上げるという合宿に参加させる理由がないからだ。
そして、九十九兄弟の才能に疑いを持たれていないのは、二人がこの九月機関出身だからということも大きな理由に上げられるだろう。
九月機関は、既に何名もの導士を輩出しており、いずれもが優れた能力を発揮し、階級を駆け上がっている。
戦団が九月機関に戦力の提供を期待しているのは、火を見るより明らかだったし、だからこそ、この研究所が生き残っているともいえる。
生命倫理に抵触するような、人道を踏みにじるような研究機関が存続していられるのは、この地獄のような世界で生き抜いていくために致し方のないことだと、誰もが理解していた。
美しく飾り立てた言葉だけで生きていけるほど、現実は優しくはない。
世界は不条理で出来ている。
極めて理不尽で、極めて破壊的だ。
故にこそ、九月機関のような存在が必要なのであり、戦団もまた、同様の悪行に手を染めているのだ。
それもこれも人類復興という大願のため。
幻魔を殲滅し、人類が再びこの地上の覇者に返り咲くために。
合宿も、その目標のための一環といっていいのだろう。
「真白の言うとおりだよ、黒乃。きみたちは、星将直々に合宿参加者に選ばれたんだ。それは紛れもない事実で、きみたちが将来、戦団を背負っていくに相応しい才能と実力を秘めていると認められたんだ」
「所長……」
「さすが所長!」
不安そうだった黒乃の表情が和らいでいくのを認めて、静馬は微笑した。真白がはしゃぐのはいつものことだったし、黒乃が沈みがちなのもありふれた日常の一幕に過ぎないのだが。
それにしたって、黒乃は考えすぎだ、と、静馬は思うのだ。
真白が能天気な楽観主義者だからなのか、黒乃は神経質な悲観主義者になってしまった。
これもまた、どうしようものないことなのかもしれないが。
黒乃の沈みがちな性格が気の毒でならないのも、事実だ。
なので、静馬は話題をがらりと変えることにした。
「そうだ。一花たちがきみたちに逢いたがっていたよ。いますぐ逢いに行くかい?」
静馬がいうと、真白と黒乃が顔を見合わせ、二人して満面の笑顔になった。
「はい!」
九月機関総合研究所の居住区には、いくつもの建物が並んでいる。
大半がこの総合研究所で働く研究員のための住居であり、研究員たちのほとんどが敷地内で生活しているという。
九十九兄弟たちを始めとする九月機関に拾われて育った子供たちだけでなく、研究員たちにとっても、この要塞染みた研究機関が世界の全てだったりするのだ。
もっとも、真白たちがそんな驚くべき事実を知ったのは、つい最近のことなのだが。
そして、居住区の一角には、小さなお城のような建物がある。
妖精の国と名付けられたその建物は、九月機関で生活する子供たちの楽園である。
九月機関の研究成果たる妖精たち。
九十九兄弟もそんな妖精の一員であり、少し前までは妖精の国の住人だった。
「なにもかもが懐かしいぜ」
「つい最近なのにね」
黒乃も真白同様、見るもの全てが懐かしく、感慨さえ覚えるのは、なんともいえず不思議な気分だった。
見回す限りの全てが色鮮やかな、小さなお城。幻想の中に紛れ込んでしまったのではないか、と思うくらいに作り込まれていて、子供のころにはこの世界が全てなのだと信じ込んでいた。
この幻想的な世界が何処までも広がっていて、危険なんて何処にもなくて、平穏と安寧だけが満ちているのだと、この城の中にいる誰もが信じていた。
けれども、そんなものは何処にもなかった。
この城の外の何処にも、存在しなかった。
真白も黒乃も、その現実に直面したときから、自分たちがいかに世間知らずだったのかを思い知ったものだったし、だからこそ、戦団に馴染めないのかもしれないとも思ったものだった。
箱庭の世界と現実の世界が、あまりにも乖離していた。
そんなことを考えながら城の中を歩いていると、わっと声が上がった。
「あ-!」
「おにいちゃんだ!」
「にーに!」
「にいさん!」
「ましろにい!」
二人の周囲で沸き上がったのは、複数の、けれども全く同じ声だった。
二人は、あっという間に妖精たちに取り囲まれてしまったが、顔から零れるのは笑顔だけだ。
九十九兄弟を取り囲んだのは、真っ白でふわふわな衣服に身を包んだ幼い女の子たちである。
「ただいま!」
「ただいま、みんな」
真白も黒乃も、白い妖精たちと目線を合わせるようにその場に屈み込むと、彼女たちの歓喜に満ちた表情に心が洗われるような気分になった。
「おかえり!」
「おかえりなさい!」
「あいたかったよー」
「おみやげ、おみやげは?」
様々な反応を見せる八人の少女たちは、皆、瓜二つの顔をしていた。
彼女たち百瀬姉妹は、なにを隠そう八つ子なのだ。
名を一花、二葉、三月、四葉、五火、六実、七瀬、八雲という。
皆、桃色の頭髪に灰色の瞳を持ち、全く同じ顔立ちをしており、仲のいい九十九兄弟ですら見分けが付かないくらいにそっくりなのだ。性格こそ違えど、外見に全く差違がない。
だから、なのだろう。
彼女たちは、それぞれ異なる髪型と髪飾りをつけていた。
彼女たちの世話をしている妖精の国の係員にも見分けが付くように、だ。そのおかげもあって、九十九兄弟も彼女たちを一目で見分けられるのだから、有り難いことこの上ない。
そして、真白と黒乃は、彼女たちに逢うためにこそここに帰ってきたといっても過言ではなかった。
彼女たちは、二人にとって大事な妹であり、大切な家族だったからだ。