第三百二十九話 夏休み(四)
幸多が見知らぬ少女とともに空中から舞い降りてくる様は、圭悟たちにとっては唖然とするくらい奇異な光景に思えた。
幸多に自分たち以外の知人や友人がいることは当然のことであったし、そこに疑問を持つのはおかしなことだ。
実際、幸多の戦団内での人間関係など、圭悟たちには全く想像がつかないものである。
しかし、それにしたって、と、圭悟は彼が降りてくる様を見ながら、思ってしまうのだ。本当のところはどうでもいいことであり、そんなことよりも、彼の発言のほうが気にかかるのだが。
「本荘ルナって新人導士、知り合いなのか?」
「知り合いってほどじゃないよ。統魔の部下になった人だから、多少、知っている程度かな」
幸多は、愛理が地上すれすれまで降下するのを待って、法器から降りた。
愛理も地面に降りて、法器を縮小させる。彼女が多少緊張した面持ちなのは、圭悟たちと初対面だからにほかならない。
幸多は、ここに至るまでの間、圭悟たちのことを少しばかり説明している。幸多にとって掛け替えのない友人であり、親友といっても過言ではない存在であるのだ、と。
すると愛理が、一度逢って話をしてみたいといいだしたものだから、幸多もそれも悪くない考えだと思ったのだ。
愛理も、幸多にとっては掛け替えのない存在である。
そんな彼女が圭吾たちと交友関係を持つのは、幸多にとってとても喜ばしいことだった。大切な人たちだ繋がりを持ってくれることほど嬉しいことはない。
しかしながら当然だが、圭悟たちは不思議そうな顔で少女を見ていた。
「その子は?」
「愛理ちゃんだよ」
「砂部愛理っていいます! お兄ちゃんの弟子みたいなものかな」
幸多が彼女の名前だけを教えると、圭悟が半眼を向けてきたが、愛理が威勢良く自己紹介してくれたことによって事なきを得た。
「弟子って」
「えへへ……一度いってみたかったの。駄目かな?」
「いうだけなら構わないけどさ。ぼくはまだまだ弟子なんて持てる身分じゃないからね」
「じゃあ、お兄ちゃんが立派な導士になったら正式な弟子にしてもらおうかな」
「いやあ……どうだろう」
幸多は、愛理の本心そのものなのだろう言葉には、嬉しさ反面、なんともいえない顔にならざるを得なかった。
導士であろうがなかろうが、師弟関係を結ぶのは、通常、魔法士間でのことだ。魔法不能者を弟子に取る魔法士もいなければ、魔法不能者の弟子になろうという魔法士もいまい。
もっとも、幸多は、魔法不能者でありながら魔法士の師匠を持つという稀有な存在なのだが。
「ぼくは魔法なんて教えられないし……」
幸多が困り顔で言葉を探していると、愛理が憤然と、いった。
「わたしが魔法を使えるようになったのは全部お兄ちゃんのおかげなんだから、胸を張ってよね!」
「んん? どういうこと?」
「複雑な事情がありそうだな」
「いや、まあ、そこまで複雑でもないんだけれど……その話は後にしようかな」
愛理の力強い視線を避けるようにして、幸多は、圭悟たちと向き合った。
夏休みが始まって間もない頃合い。
真弥と紗江子は真っ白な服装で揃えていて、圭悟は相変わらず派手な模様の格好を、蘭は地味めな衣服を身につけている。
もっとも、この一行の中で一番目立つのは、白黒の水玉模様が特徴的な衣服を身につけている幸多なのだろうが。
愛理はといえば、半袖のシャツにハーフパンツという格好だった。その上で縮小した法器を収めるための鞄を下げている。
「二週間ぶり、かな」
幸多は、圭悟、蘭、真弥、紗江子の顔を順番にじっくりと見て、修学旅行のときから然程変わっていない様子に安心感を覚えたりした。
「皆、元気そうでなによりだよ」
「それはこっちの台詞だろうが」
圭悟は、幸多の顔つきがわずかにも鋭さを増しているような気がしつつも、結局はそれこそが彼が元気である証拠だと想い、目を細めた。童顔であることに変わりはないが、死線を潜り抜けてきた戦士のような精悍さが、そのあどけなさの側面に覗いている、そんな気がしたのだ。
「一週間意識不明で、一週間は任務漬けだったんだもんね。本当に心配したんだから」
「皆代くんが無事で、本当に……本当に……」
真弥も紗江子もまた、幸多の無事な姿を目の当たりにすることができて、心底ほっとしていた。
幸多が意識不明の重体であり、右眼と左前腕を失ったという報道がなされたときには、頭の中が真っ白になったものだ。すぐに圭悟たちと連絡を取り合い、話し合うことで正気を保たなければならないほどだった。
それくらい、真弥たちの中で幸多の存在は大きくなっていた。
たった数ヶ月の付き合い。
けれども、その数ヶ月が余りにも濃密であり、鮮烈だった。
青春そのものといっても、言い過ぎではない。
自分たちがあのような経験をすることになるとは、想像したこともなかったし、いまでも現実だったのかと思うときがあるくらいだ。
それほどの体験をすることができたのは、全て、幸多がいたからだ。
幸多がいなければ、真弥たちが対抗戦のために出来る限りの協力をして、応援に熱を入れるなど、ありえなかっただろう。
模範的な天燎高校の生徒の一人として、対抗戦など気にも留めなかったかもしれない。
蘭も、そんな風に考えている一人だ。幸多の左前腕と右眼を構成する生体義肢を見つめながら、彼の無事に胸を撫で下ろす。
幸多が意識を取り戻したことは、彼自身からの報告によってわかっていたことだし、そうした報道も無数にあったが、しかし、だ。こうして直接面と向かって話し合うことの意義というのは、極めて大きい。
彼が生きているのだと、実感できる。
真弥も紗江子も目元に涙すら浮かべていたし、幸多と同性ならばすぐにでも抱きついたのではなかろうかというくらいだった。
そんな幸多の友人たちの反応を受けて、愛理は、なんだか自分のことのように嬉しくなった。愛理自身、幸多との予期せぬ再会にとんでもなく興奮し、感動し、飛行中泣いてしまいそうになったほどだが、同じように幸多のことを思っている人達がいるという事実には、喜びが溢れるのだ。
自分ほど幸多を評価している人間はいない、という自負が愛理にはある。が、同時に、幸多を大切に想ってくれている人は多ければ多いほどいい、とも思っている。
幸多に大切な友人たちがいて、その友人たちに自分のことを当然のように紹介してくれたこともまた、愛理にとってはとても嬉しいことだ。
一方の幸多は、なんともいえず気恥ずかしくなってきていた。
皆が熱っぽい視線で自分のことを見てくるからだ。誰もが幸多の無事を喜んでくれていて、圭悟や蘭などは現実感を確かめるように左手を殴りつけてきたりする。その照れ隠しとも言える反応に心がくすぐられるのだ。
彼らと知り合えて良かった、と、想うのは何度目だろうか。
青ざめた空の下、吹き抜ける風は熱を帯び、降り注ぐ陽光は烈しく、気温は高い。夏なのだから当然だったし、公園内一面の青々とした芝生は、日光を反射して煌めいているように見えた。
公園内には、幸多たち以外にもたくさんの市民が訪れている。中でも、始まって早々の夏休みを満喫する子供たちの姿が多く、遠目にこちらの様子を窺っている人々もいた。
幸多の姿が目立っているのだ。
幸多は、もはや押しも押されぬ有名人であり、その容姿を目に焼き付けている市民も少なからずいたし、携帯端末を取り出し、映像と照合しているような人達も多かった。
そんな市民の視線の中で、幸多は、圭悟たちに向き合い、謝罪する。
「本当に……心配かけてごめんね」
「おう、もっと誠意を込めて謝れよ」
「ごめんなさい!」
幸多が深々と頭を下げると、圭悟は、複雑な気持ちになった。幸多に謝罪をされるいわれなどはない。幸多のことを心配しているのは、圭悟たちの勝手なのだ。
幸多は、導士だ。
導士の使命として幻魔と戦い、命を賭けた結果、意識不明の重体に陥っただけのことではないか。
それなのに、幸多は、圭悟たちに心配をかけたから謝りたいという。
圭悟には、幸多の思い遣りが痛いほど伝わってきていたし、だからこそ、徹底的にやらせるのがいいのではないかなどと考えたのだが、実際にそうやって謝られると、悪いことをしてしまったという気分になってしまう。
とはいえ、幸多の気持ちもわかるから、圭吾は口を開くのだ。
「……それでよし」
「なにがよ」
「そうだよ、なにがなのさ」
「皆代くん、米田くんに屈する必要はありませんよ」
「いや、別に屈したわけではないんだけど」
幸多は、圭悟を詰る友人たちの言葉の数々に苦笑した。そして、改めて、告げる。
「ぼくはただ、本当に謝りたかったんだ。ううん、ぼく自身の、ぼく個人の一時の感情が、皆を危険に曝してしまったことを考えれば、いくら謝ったって許されることじゃない」
それは、師にも厳しく言われたことだ。
あの日、あのとき、あの瞬間、幸多が取った行動というのは、とても許されるものではなかった。
幸多が無事に帰還したから、戦団にとって極めて重要な情報を得られたから、結果を見れば大正解だった、などといえるようなものではなかった。
決して。
だから、幸多は、誠心誠意、圭悟たちに謝りたかったし、謝らなければならないと想っていたのだ。
彼らとこうして再び逢うことが出来ているのは、幸運に幸運が重なっただけであり、不幸が重なれば、誰か一人、いや、愛理を除く全員が居なくなっていた可能性だって十二分にあった。
幸多の胸が締め付けられるのは、元気そうな友人たちの姿を目の当たりにしているからにほかならない。
幸多の暴走が、彼らの未来を奪っていたかもしれないのだから。