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第三百二十二話 本荘ルナの件について(三)

 統魔とうまは、ルナが本部特製味噌ラーメンをすすり始めた隣で、左隣の席に座るあざなの目を見つめていた。

 字はといえば、統魔を真っ直ぐに見つめていて、その眼差しは真剣そのものだ。

 皆代みなしろ小隊において、上庄かみしょう字は、いわば副隊長のような立ち位置にある。小隊任務の報告書の作成や各種部署との連携など、手間のかかる業務の大半が彼女によって行われている。彼女がいなければ皆代小隊は回らないだろう、というのが、統魔自身を含めた隊員たちの共通認識である。

 皆代小隊の頭脳と言い換えてもいい。

 そんな彼女の真剣な視線を受け止めて、統魔は、目を一切逸らさない。逸らしてはならない、という意識がある。

 なぜ、本荘ほんじょうルナの存在を許容できているのか。

 彼女の疑問は、もっともだ、と統魔は思う。

 本荘ルナの存在を最も糾弾きゅうだんし、最も否定し、その正体を暴くことに最も積極的だったのは、統魔だ。

 統魔こそ、光都こうとでの作戦を立案し、提案した張本人なのだ。

 統魔は、本荘ルナが幻魔げんまである、と断定し、故にこそ、今回の作戦を思い立った。幻魔ならば、空腹の末、飢餓きが状態に陥れば、魔素まその塊たる人間を襲いかかるに違いない。

 そしてそうなれば、本荘ルナを名乗る幻魔を討伐する理由が生まれ、監視任務は瞬時に本荘ルナ討伐作戦へと移行することになるだろう。

 そのためならば、統魔自身が犠牲になることもいとわなかった。

 統魔を突き動かしているのは、怒りだ。

 心の深奥にうずき続ける怒りが、紅蓮の炎となって噴き上がり、意識をき、きつけるのだ。

 幻魔を滅ぼせ、と。

「おれは……どうして幻魔をたおしたいのかと考えた」

 統魔は、一つ一つ言葉を選びながら、字に語る。

「おれを突き動かすのは、怒りだ。どうしようもなく燻り続ける怒りが、おれの全てだ。それは、幻魔へのものだと思っていた。でも、違ったんだ」

「それは……」

 どういうことなのか、と、字は問いかけて、止めた。問う必要はあるまい。統魔の言葉を待てばいいだけのことだった。

「……理不尽に対するものだったのさ」

「理不尽……」

「おれの父さんは、サタンによって命を奪われた。唐突に、有無を言わさず、理不尽に」

 統魔の脳裏のうりよぎるのは、理不尽の体現ともいえる鬼級おにきゅう幻魔サタンの姿だった。

 六年前の誕生日、それは唐突に現れ、皆代家の幸福の根源を奪い去っていった。

 その瞬間、統魔の人生は決まったといっても過言ではない。

 幻魔を根絶やしにしてやる――。

 いつの間にか握り締めていた拳を解き、手を開く。汗がにじんでいた。怒りが体温を上昇させている。体温だけではない。全身の細胞という細胞が唸りを上げ、魔素を大量に生産しているのが理解できる。魔素は魔力となり、いつでも魔法を使えるように統魔に囁きかけてくるのだ。

 怒りを解き放て、と。

 だが、統魔は、魔力を解き、魔素へと還元する。

「だから、おれは幻魔を憎んだ。幻魔を滅ぼすことで、この怒りと憎しみを燃やし尽くそうとしていたんだ。でも、本当は、それだけじゃなかった」

「理不尽こそが隊長の本当の敵だった、と」

「そういうことだ。そして、今回、おれ自身が理不尽になるところだったということを思い知ったんだよ」

「隊長が……理不尽に」

 字は、統魔の言葉を反芻はんすうしながら、本荘ルナに対する彼の言動を思い返した。

 本荘ルナを徹底的に否定する統魔の言葉と行動の数々は、確かに一方的かつ理不尽な面もあったかもしれない。強硬に幻魔であると断言し、幻魔であることを証明してみせると息巻いたという。

 しかし、それは必ずしも理不尽などではないか、と、字は思うのだ。

 本荘ルナが人外の存在であることに疑問はなく、周囲の人間を問答無用で支配する能力を持ってもいた。統魔が彼女を幻魔と断定し、排除しようとしたのは、極めて妥当な判断なのではないか。

 しかも、彼女の正体は、今も明らかになったわけではないのだ。

 ただ、幻魔ではなく、人間でもない、未知の存在であることが確定しただけである。

 そんな彼女を信用しても大丈夫なのか、という疑問を持つものも当然のようにいるのだが、字は、統魔や蒼秀が認めた以上、なにもいうまいと考えていた。

 それになにより、戦団特製料理の数々をこの上なく幸せそうに食べている横顔を見れば、彼女に悪意や敵意などはなく、純粋に精一杯生きていただけなのではいかと思えてならなかった。

 そして、字は、自らの胸に手を当てる。統魔の本音を少しだけ聞くことが出来た。

 幻魔への怒りは、理不尽への怒りである、と、彼はいった。

 彼のことは、学生時代からよく知っている。

 星央魔導院せいおうまどういん入学当初の彼は、まさに幻魔への怒りに燃える少年だった。幻魔に対する限りない怒りを炎の如く燃やし続け、魔導院の成績に反映させる彼の姿は、いまも鮮明に覚えている。

 そうした怒りを持つことは、央都おうと市民ならばありふれたものだ。

 幻魔災害が頻発ひんぱつするようになってからというもの、幻魔の被害に遭う市民の数は年々増大する一方だった。幻魔に家族や親族を殺された市民も少なくなく、復讐心を力の源として戦団に入ろうという人々も少なからずいた。

 統魔が、そうであるように。

 しかし、統魔の怒りは、幻魔だけでなく、あらゆる理不尽に向けられるものであるらしいということがわかると、彼がよく怒っていたことにも合点が行くような、そんな気がした。

「よくそんなに食えるな」

 統魔が呆れたようにいったのを聞いて、字もルナを見た。

 ルナは、既にラーメンを三杯、丼物を五杯、さらに野菜の盛り合わせや焼き立てのパンなど、様々な料理の皿を空っぽにしていて、周囲の度肝を抜いていた。

 やはり、人間ではない、と、誰もが思ったことだろう。

 しかし、ようやく食事にありつくことができて、幸福感一杯の彼女の様子を見れば、人間ではないことなど些細な問題なのではないか、と思えてしまうのは、彼女に支配されているからなどではあるまい。

 字には、ルナに支配されていたときの記憶がある。ルナの精神支配の影響下にあるときの字は、ルナを全肯定するだけの存在だった。ルナは人間である、という考えしか浮かばず、それ以外の可能性を考慮することができなかった。

 いまは、違う。

 本荘ルナに関するあらゆる可能性を考えることが出来た。人間ではない、と、断言することもできる。それはつまり、彼女の精神支配を受けていない、ということになるのだが、それはなぜなのか。

『おそらく、だが……彼女の精神状態が安定したから、ではないだろうか』

 とは、ルナの周囲で精神支配が起きていない現状に対する蒼秀そうしゅうの推測である。

 確かに、ルナの精神状態は、一時期に比べると格段に安定し、良くなっているように思えた。

 本荘家でルナの姿を見たとき、彼女は錯乱さくらんしているといっても過言ではなかった。その表情、言動一つ取っても異様としか言いようのない有り様であり、だからこそ、その強大な力が暴走し、周囲の人間を無意識のうちに支配していたのではないか。

 そして、統魔という拠り所を見つけた今、落ち着きを取り戻し、周囲を支配する必要がなくなったのだ。

 字にとっては、多少、気に入らない展開ではあるが、戦団に大規模な混乱が起きるような事態は防がれたのだから、良しとするしかない。

「統魔も食べればいいのに。おいしーよ」

「美味いのは知ってる。けどなあ」

 統魔は、テーブルに並んだ空っぽの皿や丼鉢を見回し、腹を撫でた。

「見てるだけで腹一杯だ」

「わたしはまだまだ腹ぺこなんだけど」

「まだまだかよ」

 統魔が呆れ果てたようにいう隣で、ルナは満面の笑みを浮かべる。

 ルナが食事を終えるまで、大食堂の厨房は多忙を極めた。次々と注文が飛んできて、手を休める暇がなかったからだ。ルナは、ただ大食いなだけではなく、食べるのも速かった。次々と到来する料理を瞬く間に食べてしまうその早業には、誰もが絶句するほどだった。

 そんな大食堂を騒がせたルナだが、その処遇が決まったのは、彼女が腹八分目に食事を終わらせた後のことだった。

「あれだけ食っといて八分目かよ」

「偉いでしょ」

「どこがだよ」

「腹八分目ってとこ」

「……食い過ぎだ」

「えー」

 ルナは、統魔の肩に寄りかかりながら、甘ったるい声を上げる。

 その様を横目に見ながらも気にしないようにしているのが字であり、そんな字をにやにやしながら眺めているのが香織かおりである。

「相変わらず趣味が悪い」

「まあ、あんなもんでしょう」

 枝連しれんつるぎは、香織の反応を見て、肩を竦め合った。

 大食堂の一角である。テーブルの上に並んでいた食器の数々は既に撤去されていて、十人分の飲み物が並んでいる。そのうち、五人分がルナの飲み物だ。

護法院ごほういんが、きみの処遇を決めたよ」

 と、ルナに話しかけたのは、蒼秀である。

 蒼秀もまた、ルナの大食いぶりに唖然としていた一人ではあったが、いまは、彼女の目の前に並んだ五人分の飲み物を目にして、どう反応するべきか困り果てたような顔をした。

 所用で席を外していたからこその衝撃だろう。

 統魔は、少しだけ、師匠に同情したものだった。

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