第三百二十一話 本荘ルナの件について(二)
光都跡地での任務を終え、戦団本部へと帰投した第九軍団一行は、軍団長・麒麟寺蒼秀によってその任を解かれた。
本部に帰投したのは、その日の内のことである。
推定上位妖級幻魔オファニムとの死闘によって大半の導士が精根尽き果てたような状態であったが、戦闘に伴う疲労が回復するまで光都の廃墟で待機するという選択肢は端からなかった。任務に参加していた全員が戦団本部への帰還を望んだのだ。
そして、帰還するなり多くの導士が第九軍団の兵舎に向かい、仮眠室なり自室なりへと戻っていった。
統魔は、蒼秀によって本荘ルナのお目付役を命じられたということで、本部に帰り着いても、休むに休めない状態だったのだが。
それは、皆代小隊の面々も同様だった。
誰もが消耗し尽くしていたものの、隊長である統魔のことを放って置くことなどできるわけもなかった。そんな薄情な人間など、皆代小隊にはいないのだ。
もっとも、統魔は、部下たちに休むようにといった。オファニムとの戦いで誰もが消耗し尽くしている。部下に休養を命じるのも、隊長の務めだ。
だが、部下たちは、誰一人として彼の命令を聞かなかった。
「たいちょーだって疲れてるじゃないっすか」
「そうだよ、統魔くんだって休めないのに、ぼくたちだけ休むだなんて」
「ありえんな」
「まあ、それもどうかとは思いますが……わたしも同じ気持ちです。隊長」
普段から統魔のことを気遣ってくれる字だけでなく、香織も剣も枝連までもが頑なだったものだから、統魔もなにもいえなかった。
本荘ルナはといえば、光都を去るときから統魔にべったりとくっついて離れようとしなかった。
統魔としては、なにかと邪魔で鬱陶しくて仕方がなかったのだが、自分自身が力尽きかけているということもあり、どうすることもできなかった。
また、彼女は、監視任務に至るまでのような剣呑さや戦団に対する不信感、あるいは自分自身の存在に対する不安といったものが消え失せたようであり、統魔だけでなく誰に対しても極めて友好的な反応を示した。
彼女は、自分の存在が蒼秀によって許容され、導士たちに受け入れられたことが心底嬉しいようだ、と、統魔は、移動中、彼の膝に頭を乗せて目を閉じる少女を見つめながら、思ったものである。
数日間一睡もしていなかったルナは、本部への移動中の車内ではぐっすりと眠りこけていたのだ。
緊張する必要もなければ、警戒する必要もなく、安心して統魔に身を委ねることができる――彼女の幸せそうな寝顔は、そう断言しているようだった。
そして、戦団本部に辿り着けば、待ち受けているのは、護法院の裁断である。
光都での監視任務に関する報告は蒼秀によって行われており、護法院は蒼秀の報告や光都における騒動に関する全ての情報を元にして、ルナの処遇を決めるのだ。
それまで、ルナは第九軍団が監視しておくように、という通達が入っていた。
つまり、第九軍団の監視下ならば、ルナはある程度自由に行動しても構わないということになる。
「本部についたら、まずなにをしたい?」
「お腹ぺっこぺこなんだけど」
「そうだったな……」
統魔とルナの車両内で交わした会話といえば、それくらいのものだ。なぜならば、ルナは、それからすぐに夢の国に旅立ってしまったからだ。
統魔は、魔力を消耗し尽くした結果、とてつもない疲労感に襲われていたが、しかし、そのせいなのか眠気は一切なかった。
ともかく、戦団本部に到着後、統魔率いる皆代小隊が本部棟一階の大食堂に向かったのは、ルナの要望を叶えるためなのだ。
大食堂内には、任務か訓練、あるいは本部内での業務を終えた導士たちの姿があり、ルナの奇異としか言いようのない格好は人目を引いたが、こればかりは仕方のないことだった。
字がルナにその格好はどうにかならないのかと注文を付けたのだが、ルナにもどうしようもないらしく、途方に暮れたような顔をして統魔に縋りついてきて、そのことが字を苛立たせたりした。
ルナが今の姿に変貌したのは、彼女自身の望んだものではなく、気がつくと変わり果てていて、元に戻すことも、さらに変身するといったこともできないらしい、ということが彼女の言動からわかった。
しかし、それが人間から人外の怪物へと変容した結果などではあるまい。
あのとき、統魔たちが本荘家で彼女を発見したときには、既に彼女は人間ではなかったのだ。
それも、人間でも幻魔でもない別種の存在になったのではないか、と推測されている。
だからこそ、彼女には、人間時代の記憶があり、連続性があるのではないか。
でなければ、説明がつかない。
人間と幻魔の間には連続性はない。
これは、長年の研究の結果、明らかになったことだ。その研究成果を覆すような出来事は、今のところ確認されてはいない。
幻魔が人間に擬態し、活動することがあるという恐るべき事実が最近明らかになったものの、人間に擬態した幻魔を解析すれば、百パーセントの幻魔成分が検出されるはずであり、ルナと同じ解析結果が出ることはあるまい。
彼女の存在全てが規格外であり、例外であり、特異であり、神秘といっても過言ではなかった。
そしてなにより、飢餓の極致に至ってもなお人間を襲うことのない自制心の強さは特筆に値したし、誰かのために命を投げ出すことのできる自己犠牲の精神の持ち主であるということは、第九軍団の導士たちもその眼で見ていた。
統魔も、だからこそ、彼女を受け入れたといっていい。
ルナの、切羽詰まった慟哭とも絶叫ともいえる声を聞いた。
彼女が人の姿をした怪物であることに変わりはない。
が、その精神性は、他者を思い遣ることのできる人間そのものであり、他者のために自分の命を投げ出すことのできる心の強さは、眩しくさえあった。
ルナの格好が悪目立ちしてしまうのは、この際、どうでもいいことだと考えるしかない。
大切なのは、本荘ルナという少女の存在を認めるということではないか。
統魔は、字たちと感情豊かに言い合いをして、挙げ句ふくれっ面を見せるルナの柔らかな表情を認め、そんな風に想うのだ。
そして、席についたルナは、幻板に表示された献立表に目を輝かせた。様々な料理が映像つきで紹介されており、どれもこれも美味しそうだった。ルナはよだれさえ垂らしながら、つぎつぎと料理を注文していく。
あっという間に数十人分の注文となり、さすがの統魔も心配になったほどだ。
しかし、献立表と格闘している彼女の幸福そうな表情は、統魔たちにも幸福感を分け与えるくらいのものであり、字は香織と顔を見合わせ、笑い合うほかなかった。
「食事をしたいという点でも、幻魔とは違うな」
「食い意地の張った子供のようですね」
蒼秀と八咫鏡子が話し合う声は、統魔の耳には届いた。
確かに、その通りだ。
幻魔は、魔素や魔力を吸収することを食事とする。
特に魔法士が死ぬことによって生じる膨大かつ高密度の魔力を好み、故に幻魔は、人間を見れば襲いかかり、殺戮するのだと考えられていた。
幻魔が魔素や魔力以外のなにかを食したという記録はなく、故に、ルナがラーメンや丼物をたらふく食べている様は、彼女が幻魔ではないことを証明するかのようだった。
同時に、人間ではないことも証明している。
彼女が人間ならば、テーブルに並びつつある大量の料理を食べ尽くす事などできるわけがなかった。
それこそ、数十人分の料理である。
幸多も大食いだが、さすがにこれほどの量を食べられるわけもない。
統魔たちは、ルナの注文量に唖然となったし、食べきれるものなのかと心配になり、彼女に何度となく聞き返したほどだ。
しかし、ルナは、当然のようにいった。
「五日以上なにも食べてないんだよ?」
彼女の腹は、大食堂に足を踏み入れてからというものずっと鳴り続けていた。
彼女がどれほど空腹に耐えてきたのか、飢餓感と戦い続けてきたのかが統魔たちにもはっきりと伝わってくるようだった。
「そりゃあ……そうだが」
「なるほどー、十五食分と考えれば、これくらいは必要だねえ」
「空腹ってそういうものでもない気がするんだけどね」
「……人間ではありませんね」
「それは、彼女自身、認めてることだ」
字のつぶやきを聞いて、統魔はそっといった。
ルナは、もはや自分が人間であることに拘りを持っていなかった。いや、人間であると言い張りたいという気持ちはあるのかもしれない。しかし、人間ではないという事実を認識してしまった以上、そんなことをいえるわけもない。
人間ではなく、怪物であると認めること。
それは、自分のことを人間であると思い込み、今日まで生きてきた彼女にとって、己の存在そのものを否定することだろう。
それを認めることにどれだけの痛みと苦しみがあったのか、統魔には想像もつかない。
だが、認めるしかない。
自分が人間ではない、と、感じてしまったのだから。知ってしまったのだから。理解してしまったのだから。
「隊長は、どうして……どうして、彼女を受け入れることにしたんです?」
字の疑問は、おそらく皆代小隊の隊員たち全員の疑問でもあるに違いない。
統魔は、字のその真っ直ぐ過ぎる視線を見つめ返し、思考を巡らせた。
テーブルには、ルナが注文した料理が並び始めている。
「頂きまーす!」
ルナの元気そのものの声が大食堂に響く中、統魔は、息を吐いた。
なぜ、自分が本荘ルナを受け入れたのか。
それについて、真正面から考える必要がある。




