第三十一話 反逆
六月になった。
季節は移ろい、春が終わり、夏が訪れようとしている。
春の涼やかさはもはや遠い過去のものとなったかのように、日夜、熱気に満ちた練習を繰り広げているのが、幸多たち天燎高校対抗戦部だ。
そんな対抗戦部の様子を窺うのは、天燎高校の生徒たちである。
幸多たちが対抗戦部として動き出して二月近くが経過し、部を取り巻く状況は少しずつ変化を見せていた。
対抗戦だけに特化した部であるところの対抗戦部は、当初、天燎高校の生徒たちに名指しで馬鹿にされていたものだ。
それはそうだろう。
天燎高校の生徒たちのほとんどが天燎財団系列の企業に就職するためにこそ、この学校に通っている。対抗戦に出るなど、なにかの罰以外には考えられないと思っている節があり、そんなものに全力で取り組んでいる幸多たちを指差して笑ったものだった。
しかし、そうした反応は、一月もすれば変化が現れ始めた。
幸多たちの練習風景を覗き見た生徒たちは、その本気振りを嘲笑おうとしていたのだが、物凄まじい熱量を前に次第に言葉を失っていった。
幸多たちは、優勝することを目標に掲げている。生半可な練習では、優勝などできるわけもなく、だからこそ、幸多たちは血反吐を吐きそうになるほどの練習を日々行っているのだ。
優勝を狙える可能性が最も高いのは、今年が一番だ。
なにせ、予選を免除されている。
いきなり決勝大会に出られるのだ。
これほどの好機はなく、これ以上の機会もない。今年を逃せば、二度と決勝大会に出られない可能性だってあるのだ。
葦原市には、央都一の強豪校、星桜高校が存在し、予選大会で星桜高校を打倒しなければ決勝大会に進出できない。来年以降、星桜高校を打倒し、予選大会を突破できるという明確な予想図が浮かび上がらなかった。
厳しい練習会だったが、だれも音を上げなかった。
圭悟によって強引に付き合わされているだけのはずの怜治と亨梧すらも、毎日の練習に律儀に付き合っていた。
「本当に優勝する気なんだよな、あいつ」
亨梧が呆れ果てて感動すら覚えるとでもいわんばかりにつぶやけば、怜治も頷くほかなかった。
「なんていうか、なんなんだろうな、あいつ」
形容する言葉が思いつかなくなるほど、怜治は、皆代幸多という人間がわからなくなっていた。
二人は、幸多が猛練習に励んでいる様を眺めている。
幻想空間内には、対抗戦部の全員が集まっていて、幸多のためだけの閃球の猛特訓が繰り広げられているのだ。
幸多は、たった一人で、圭悟、法子、雷智の三人を相手にしなければならず、特に法子に翻弄されていた。しかし、彼は諦めない。星球を奪い、保持し、星門を目指し、星球を投げ放つ。
そんな様を眺めていると、皆代幸多という人間について考えざるを得なくなる。
彼は、魔法不能者だった。
この魔法社会において、魔法不能者というのは低く見られがちだ。道理だろう。だれもが当たり前のように使えるはずの魔法を使えないのだ。低く、弱く、小さく見られるのは、当然の理屈だった。
遥か遠い昔、世界中で当然のように横行したという不能者差別は、現代社会においては表立って行うものは少ない。
魔法不能者は、魔法が使えないというだけで、ほかの能力が魔法士に劣るというわけではないのだ。むしろ魔法士が魔法を修得するために割かなければならない時間をほかのことに当てられるというのは、大きな利点である、と、魔法不能者たちは主張する。
実際、様々な分野で魔法不能者が活躍しているという事実があり、そういう意味でも、魔法不能者を馬鹿にすることは出来ないというのが実情なのだ。
曽根伸也ほどの差別主義者は、ほとんどいないといっていい。
曽根伸也のほうこそが希有な例外なのだ。
曽根伸也は、幸多を魔法不能者という理由だけで差別し、迫害しようとした。が、逆に完膚なきまでに打ちのめされた挙げ句、姿を消してしまった。
それは、怜治たちにとっての転機となった。
曽根伸也に支配されるようになって数年、二人は、常に暗澹たる闇の中を歩いているような気分だった。どこにも光はなく、だれも助けてはくれない。
それはそうだろう。
曽根伸也は、曽根家の跡取りであり、将来を約束された栄光の人生を歩んでおり、その子分ともいえる二人の立場も決して悪くはならない。
だれもがそう見ていたに違いない。
そして、怜治たちもそう考えていた。曽根伸也の我が儘に付き合っていれば、輝かしい将来が待っている、と、そう信じていたのだ。
もっとも、実際にそうなったのかは、わからない。
曽根伸也の気分次第では、どこかで見捨てられた可能性も大いにあった。
だからこそ、だ。
だからこそ、怜治と亨梧は、人生の転換期を迎えているいまにある種の満足感を覚えていたし、日々の練習も苦にならなかった。
体を動かすことがこれほどまでに楽しく、爽快感すらあるということを思い出せたのも、この部活のおかげだった。
強引にも誘ってきたのは米田圭悟だが、むしろ部活の原因ともいえる皆代幸多にこそ、感謝しなければならない。
皆代幸多が、どれほどの苦難にぶつかろうとも音を上げず、へこたれることもなく立ち向かい続けているからこそ、二人もまた、立ち上がれるのだ。
彼は、なんなのだろう、と、怜治は考える。
皆代幸多のような人間は、これまでの怜治の人生に存在しなかった。少なくとも、怜治が多少なりとも深く知っている人間の中には、だ。
珍しい種類の人間だと、彼は思う。
魔法不能者が己の不幸な境遇に打ちのめされず、まっすぐに生きること、それ自体はなんら珍しいことではない。この世には、ありふれたことだ。あまりにもよくあること過ぎて、なにもいうことがなかった。
しかし、幸多は、どうだ。
魔法社会に真っ向から立ち向かおうとしている。
魔法不能者が対抗戦に出て優勝をかっさらおうと考えることそれ自体が、魔法社会に対する反乱といっても言い過ぎではないのではないか。魔法競技に魔法不能者が出て、勝利することなど、通常ありうることではない。
が、彼はそれをなそうとしている。
さらに、だ。
魔法士しか必要としていない戦団の戦闘部に入ろうとさえしている、という事実には、怜治も亨梧も目を丸くしたものだった。
皆代幸多は、まさに反骨精神の塊のような存在だといわざるを得ない。
「よし」
怜治は、幸多の頑張りに感化されるようにして立ち上がると、練習に参加すると名乗りを上げた。
そんな練習風景が部外者の生徒たちに見守られていることを幸多たちには知る由もなかった。
「対抗戦部、というそうだが」
天燎鏡磨は、理事長室に川上元長を呼びつけるなり、出し抜けにそういった。
天燎高校の校長は、困惑を隠しきれないといった様子で、彼が端末で表示した幻板を見ている。
鏡磨がなにをいいたいのか、まったく察していないのだろう。
「天燎高校対抗戦部、か。まったく、わたしの気も知らず暢気なものだ。そうは思わないかね」
「は、はあ……」
「いや、いいのだよ、それ自体は。なにせ、我が校の生徒たちは、対抗戦になど出たくないというのが大半だろう。率先して出場してくれるのだから、生徒たちにとっても、きみら教師たちにとっても、これほど有り難い話はなかったはずだ」
「それは、はい。仰る通りで」
校長は、その表情から態度に至るまで恐縮しきっていた。
天燎高校対抗戦部が発足したのは、四月である。その申し込みがあったとき、天燎高校の教師陣は大いに驚くとともに、歓喜したかもしれない。なにせ、対抗戦に出るとみずから手を挙げてくれたのが、彼らなのだ。
これまで天燎高校は、対抗戦に出場する生徒を選出するのに難儀していたという事実があり、教師たちの困惑と喜びの振幅たるや、想像に難くない。
それからおよそ二ヶ月。
対抗戦部は日々練習に勤しんでおり、その練習風景の記録映像がどういうわけか鏡磨の元に届けられていた。
鏡磨は、幻板に表示した動画を一時停止した。そこには一人の生徒が星球を投げようとしている様が映っている。
「しかし、彼はなんだ」
「皆代幸多、ですか」
「そうだ。皆代幸多。彼はあの皆代統魔の兄弟だという話だが、本当なのかね」
「はい、事実かと。血は繋がっていないようですが」
「ふむ、なるほど」
鏡磨は、幻板に大きく映し出された生徒を見つめながら、考え込む。
「皆代幸多か。魔法不能者が対抗戦に出るなど前代未聞だが、しかし、そうとなれば話は変わってくるか」
「どういう……」
「いや、こちらの話だ」
鏡磨は、川上元長に視線を移し、静かに告げた。
「決勝大会は海上競技場だったな」
もうすぐ予選大会が始まる。
予選大会が終われば、すぐに決勝大会だ。
天燎高校が決勝大会に出場するのは、対抗戦始まって以来のことであり、快挙といっていい。無論、予選を免除されたからだが。
「少しは、面白いことになってくれるといいのだがな」
彼は、期待を込めずに練習動画を再生させた。
優勝など万にひとつもあり得ないのだが、もしそんなことになれば、と、鏡磨も思わずにはいられなかった。
それは、この魔法社会に対する反逆に等しい。
戦団が支配する現行秩序への、大いなる反逆――。




