第三百十五話 統魔とルナ(十一)
統魔を苦しめているのは、自分。
統魔の自由を奪っているのは、自分。
であれば、死ねばいい。
どうせ、自分には未来などないのから、死ねばいい。
そうすれば、統魔は苦痛から解放され、自由になる。自由になった統魔は、無敵だ。きっと、オファニムだって斃してくれるだろう。
そう、確信している。
なぜなのかは、わからない。
ルナは、一瞬にして遥か彼方へと飛び去っていた統魔を目で追うことも叶わず、視界を埋め尽くした膨大な魔法の莫大な光と熱に目を細めた。白く、赤く、なにもかもが塗り潰されていく。圧倒的な熱量が全周囲から殺到してきていて、あっという間に全てを飲み込んでいくようだった。
これなれば、一瞬だ。
一瞬で、終わることが出来る。
死ぬのは、嫌だ。
嫌だが、
(痛くないなら、いいかな)
ルナは、内心、強がりをいって、笑った。
そして、彼女の全身を凄まじい衝撃が襲った。爆音が鳴り響き、鼓膜が突き破られたのではないかと思うほどだったし、だから無音が訪れたのかと納得した。そして、痛みが思ったほどではなかったのは、良かったとも思った。
一瞬で死ねたということだ。
では、この意識はなんなのか、という疑問が沸き上がってきたのは、視界を染め上げる白が薄れはじめてからのことだった。
「一体なに考えてんだ、馬鹿野郎!」
予期せぬ怒鳴り声が耳朶を貫いたものだから、彼女は、呆然とした。そして、視界の彼方で巨大な光の球が消滅していく様を目の当たりにする。
自分の身に一体なにが起きたのか、すぐには把握できなかった。
確かにオファニムの無数の魔法が殺到してきて、爆発したはずだ。それが魔法の直撃でないのだとしたら、なんだというのか。どうして自分の意識は存在していて、目が見え、声が聞こえているのか。
生きているのか。
なにも、わからない。
「死んだらどうすんだ!?」
わけのわからないことを叫んでいるのが統魔だと気づいたのは、自分が彼の腕の中にいるということを理解したのとほとんど同時だった。だからこそ、混乱がルナの脳裏を席巻する。
事態が、全く以て飲み込めない。
ルナは、統魔の腕の中から逃れたはずだった。彼を苦しめるものから解放するため、彼を自由にするために、飛び出したはずだった。そしてそのまま、オファニムの魔法に包囲され、押し潰されるようにして死ぬはずだったのだ。
なのに、生きている。
なのに、彼の腕の中にいる。
まるで夢の中にいるような気分だった。
それも悪い夢ではない、とても甘美な夢だ。
「ああ、そっか」
ルナは、理解した。
「これが天国なんだ」
「なにいってんだよ!」
統魔は叫びながら、全速力でその場を飛び離れる。長時間飛び続けて、いまにも魔力が尽き果てそうだった。それでも飛ばなければならない。オファニムが狙っているのは、腕の中のルナなのだ。
それは、つい今し方、さらに確定的なものとなった。
統魔に向かってきていた魔法の数々が、ルナが落下し始めた瞬間、その矛先をルナへと変えたからだ。
一瞬にして、全ての魔法がルナへと殺到する様を統魔は見ている。
オファニムの狙いが彼女だということは端からわかっていたことではあるのだが、これによって確証を得られたのだ。
「え、違うの?」
「むしろ地獄だぜ、この世界は」
「地獄……」
ルナは、統魔の言葉を反芻するのみだ。
彼女には、状況が全く理解できていないようであり、統魔は、なんともいえない顔になった。
統魔は、ルナが落下した瞬間に大急ぎで旋回し、超加速でもって包囲網の中へと突入したのだ。そして、オファニムの攻撃魔法を光の翼で弾き飛ばしながら、再びルナを確保することに成功している。多少の衝撃こそ受けたものの、大打撃というほどのものではない。
そのまま包囲網を離脱し、現在に至っている。
が、それでオファニムの攻撃が止んだわけではない。
第九軍団の導士たちによる集中砲火も続いているが、それ以上にオファニムの攻勢は苛烈さを増し続けていて、光の矢、熱線、光輪に加え、炎の剣のようなものまで飛ばしてくるようになっていた。
それらは全て、ルナを目標とした追尾誘導式の魔法である。
統魔は、ルナを抱き抱えたまま、飛び回りながら、状況が好転するのを待たなければならなかった。
ルナが周囲を支配する能力さえ持たなければ、導士たちと合流し、防型魔法による鉄壁の布陣に任せるという手もあるのだが、残念ながらそのような真似は出来なかった。
とはいえ、導士たちが戦場一帯に展開してくれている魔法壁は、十分に頼りになった。少なくとも時間稼ぎにはなる。
「だったら、どうして統魔がいるの?」
「はあ?」
「ここ、地獄なんでしょ?」
そりゃあ、地獄に生まれたからだろ――などとは、統魔はいわなかった。
ルナが混乱しているのは、その反応からも明らかだ。自分が死んだと思い込んでいるのかもしれないし、爆撃の衝撃を受けて、意識が朦朧としているのかもしれない。いずれにせよ、正常な精神状態ではない。
一方で、統魔は、内心舌打ちしてもいた。
自分は、なにをしているのか、と、自身を激しく罵りたかった。なぜ、ルナを助けるような真似をしたのか。自ら死ににいってくれたのだから、放っておけば良かった。それで彼女が死ねば、万事解決したのではないか。
周囲の人間を支配する正体不明の怪物が消えてなくなるということは、戦団にとって大きな問題が片付くということにほかならない。
だが、統魔は、飛び出していた。無意識の行動だった。気がつくと体が動いていて、そうなったらもうとめられなかった。
その結果がこのザマだ。
彼女を保護し、再び逃走劇を展開する羽目になったのだ。
これがルナの精神支配の影響でないことは、疑いようがない。
なぜならば、統魔が急速旋回したときには、ルナの精神支配の影響範囲外まで離脱していたからだ。
つまりは、無意識ながらも自分の意志でもって、彼女を救ってしまったということになるのだが、それはいま考えることではない、と、統魔は断じた。
考えるべきは、オファニムのことだ。
オファニムの熾烈極まる攻撃の雨霰を躱し続けるのも、そろそろ辛くなってきていた。全速力で飛び回り続けているのだ。魔力を消耗しきっている。いまにも力尽き、落下するのが目に見えていた。
そうなれば、死ぬだけだ。
(笑えねえ)
統魔は、内心、苦笑するしかなかった。それでは、ルナを確保した意味がない。ルナだけでなく、統魔までも死ぬような結果になれば、目も当てられないだろう。
(師匠……!)
祈るような気持ちで、統魔は、蒼秀に頼み込んだ。蒼秀の実力からすれば、オファニム程度など一蹴できるはずだった。
オファニムは、上位妖級幻魔と認定された。
星将は、鬼級幻魔と戦うだけの力を持った導士であり、戦団最高峰の魔法士なのだ。上位とはいえ、妖級幻魔と鬼級幻魔の力の差は絶対的といっていいほどに大きく、隔絶されている。
本来ならば、妖級如き、星将の手を患わせるべきではないのだ。
だが、オファニムは、ただの妖級幻魔ではなさそうだった。
魔法が通用しないという時点で、あり得ないことであり、考えられないことなのだ。
だからこそ、ノルン・システムによる解析結果が待たれるのだが、この廃都でノルンによる生体解析を行うことなどできるわけもない。導士たちが獲得した情報を元に分析するほかなく、そこから導き出される答えが生体解析ほど微細で徹底的なものになるとは考えにくい。
で、あれば、どうするべきなのか。
蒼秀は、星象現界を使うべきかどうか、考えていた。現状、オファニムには魔法が一切通用していないように見えたからだ。星象現界を発動したとして、通用しなかった場合、圧倒的に不利になるのはこちらだ。
「そんなこと、万が一にもあるのでしょうか?」
鏡子が、魔法で生み出した自身の鏡像とともに魔法攻撃を繰り出しながら、疑問を浮かべた。
「わからん……だが」
蒼秀は、渋い顔でオファニムを睨む。
今のところ、妖級程度ならば問答無用に粉砕するはずの攻型魔法すらも一切通用せず、傷ひとつ付けられていないというのが気がかりだった。
オファニムを弾き飛ばしていた魔法は、いまや、オファニムの周囲に展開する光の波紋に飲まれ、球形の巨躯に到達することすらできないでいる。
この状況で星象現界を使うのは、得策なのか、どうか。
などと考えていたそのときだった。
突如、オファニムの球形の巨躯に巨大な穴が穿たれた。
それは、巨大なハート型の穴であり、蒼秀の位置からはオファニムの後方に広がる廃墟すらも見えた。
「なんだ……!?」
「なにが……!?」
誰もが唖然とするのは、当然のことだっただろう。
そして、オファニムの四つの目から光が失われると、全身からも光がなくなり、翼も光輪も消え去った。浮力を失った巨躯は、音もなく、廃墟の真っ只中へ落下した。そこへ、無数の魔法が殺到し、着弾。凄まじい爆発が嵐のように吹き荒び、天地を揺らすようだった。




