第三百十四話 座天使(二)
オファニムの球体染みた巨躯が、無数の熱線を吐き出しながら、光都の廃墟を徹底的に破壊し尽くしていくかのように跳ね回る様は、なんともいえない不気味さがあった。
オファニムは、相変わらず無傷だ。
本荘ルナに対応するため、この光都に潜伏していた五十名余りの選りすぐりの導士たちが、オファニム討伐のために動き出していて、攻撃魔法を放っているにもかかわらずだ。
麒麟寺蒼秀の雷魔法・鳴雷を皮切りに、数え切れない量の魔法が飛び交い、その尽くがオファニムの巨躯に直撃している。
それなのに、オファニムの体にはかすり傷一つつけられていない。
オファニムは、その魔素質量から上位妖級幻魔に認定された。
妖級上位といえば、鬼級一歩手前の等級である。その力は鬼級に遠く及ばないとはいえ、極めて強大であり、ただ移動するというだけで周囲に甚大な被害をもたらすとされている。
事実、オファニムがただ跳ね回っているだけで、光都跡地が原型を失うかのように崩壊していっていた。
幻魔災害そのものを体現しているようでもあった。
だが、オファニムの問題は、そんなところではない。
魔法による苛烈なまでの一斉攻撃が、一切効いていないという事実のほうが問題なのだ。
「どゆこと?」
香織が、剣の法機の後ろに跨がりながら、憮然とした表情を浮かべた。彼女を始め、皆代小隊の魔法攻撃の数々も、オファニムには全く効果がなかった。
相手が上位妖級幻魔だから効果がない、などということは、考えられない。仮にそういう事実なのだとしても、星将たる蒼秀の魔法すらも全く効いていないことの説明はつかないだろう。
香織たちと蒼秀の魔法技量は、隔絶しているといっても過言ではない。
「オファニムに魔法に対する極めて強い耐性があるということでしょうか」
頭上の字が補型魔法を紡ぎながらつぶやけば、枝連が首を捻る。
「どうだかな。軍団長の魔法すら通用しないっていうのは、いくらなんでも異常だ。風雨じゃない」
「統魔くんがいうには、あいつが狙ってるのはルナさんだけみたいだけど……」
剣は、廃墟を破壊し尽くす勢いで跳ね回るオファニムが、いまや熱線のみならず、光の矢を放ち始めたのを見て、いった。その魔法の数々は、跳ね回っていることによって周囲に散乱するのだが、大半は、目標に向かって収束していくようだった。
目標とはつまり、本荘ルナを抱え、上空を飛び回る統魔だ。
「じゃあ、ルナっちを差し出して、穏便に帰ってもらうってのはどう?」
香織が真剣な顔で提案すると、一瞬、小隊の動きが止まった。通信が入る。
『却下だ』
『そうよ、却下よ』
『おまえは黙ってろ』
『なんでよー』
『おまえには関係がないからだ』
『関係ありありなんだけど』
『ない。一切、ない』
『むー――』
通信が途絶えたのは、統魔が通信を切ったからにほかならないが、それは無論、話を聞かれたくないからなどではなく、オファニムの魔法攻撃が苛烈さを増したからだ。
夜空を彩る無数の熱線、数多の光の矢が、幾千の軌跡を虚空に刻みつけるようにして、統魔の元へと殺到していく。
統魔は、全周囲から飛来するそれら魔法の数々を躱し続けなければならず、また、彼を護るために展開された無数の魔法防壁が、光の矢や熱線を受け止めては爆散した。
「なんだかイチャイチャしてますなー」
香織が遥か上空を超高速で飛び回る統魔を見遣りながら軽口を叩くと、字が口を開く。
「どこがですか。隊長は、本荘ルナさんの正体を暴くためにですね」
「はいはい、たいちょは真面目、たいちょは真摯、たいちょは冷静、たいちょは素敵、かっこいー、さいきょー」
「その通りです」
「……そうだね、その通りだね」
香織は、字の視線がオファニムではなく、統魔に集中していることに気づくと、それ以上からかわないことにした。
空中に無数の閃光が爆ぜ、魔法が炸裂し続ける中、オファニムへの攻撃もまた、さらに激しさを増していく。
導士たちによる集中砲火ともいうべき攻型魔法の連打。爆撃に次ぐ爆撃がオファニムの巨躯を上空に打ち上げてしまうと、オファニムは、その光の翼を最大限に広げて見せた。オファニムの全身から光の波紋が広がり、殺到する魔法の数々を粉砕していく。
ついに自衛することを覚えたかのようだったが、しかし、オファニムが攻撃するのは、統魔たちだけだった。
光の矢、熱線、そして光の輪が次々とオファニムから放たれ、統魔へと向かっていく。
統魔は、それらの魔法攻撃を避け続けるので精一杯だった。
オファニムを攻撃している暇もなければ、攻撃したところでどうにもならないのだろうという確信もあった。
蒼秀の鳴雷のみならず、析雷も、土雷も効いていないのだ。
鏡子の魔法も、他の杖長や高位導士の魔法も、オファニムに傷ひとつ付けられていない。
そして、さっきまで攻撃を食らっては跳ね回っていたオファニムは、ついに空中にその巨躯を固定し、魔法攻撃から身を守るようになってしまった。
オファニムの攻撃は熾烈さを増す一方であり、統魔は、全身全霊の力を込めて逃げ回る必要が出ていた。光の翼に魔力を注ぎ込み、加速し、高度を上げ、あらゆる方向から飛来する数多の魔法を回避し続ける。
本荘ルナは、統魔の腕の中にあって、彼にしがみついていた。それしかできなかった。なにが起きているのか、なぜ、こんな目に遭わなければならないのか、なにもわからない。ただ、わかっているのは、統魔が苦痛の呻きを上げているということだ。心拍数が上がっていて、体温も上昇し続けている。全身の魔素という魔素を絞り出し、魔力を練り上げ、飛行魔法を維持し、さらに力を注ぎ続けているのだ。
相当な負荷がかかっていることは、彼女にも理解できた。
彼を苦しめているのは、誰か。
本荘ルナは、オファニムと名乗った怪物を見遣った。遥か眼下、巨大な球体が二つの顔をこちらに向けており、眼光が二人を追い続けていた。無数の光がその球体から放たれていて、二人を追尾している。
そこには明確な殺意があった。
「本当に、わたしを殺しに来たのかな」
「……だろうな」
「じゃあ、わたしが殺されれば、統魔が逃げ回る必要はなくなる?」
「そうだな」
統魔が思わず肯定したのは、逃げ回ることに必死になっていたせいだ。しばらくして、彼女の言葉の意味を理解して、苦い顔をした。
「なにいってんだ?」
とはいえ、彼女に目を向けている暇はない。四方八方、全周囲、あらゆる方向から殺到する攻撃魔法を避け続けなければならないのだ。
「……わたし、死にたくないよ」
「……ああ」
だろうな、と、統魔は思う。
誰だって、死ぬのは嫌だ。
死にたくないから懸命に生きている。そのために誰もが足掻き、藻掻いている。
統魔だって、そうだ。死にたくはない。死にたくないからこそ、戦っている。
必死に、戦っている。
そんな統魔の気持ちがなんとはなしに伝わってくるのがわかって、ルナは、彼の顔を見た。前方のみならず、あらゆる角度、方向に目を向け、飛び交う魔法の数々に対応している。その表情は、戦士のそれだ。
勇壮で、果敢。
英雄然としていて、気高く、美しい。
けれども、そこに不要な苦痛が滲んでいるのが、ルナには堪らなく嫌だった。彼には、もっと自由でいて欲しい、と、思った。
統魔が自由自在に戦うことができるのなら、あのような幻魔など、一蹴できるのではないか。
そう思えてならなかった。だから。
「でも、統魔が苦しむのはもっと嫌だな」
「……うん?」
「統魔を苦しめているのは、やっぱり、わたしだよね」
「なにを……」
統魔が気づいたときには、遅かった。
ルナは、統魔の腕の中から解放されていた。魔法を使ったのだ。自身を抱き留める統魔の腕を弾き飛ばすだけの魔法。威力はなく、痛みもない。
ただ、統魔の抱擁から抜け出す、それだけの小さな魔法。
そして、彼女は、一瞬にして統魔と引き離された。
統魔が全速力で飛翔していたからであり、急停止など出来るはずもなかったからだ。
遥か彼方、地上へと、廃墟の真っ只中へと落下していく少女に向かって、オファニムの全ての魔法が殺到した。