第三百十三話 座天使(一)
突如現れた幻魔は、オファニムと名乗った。
人間とはかけ離れた姿形から鬼級ではないものの、その莫大な魔素質量から上位妖級相当の力があるのではないか、と、推定された。
光都タワー及び周囲一帯を一撃の下に吹き飛ばすほどの攻撃魔法も、そう認識させるには十分過ぎるほどだ。強大な魔力と、そこから紡ぎ出される破壊力は、凄まじいとしか言い様がない。
現状、統魔一人では対応しきれないことは明白であり、だからこそ蒼秀は、鏡子ら導士とともに統魔の救援に赴いたのだが、しかし、統魔に接近することは出来なかった。
統魔は、本荘ルナを保護している。
それは、統魔が結局彼女の精神支配の影響を受けたが故の行動などではあるまい、と、蒼秀は確信を持って認識する。
統魔元来の精神性がそうさせたに違いない。
央都市民を守護するのが導士の役割であり、使命だ。
本荘ルナは、正体不明の怪物だが、とはいえ、いまはその正体を探り、解明しなければならない段階であり、幻魔の攻撃に巻き込ませていいわけではない。だから、統魔は本荘ルナを確保し、オファニムの攻撃を躱し続けている。
そして、それが精一杯なのだ。
オファニムは、無数の光の矢による攻撃の後、光の矢を集め、巨大な光の槍を形成、投射した。光の槍は、統魔が生み出した魔法壁をその周囲の空間ごと徹底的に破壊して見せている。
さらに無数の熱線が、空中に飛び上がった統魔を追尾した。
追尾誘導式の魔法が、夜空を焼いていく。
光都に潜伏していた第九軍団の全ての導士が、オファニム討伐のために動き出したのは、ちょうどその頃合いだった。
オファニム出現時の魔法に巻き込まれ、負傷した導士も十名ほどいるようだった。現在、他の導士による治療が行われている最中だという報告が、通信機越しに飛び交っている。
「光都に幻魔現出。幻魔は自らをオファニムと名乗っている」
蒼秀は、球体のような姿をし、全身からはやした光の翼から無数の熱線を放射する怪物の姿を見遣りながら、作戦司令部に伝えた。
そして、配下の全導士に指示を飛ばす。
「状況は把握していると思うが、統魔と距離を保ちつつ、彼の進路を塞ぐことのないように立ち回りなさい」
蒼秀の命令に対する導士たちからの返答は、極めて簡潔なものばかりだった。誰もがこの事態に成すべきことを理解し、正しい対応をしている。
本荘ルナを抱えながら飛び回っている統魔とは、距離を保ち続けなければならない。本荘ルナに支配されてしまうからだ。よって、統魔の移動範囲を予測しながら、オファニムとの戦闘を行わなければならないのだ。
もっとも、この状況で本荘ルナに支配されたところで大した問題は起きそうにない。本荘ルナとて、自分の身の安全が大事だろうし、オファニムとの戦闘に注力させるのではなかろうか。とはいえ、万が一にでも支配された導士が現れた場合、オファニムを討伐した後で厄介になる。
蒼秀が本荘ルナの擁護者となれば、きっと、統魔にとってだけでなく、戦団にとってもこの上なく邪魔な存在になるだろうし、蒼秀を本荘ルナから引き離すのも困難になるに違いないのだ。
故にこそ、蒼秀と鏡子、杖長たちだけでも慎重に行動しなければならなかった。
下位の導士ならば、蒼秀が力尽くで引き離せばいいのだが。
蒼秀は、副長の八咫鏡子、そして数名の導士とともに潜伏場所の廃墟から大きく前進すると、倒壊寸前の高層建築物の屋上に布陣した。法機を構え、魔力を練り上げている。。
『ノルンの解析により、オファニムが内包する魔素質量は妖級上位相当だということがわかりました。速やかに対応してください』
「了解」
情報官からの報告を受けて、蒼秀は、およそ三十メートル先に浮かぶ球体を睨み据えた。真夜中。空は雲に覆われていて、星一つ見えない。そして、灯りひとつないこの廃墟を包み込むのは暗黒の闇そのものであり、その闇を吹き払うようにして、オファニムの姿は、燦然と輝いていた。
巨大な球体のような異形から生えた翼と、その頭上に浮かぶ光の輪が放つ膨大な光が、この廃都の闇を圧倒しているかのようだ。
そして、翼から放たれる無数の熱線が、様々な軌跡を描きながら統魔たちを追い続けている。
「全隊、周囲に警戒しつつ、オファニムへの攻撃を開始せよ」
蒼秀は、通信機を通して、この場にいる全ての導士に指示を下すとともに、自身もまた想像していた魔法を発動させるべく、真言を唱えた。
「鳴雷」
瞬間、蒼秀の全身から発散した魔力がオファニムの頭上に収斂し、眩くも巨大な稲妻となって降り注いた。膨大な魔力の奔流は、オファニムの胴体に直撃し、大きく吹き飛ばして見せた。雷鳴が轟き渡ったのは、そのころである。
雷撃に打たれたオファニムの巨体は、地面に叩きつけられたかと思うと、とてつもない弾力でもって天高く跳ね上がり、熱線を撒き散らした。
熱線が周囲の建物に次々と直撃し、そのたびに大爆発を起こしていくものだから、ただでさえ廃墟そのものの光都跡地が、跡形もなく消し飛んでしまうのも時間の問題なのではないかと思えたほどだ。
「効いていないのか?」
「そんなまさか」
跳ね回りながら熱線をばら撒くオファニムの姿を目の当たりにして己が目を疑ったのは、なにも蒼秀だけではない。
副団長の鏡子もまた、蒼秀の強力極まりない攻型魔法が、オファニムを跳ね飛ばしただけで終わったという事実に驚愕を隠せなかった。
『師匠!』
通信機越しに聞こえてきたのは、統魔の叫び声だ。彼は、鳴雷の一撃を目の当たりにして、蒼秀が目覚めていることに気づいたのだろう。
「どうした?」
『あいつは、オファニムは、どうやら本荘ルナを狙っているようなんです』
「どういうことだ?」
『わかりません! 幻魔が幻魔と争うことは別に珍しいことじゃありませんが……』
『わたし、幻魔じゃないよ!』
『ああ、もう、うるさい!』
本荘ルナと統魔の言い合いが続きそうだったので、蒼秀は通信を切った。
そして、オファニムに無数の魔法が殺到する様に目を向ける。
第九軍団の導士たちによる一斉攻撃が始まったのだ。
氷塊が降り注ぎ、竜巻が巻き起こり、槍状の魔力体が飛翔し、猛火の柱が立ち上り、オファニムの巨体を次々と攻撃しては跳ね飛ばしていく。オファニムの球体そのもののような体には、傷ひとつついていない。
「確かに。珍しいことではない……か」
蒼秀は、オファニムに一切の魔法攻撃が通用していないことを確認すると、上空を飛び回っている統魔に目を向けた。オファニムが放つ魔法の尽くは、統魔に向かっていて、蒼秀を含めたオファニムを攻撃した導士たちは存在そのものが黙殺されているようだった。
統魔が言ってきたことは、正しいようだ。
オファニムの狙いは、統魔が抱えている本荘ルナだけであり、それ以外の存在は、攻撃対象にはならないようだった。
それは、ありえないことなのではないか、と思えてならない。
幻魔同士が相争うことというのは、少なくない。その存在が確認されるようになってからというもの、獣級幻魔同士で争う光景や、妖級幻魔同士がぶつかり合う様子は、無数に確認された。
幻魔戦国時代と区分される時代に突入すると、鬼級幻魔による領土の奪い合いが過熱し、幻魔同士が殺し合うことが当然となった、といわれている。
それ自体は、なんら不思議なことではないし、珍しいことではないのだ。
だが、自分を攻撃してきた人間を無視し、黙殺する幻魔など、存在するのだろうか。
『オファニムとは、天使の階級の一つですね。何度か確認された天使型幻魔ドミニオンも、天使の階級を意味します』
などと伝えてきたのは、情報官の計倉エリスである。
「つまり、オファニムは天使型幻魔だということですか?」
『光の輪っかがあって翼がありますし、たぶん、そうなんじゃないかなあって』
「ふむ」
計倉エリスの説明に納得こそしたものの、蒼秀には、どうでもいいことのように思えてならなかった。
天使型幻魔ドミニオンは、人間を攻撃するどころか、人間に対し、どこか友好的、協力的な行動を見せたことで知られているが、幻魔は幻魔であり、警戒するべき対象であることに違いはない。
オファニムと名乗る妖級幻魔が、ドミニオンと同じく天使型幻魔とでもいうべき類型に収まるのだとしても、だからなんだというのか。
オファニムへの攻撃命令が取り下げられるわけもなければ、そのような指示が作戦司令室から下っているわけでもない。
状況は、変わらない。